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共用スペースチルドレン(2119字)


 ベランダの前にあるちょっとした隙間は共用スペースということになっている。といっても幅はたった1mくらい。膝丈ほど雑草が伸びているから、立ち入ったら途端に小さなバッタの襲撃に会う。

 「じゃあこのスペースってなに?」

 「このマンションに住む人なら誰でも使っても良いことになっているけど誰のものでもないから、結局誰も使わない、ところ」
 
 お母さんはなんだかすごいまどろっこしい答え方をする。実際、わたしも今までここに誰かが居るところをみたことなどない。

 でも、今日は違った。

 洗濯物を取り込む当番だったことを思い出しベランダに出てみれば

 「だうあ!」
 ビックリしたはずみで室外機の角にすねをぶつけ、顔が歪む。そんなわたしを心配そうに見つめる大きな瞳が四つ。


 だいたい10歳くらいの男の子と、女の子。
シャツは泥に汚れ、顔はまだらに日焼けして、枯れたビワの木みたいな腕が袖から飛び出している。二人は共用スペースで膝を抱えて身を寄せ合っていた。
 
 
ただでさえ知らないことばかりなのに、また知らないことが増えて、もつれる。
 「ふたりは、いや、あなたたちは、どうしてここにいるの?てか、なんなの?」
 
 わたしが質問すると二人は顔を見合わせ、またこちらを向く。
 ドクダミの葉っぱの上、テントウムシがとりあえず翅を広げる。

「居て、良いから」
ようやく男の子の方が、囁くように答えてくれた。
 女の子は以前、黙ったままだ。小さい蜘蛛が彼女の頬を歩く。
「居ても良いってどういうこと?待ち合わせなの?誰と?ねえ?」

 でも、どう訊いたところでまともな答えは返ってこない。こういうのを埒が開かないっていうらしい。
どうせここは共用スペース。誰のものでもないということは、わたしのものでもない。ということは誰かが勝手に使っていても、文句を言うケンリはないのかもしれない。空が灰色に滲んで急に共用スペースに湿気が溜まる。少年たちの方から、雑巾のような臭いが漂ってくる。早く洗濯物を取り込まないと。


 次の日、子供達は十人に増えていた。
みんな痩せ襟の伸びたシャツを着ていた。「あちゃあ」わたしが声を漏らすと、お母さんが「なに今の、お父さんの真似?」と笑う。そんなの嫌すぎる。

「ねえ、こういうことって、良いの?」

「こういうこととって?」

「だから、共用スペースの」

 ううんと、お母さんはしばらく思案する。

「共用スペースだから、何も言えないの。それになんだかちょっと楽しそうじゃない」
 
 確かに昨日と違って子供達はみんな小声話し合い、時折肩を震わせて笑っていた。足元にはお菓子の袋が散らかっている。
誰が買い与えたのだろう。
 「瀬下さんでしょ、101の」

 瀬下さんというのはたまにゴミ置場で挨拶する若い新婚さんだ。

 「どうしてわかるの?」

 「ちょっと身を乗り出しなさいよ、ほら」

 ベランダの手すりから身を乗り出し瀬下さんの部屋の方を見て、納得。

 まさに、真っ最中だ。
 まだ20代半ばくらいの綺麗な奥さんがベランダから子供達にひょいひょいお菓子を手渡していた。目の前にいた子供たちもお菓子を食べ終わると再び立ち上がり101のベランダの方へと向かう。奥さんが新しいお菓子を渡し、また元の位置に戻り、膝を寄せ合って、クスクスと笑う。
 「じゃあ、いいのかなあ」

 「猫に餌をやるのは禁止されているけど、子供達だからねえ。誰かがそれで困っているわけでもないし、
こんにちはあ!賑やかですねえ!」

 お母さんはベランダから身を乗り出した状態で、瀬下さんの奥さんに手を振った。
奥さんは気づくと少し恥ずかしそうに笑った。なんだか、こっちも幸せな気持ちになった。確かに、これはこれで良いのかもしれない。


 
翌日。瀬下さんのところに管理会社の人と警察がきた。

 奥さんは「共用スペースだし、誰かに迷惑をかけたわけじゃないし、子供達が可哀想だったから」と泣きながら警察にわけを話していたみたいだったんだけど、警察や管理会社が問題にしていたのは共用スペースに子供達にお菓子やご飯をあげていたことではなく、そもそも身寄りのない子供達が沢山いることをわかっていながら警察に通報しなかったことらしい。薄々変だなとは思っていたけど、やっぱり、そうだよね。子供達って、普通、学校とか、家にいるもんね。


 数日後、瀬下さん夫婦は荷物をまとめてどこかへ引っ越して行った。しばらくして、あの子供達も姿を消した。
ある日。共用スペースにわたしは初めて立ち入った。ベランダから靴を履いてそっと降り立つ。想像以上にスネがくすぐったい。小さいバッタが膝小僧をかすめていく。雑草を踏みしめこの間まで男の子がいたところに腰を下ろす。雨水が溜まったポテトチップスの袋を眺めながら、ぼんやりと考える。もし、今回の件でお母さんも追い出されてしまったら、どうしよう。お母さんは、施設に入れてもらえるのかな。そしたらわたしは、このあいだの子供達とは何がどう違うんだろう。少なくともわたしはもう44歳だし、ここ15年以上このマンションの外へお母さんが出してくれないから、よくわからない。

いつもいつも本当にありがとうございます。