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城マニアの楽園・中家住宅と小泉陣屋跡

 慈光院には過去二度も訪れて、茨木城の旧城門ににはいつも感動しておきながら、城好きとして実現できずにいたことがひとつありました。片桐石州の居城=小泉陣屋を訪問すること、です。慈光院から西南の法隆寺方面を目指して小さな丘を超えると、陣屋の一部が、そのまま石州流の本拠地=高林庵という名前でどうやら片桐家がお住まいになられている様子でした。

小泉陣屋の跡地=高林庵の屋敷地北側の長い塀

 藩主がそのままお城の跡にいらっしゃる例というのは、現代においてはかなり少なくなっていると思いますが、明治以前の空気感が普通に残っているのが奈良の魅力と言えるのではないでしょうか。個人のお宅なのでこうして写真を撮って掲載するのも少し気が引けると言えば引けるのですが、城郭愛に免じてお許しあれ。

小泉陣屋跡地=高林庵南側から

 その名も薙刀池といういかにもお城っぽい名前の池がかつての内堀の跡でそこから見ると江戸期以降に建てられた風情の櫓や塀が複数あって、現役の城の感じがするところがユニークです。

薙刀池の舟入?

 薙刀池の端の方には、陣屋の敷地の方に舟入のようなスペースが見られ、島には祠のようなものも見えます。旧富本憲吉邸=うぶすなの里がある安堵町が、飛鳥川や竜田川をはじめとした奈良盆地の川が集まって大和川に集約される水運の上で重要なエリアだったことも今回の訪問で初めて知ったのですが、おそらくこうした舟入の施設もそういう大和川水運と堀から運河そして川へと繋がっていたのかもしれません。あとで調べ直したところ、高林庵は陣屋時代の二の丸的なエリアにあたるところだったようで、本丸に当たる主郭のあたりに小泉陣屋跡の石碑や小泉神社があるようです。こちらはそのあとの行程の都合で今回行きませんでしたが、四度目の慈光院探訪の折には是非訪ねてみたいと思います。

さて、今回の奈良探訪で城好きの立場で楽しみにしていたところがもうひとつありました。安堵町の南の方・大和川近くにある中家住宅です。うぶすなの里から、徒歩で片道30分ほど。大晦日の朝に散歩にしました。

中家住宅案内板見取り図

 中家住宅は、江戸初期から残る豪農の住宅であり、城ではありませんが、見取り図をご覧いただいてもわかるように、中世豪族の屋敷地の構造を残した城郭的な屋敷であると言って間違いないと思います。

内堀と表門。手前の橋は、影になって見えにくいですが、中央部が木製で取り外し可能。
屋敷を囲む立派な内堀・写真の右側中央あたりには舟入も

二重の堀をめぐらし、表門前の橋は中央部が木製で取り外し可能で、内堀には舟入があって、と完全にお城的な設え。主屋は、美しい大和棟の建物です。大和棟の美しさに気付いたのは、美術館で小林古径だったか前田青邨だったかが大和棟の古民家を描いた作品を見たときで、以来奈良に行くと、農村風景の中にふと聳える、むくりのない直線的な屋根のラインを無意識に探してしまいます。
 屋敷地の角には持仏堂まであります。現在も中家の方がお住まいになられながら、維持保存と公開活用もされています。クリスマスや大晦日のような時期でなければ、前日までに電話で予約をしておけば、なんと見学させていただけるそうです。こちらは、また次来た時の楽しみに。11の焚口をもつ、おくどさんを是非見学してみたいと思います。

中家住宅・美しい大和棟の主屋

お隣の石田家は親戚筋だということですが、そちらの門はなんと松永久秀の城=多聞城の門を移築したものとのこと。古格が凄すぎます。奈良の城マニア楽園スポットいかがでしたでしょうか?

石田家表門・旧多聞城移築門
中家の持仏堂

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