見出し画像

世界で一番失礼な『いろはにほへと』の使い方〜同棲におけるオナラ問題〜

五年間付き合っていた元彼とはオナラをする時は「召します」と言うルールがあった。
これは私が半同棲生活の中で堂々と恥じらいなくオナラをするので
「屁をする時は上品に『召します』という宣言しろ」という命令を私にしたからだ。
彼としては流石に言葉にすれば羞恥心が芽生え、オナラをする回数が減るのではないかという狙いだったらしい。
しかし、オナラは毎日出る。人間だもの。
そして付き合って数年経っていた私たちに羞恥心なんてものはすっかり消え落ちていた。
最初は笑いながら「召します…」と言っていた。
しかし一ヶ月も経たないうちにすっかり慣れ、食器を洗いながら
「召しま〜す!」「はいよ!」(放屁)
という居酒屋の厨房みたいなやりとりを繰り返すようになった。
これではあまりに「召し」という言葉の重みが軽くなっているのではないか、ということになり、歴史小説にハマっていた彼から
「『召します』、ではなく『朕は放屁なり』と言うようにしよう」
と言われた。
しかし『朕は放屁なり』は長いし語呂が悪い、ということで一週間も定着しなかった。
あと、私たちは朕を使っていい立場を使って良い人間ではない。
結局は「召します」に戻った。
オナラで喧嘩するカップルもいる中、私たちはその点では問題が一切起きなかった。
もちろん良いことばかりではない。
毎日屁をするたび「召します」と言っていると、仕事中でもこっそり屁をしてガスを抜くと、気まで抜けてしまうのか、うっかり「召します」と言いそうになったことも多々あった。
習慣というのは恐ろしい。


そして現在、色々あって彼と別れ、新しい彼氏と同棲を始めた。
今の彼氏は私以上にオナラをする。
そこで今の彼とも「オナラをする時は何か宣言をしよう」ことになった。
話し合った結果、オナラをする時は「いろはにほ」と言うルールを決めた。
何故かというと、「いろはにほへと」で「ほ」の次が「へ」だから。
要はダジャレである。
最初はおふざけのつもりだったが、一週間もするとやはり馴染んできて、テレビを見ながら、歯を磨きながら、洗濯物を干しながら、ありとあらゆる場面で共にオナラをして「いろはにほ」とつぶやいた。
これほど「いろはにほ」を連発しているのは私達か平安貴族くらいだと思う。

そんなある日のことだった。
部屋で本を読んでいた私の下っ腹にガスが溜まってきた。
(ああ、これから屁が出るな)
そう思い、肛門を緩めた瞬間
「召します」
と言ってしまった。
いつものようにオナラの音が部屋に響き渡る。
「召します、って何?」
ゲームをしていた彼が手を止めて、不思議そうに聞いてきた。
一瞬の、沈黙。
今の彼氏は元彼と私の『召します』のルールは知らない。
「え、なんか上品に言おうと思って」
とっさに誤魔化した。
彼は納得したのか、ゲームを再開した。
しかし心臓は少し鼓動が早くなったのを感じる。
元彼のことなんて今はなんとも思っていない。
というか存在すら忘れていたのに。
「いろはにほ」のルールを作って一年ほど。言い間違えたことはない。
完全に無意識だった。
だけど、私がオナラをするたびに「元彼と過ごした五年間は消えることはないんだ」ということを誰かに突きつけられたようにも感じた。

私はこれからも人生の様々なタイミングででオナラをするだろう。もしかしたら、節目ごとに、オナラの臭いと共に元彼のことをかすかに思い出すかもしれない。
それが良いことなのか、悪いことなのかは分からない。
『召します』は私と元彼の秘密として、今の彼氏には内緒にして肛門の中にしまっておこう。

『いにしへの奈良の都の八重桜今日九重に匂ひぬるかな』 は、「いにしへ(屁)」「(お)奈良」「八重(や屁)」「九重(ここの屁)」「匂ひ」などを含めて「おならに洒落ている」というマジメな説があるそうだ。

この和歌のようにオナラを美しく、文学調に綴れる文章を目指してこれからも精進していきたい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?