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「読書」~父よロング・グッドバイ    男の介護日誌/盛田隆二~

家族の事情をここまで世間にさらしっていいのか?という迷いも確かにあった。
だが、両親の晩年の姿を正確に書き記すことは、父と母が辿った人生を記憶に刻みつけるための唯一の方法であるように思われるし、そしてまた、両親や配偶者にそろそろ介護が必要になり、住宅介護や介護施設の利用を考えている読者の皆さんに、僕の個人的な介護体験が少しでもお役に立てれば、という願いもある。

まえがきより

盛田さんは好きな作家のひとり。盛田さんがどのような介護をされてきたのか?
またどのように感じたのかを知りたくて読んでみた。
介護日誌は僕の想像を超えていた。
盛田さんは、両親だけでなく、妹さんも重度の病気を患っている。
執筆活動も断念し、介護に専念するが、うつ病になってしまう。
さらにおいうちをかけるように奥さんがヘルニアで動けなくなり入院したりする。
しかし、盛田さんはここで「自分自身にかかずらう余裕がなくなると、それが心の安定につながるのかもしれない」と感じた。
「自分をはずす」とでも言えばいいのか。歯車を無理に回そうとせず、自分に関わるものをはずしてみる。するとうまくいきだした。
そしてうつ病を克服する。
その時に浮かんだ言葉が
「きみがつらいのは、まだあきらめてないから」


盛田さんに比べたら、僕はとても恵まれていた。
妻が下の世話やガーゼ交換をしてくれた。
次男は介護士でとても頼りになった。
長男も何かあればすぐに駆けつけてくれた。
いろいろな手続きや雑用はあったが、ケアマネージャーさんにも恵まれ
家の隣の工場で働いているので、それらも会社勤めの方に比べたら自由がきいた。
それでも、盛田さんのように不安が押し寄せてうつ病のような症状にもなった。
なんとか、両親を看取れたことに安堵する(こういう感情になる自分に嫌気がさしたが)とともに家族、特に妻には感謝してもしきれない。
改めて振り返ると、父も母も、それほど手を煩わせないように逝ってくれたように思う。
まるでふがいない僕を助けてくれるように。

「それにしても、父が亡くなって思うのは、いかに自分が父の
事を知らないかということだ。(中略)とりわけ悔やんだのは、父はどんな死を望んでいたかということだ。だが介護をするようになって突然、どんな死に方がいいのかをめぐって、腹を割って話せるものではない」

文中より

僕もまったく同じ事を考えた。だから僕は何年か前に、「胃瘻はしない。
家族葬で質素に・・・」とか希望を書いておいた。
家族への感謝の言葉をそえて。
気持ちが変わったら、また書き直せばいい。
自分もそうだったが、亡くなって初めて両親が、どういう人生だったのか?
幸せだったのか?知りたくなる。
もし、家族が同じ様に思ってくれたら、FBやNoteは案外いいかもしれない…

2017.3