手記3日目

2020/04/18(土)

緊急事態宣言が出されて早数日。

相変わらず家から出ない生活を送っているが、特に不自由はない。
インターネット環境もあれば、毎日朝からオンライン通話で友達と繋がっているから、なのかもしれない。

人とつながることはいいことである一方でたまに疲れてしまうこともある。

話しが少しそれるが、私は推しにファンレターや手紙を送ったりする。
最近まで緊張してできなかった行為だが、気持ちは言葉にしないと伝わらない、ということを身をもって味わったことがあるため、ファンレターやお便りを送るようになった。
それでも私はまだ推しに質問等はできない。だからラジオにメールフォームがあっても、「いつも応援してます、頑張ってください」といった単純な文章しかかけない。質問など、近しい距離まで行っていいのか不安や緊張にさいなまれるからだ。生放送をみてコメントをする人も、推しにみられるかもしれないと思うとコメントなんてうてない自分にとってはすごいと思うし、メールフォームに悩みなどを送る人なんてもっとすごいと思う。
伝えたい思いはたくさんあるのに、言葉が付いてこず、単調な言葉となってしまうのだ。かっこいい、好き、あの時のあの返しがすごく好きで、だから、その…好き、しか言えない自分の語彙力の無さ、気持ちを言語化する難しさ、もどかしさを味わう。

きっと、昔の人もこうやって自分のあふれ出る気持ちを言葉にするとなんだかとてもちっぽけで、想いを言葉に載せられないもどかしさを味わったんではないか、だから古文などの当時学生だった自分にとってはよくわからない和歌をうたったのではないか、なんて考えてしまう。

今だからこそ、古文で習った和歌や漢文の良さに気づいて、もっと勉強しておけばよかったと後悔している。もっと、古文などを学んでおけば、昔の人が同じ気持ちになったとき、どのように対処していたのかなんて考えられたのではないか、なんてすこし、思うのだ。

話を戻すと、人とのかかわりを持ち続けることは生命の維持にも精神的な安定にもつながるが、一方で人と関わると気持ちを言葉にしている人などをみて「誰かと比較して」しまって苦しくなることもあるのではないか、と思った夜。


いろんなことに興味があるのでいろんなことに手を出します。ストップかけたほうがいいときは言ってください。