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ペンフィールドのバボちゃん。(3125字)

ペンフィールドのせいで道ゆく人がバボちゃんに見えている。

単語云々でなく、この一文に登場する「全て」が理解できない人も多いに違いない。ここは順を追う。

まず、「ペンフィールド」と「バボちゃん」。

どちらかを知らない場合は検索していただきたい。
どちらも知らない場合はもっと検索していただきたい。
とはいえ検索するのが面倒だと感じる人も多いだろうし、やはりここは丁寧にどちらも説明しなくてはならない。そのためにはこちらが検索しなければならない。とても面倒です。

ペンフィールドさんというのはカナダのそりゃ偉い脳神経学者であり、視覚や聴覚といった人間の五感が大脳のどのあたり、どんくらいの面積で処理されているかを分かりやすく表現した「ペンフィールドのホムンクルス」で売れた人だ。貧弱な体の割に手がやたらでかく、そこに異様なほど飛び出した目と舌を持つ顔がついている不気味な人形を見たことがあるなら実に話は早い。(下図は「要は」である)

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この人形を見れば、手や目、そして舌から入力された情報を処理するために脳がどれほどの容量を要しているのかが一発で解る。また同時に背中や足の裏などから入力された感覚を脳は比較的ないがしろにしていることも一目瞭然だ。

しかし脳には可塑性、ある程度なら自分の意思で変化を齎せる性質がある。

最初から大きく割り当てられていた場所だって、活用しなければ寂れ、縮小してしまうことになる。逆もまた然りで、本来的には猫の額ほどの広さで営んでいた個人商店的な部位でも、そこを集中的に使用すれば隣の巨大チェーン店を押しのけ、店舗拡大に成功するはずなのだ。

分かりやすく説明しようとして余計な比喩を交えたせいで、結果分かりにくくなった。そんな人は、やっぱり検索していただきたい。

そしてお次は「バボちゃん」について説明しなければならない。
バレーボールのマスコット。球体。目と手足があり、耳と口がない。以上。

これで、ようやく最初の一文に戻ることが出来る。
ペンフィールドのせいで道ゆく人がバボちゃんに見えている。それも朝、駅で降車した瞬間である。心当たりなど、あるわけがない。

強いていうならば昨晩、ストロング缶を7本空け、天井が煮立って来たかと思えば、木目が変形し、知らぬ欧米人の顔へと変わり、何やらムニャムニャと「ペンフィールドさ、ちょっと今から耳から入り込むけど大丈夫?」と訊かれたので「おうよ」と答え、気づけば朝だった、くらいだ。これだ。

人生で初めて憑かれたらしい。それも縁もゆかりもない、高校の時に倫理の授業で習った気がしないでもない程度の人に。一人称がペンフィールドの人に。

会社へ入る。エレベーターのボタンを押す。
中にはたくさんのバボちゃんが詰まっていた。バボちゃんはバボちゃんだ。
先述の説明に倣って今一度申し上げると、みんな一様にデスクワークのし過ぎであり、目と手と足だけやたらに使い込むもんだから他の触覚を担当する領域を押しのけそこだけ肥大してしまった成れの果て、それがバボちゃんということだ。これじゃ男も女も年齢もあったものじゃない。

営業課のある4階で降りる。ドヤドヤともう数体のバボちゃんが俺に並んで歩く。このバボちゃんも営業課の人間らしい。自然と奥の課長デスクに目線を遣る。

大丈夫だ。
既に課長の席にはだるそうなバボちゃん(じみたもの)が収まっている。
あれは課長に違いない。とうことは少なくとも脇にいる奴らは直属の上司ではなさそうだ。かといって、何か失礼があってはならない。

「おはよう、ございます」と、恐る恐る隣に挨拶すればバボちゃんはつぶらな瞳で「おはようございます」と返してきた。口はないのに。

バボのうち一人は、俺のすぐ隣のデスクに座った。なんだおい、心配して損をした。阿呆の井伊村だったのか。いや少し待て。こいつはそもそも普段外回りが多いんだから、ただ「手足の生えた普通のバボちゃん」じゃダメなのだ。営業とは何よりも口先だ。顧客の立場にたち、譲歩すべきはとことん譲歩し、相手が心を開いたその一瞬の隙を見逃さず、セールストークを叩き込む、これが鉄則だと入社当初から言っている。こいつ、サボっていやがる。絶対に。よくみれば右手が大きい。利き手の方がよく使うのだから多少は違いがあっても良いが、明らかに大きすぎる。さては、

「お前、パチンコ行ってんな?」
「いや、パチスロっす」

阿保バボが親指のジェスチャーを交え答える。
悪びれる、どころかそもそも表情がないのが余計に腹がたった。

ふと課長に呼ばれた。

「なあ俺が耕したんだぜここのエリア。そこお前は勘違いしてねえか最近」

昨日の営業報告書に不備があったらしい。そこからは例の調子だ。
確かに報告書を井伊村に任せた俺も悪い。しかし今日に限ってこの臓腑に染みがつくような小言が無性に腹がたつ。
その原因はやはり、課長の容姿である。

もうバボちゃんですらない。
もともと肥満体で殆ど運動もしないのだから足も小さく、それでいて手も舞茸がはみ出ているかのよう。眼だって他の社員と比べれば一回りは小さい。そのくせ、ダムのように空いた口から、だらり巨大な紫の舌が飛び出し、唇は脈音すら聞こえそうなほど、肥く赤い。
やはり、こいつは口だ。本当に口で生きてきたのだ。

普段より働かねえ割に、いいポジションについてやがると思ったが、こうも出世に必要なものを可視化されると辛い。妻子を養うために残業も厭わず愚直に勤め上げきたが、気の迷いでわずかの間フィリピン女に熱をあげていたのがバレた途端、あっというまに離婚裁判に持ち込まれ、妻の知人だという弁護士の舌ぽうにしてやられ、気づけば慰謝料、生活費、養育費、裁判費用までこちらが負担することになり、(あの弁護士も口だけバボちゃんだったに違いない!)毎月の支払いで給料はほとんど消え、今や襤褸アパートで起居する毎日。帰りのコンビニで買うストロングチューハイとホットスナックのチキンだけが楽しみで生きている。そんな男からすれば、この「視界」は地獄だ。あのペンフィールドの野郎、また天井の染みから現れてはくれないだろうか。
「あの」アホの井伊村が肩を叩く。

「ああん!?」

俺の剣幕にたじろきつつも、阿呆はパチスロで肥大した右手でそっと上を指差す。ゆっくり、仰ぎ見る。

なんだあ、このバボやろう。

いつのまにか見下ろしてやがった。手も足もない。もはや眼すらない。ただいやらしく金色に光るバボがいた。ということは、もはや何も働かず、ただいるだけの奴、つまりあの部長だ!前社長の甥だか何だか知らぬがコネで入社し四十手前であっというまに大名気分。責任は上層部に丸投げ、仕事は部下任せ、自身は座っているだけの糞外道。

なに見てんだよ。こら。俺みてえな三下社員を見下ろして悦に浸ってるってか。そののっぺらぼうじゃ何も見えても、聞こえても、考えてもいねえだろうな。ざけんな。
俺は短い足をせいいっぱい、屈伸させ、跳躍すると糞外道部長に飛びつき、両の腕で思い切りホールドすると、反撃の隙を与えないよう、素早く窓から放り出す。俺の勤続20年を讃えるために部長が気まぐれで用意していたらしいくす玉は宙空でパカと割れ、下の往来をゆく大勢のバボちゃんどもを驚かせた。

刺すような沈黙。周りを見渡す。バボちゃんは表情がない。
ただ沈黙がある。立ち尽くす。意識が遠のく。
全ての感覚が遮断され、俺はバボちゃんから完全な球体となり、転がり、非常階段を跳ね落ち、そのまま国道に飛び出せば往来のバボちゃんに蹴られ、軽自動車に轢かれ、ガードレールで停まった。もちろん何も、感じない。
血まみれの球体を雇ってくれるところがあるだろうか。
どうか検索していただきたい。

いつもいつも本当にありがとうございます。