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ヒマラヤスギを仰ぐ

 1878年から始まった小学校が、今年度で閉校になる。今日は最後の運動会だった。地区住民との合同運動会ということもあり、昔は子供が多くその家族や親族も多かったので、ほとんどの住民が参加していた。だが、年々生徒の数が減り、参加者も激減。とうとう今日が最後となった。限界集落にとって小学校がなくなるのは、さらなる痛手だ。若年層の住人が、ますますいなくなるからだ。たった一人になっても、希望する子どもがいる限り小学校は残してほしかった。もしも子どもがいなくなったとしても、休校という形にして希望をつないでほしかった。地区住民の強い要望も、町長や教育委員会との話し合いも理解を得られず、町に強引に押し切られる結果となった。

 我が家の子どもたちは、4人全員この小学校を卒業できた。同級生の数は1~2人だったが、子どもたちは、のびのびと自然の中で育ち、胸を張って卒業した。人数が少ないということが、そんなにマイナスなんだろうか?そういった思いは少しもなかった。この山の学校の子どもたちは、運動も勉強も町の子どもたちよりも明らかに秀でていたし、素直で元気だったからだ。
 台風19号の時には、牛乳とパンだけの簡易給食になってしまったため、先生や保護者達が毎日補食を手作りしてくれた。道が寸断して町の中学校へのスクールバスが不通になったときには、しばらく中学生も小学校の校舎で学んだ。田舎が多様な可能性を生み出すのは、広い空間と温かくて寛容な人々のおかげだ。子どもたちも、このことをしっかり感じながら育っている。都会では学ぶことができないことなのだ。
 閉校は本当に残念としか言いようがない。
 
 ともあれ、お世話になった校舎に感謝をし、校庭の大きなヒマラヤスギを仰ぎながら、次のことを考えよう。前に進む。それ以外は考えないように、楽しい展開を形にしていこう。