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キャメル・キャラメル~カンヴァセーション~

このカンヴァセーションという曲にはとても深い思い出があります。
彼女がこんなことがあった時に歌った曲なのです。

「ひとつの風景」
昔のバンド仲間、Tさんに電話した。
「聞いた?」
Tさんは嬉しそうに僕にそう尋ねた。
「何を?」
「今、電話しようと思っとったんよ。ツボが結婚するんと!!」
ひとしきり笑いながら話は盛り上がった。
受話器を置いても、まだニヤニヤしながら、ツボ君のことを想いだしていると頭の中に「ひとつの風景」が浮かんできた。
大学も卒業したが、僕は実家に帰らずそのまま広島で気ままな一人暮らしを続けていた。
バンドが楽しくてしかたなく、帰るに帰れなかったのだ。
バンドは「キャメル・キャラメル」と云い、男姓4人、女性3人のPOPSバンド、地元ではちょっとした人気で、テレビやラジオなどに出演することもあった。 ツボ君は、そんな「キャメル・キャラメル」の看板ヴォーカリストだった。
僕達はコンテストにもよく出場した。今はもうなくなってしまった「POPCON」~黙っていては友達になれない~というやつだ。
中国四国大会へは毎回進むのだが入賞どまり。あと1歩という(2歩?)ところで全国大会には行けずにいた。周りから本命視されるなか「今度こそ」という意気込みで僕達は練習に励んでいた。
そして、その出来事はPOPCON中国四国大会の2週間前に突然起こった。
僕は当時、弁当配達のアルバイトをしていた。
配達コースの途中、深刻な顔をして、降りだした雨に濡れながら彼女は僕を待っていた。
何かを捜し求めるように僕の顔を見ていた彼女の目からふいに涙が零れ落ちた。いつも弁当を配達している喫茶店のマスターがそれを見ていて「おい!女の子を泣かしちゃいけんぞ!」と大きな声で僕をひやかした。とりあえず彼女を車に乗せて理由を聞いた。

しばらく黙っていた彼女は、声にならない声で「私、もう唄えない」と言ったきりまた泣き出した。
のどにできたポリープの治療の為、僕と彼女の病院通いが始まった。弁当配達の途中、彼女のバイト先に行き、病院に連れて行く。しばらくして又、病院へ迎えに行きバイト先へ送り返す。そんな毎日が続いた。

メンバーに話をする為、当時広島のアマチュア・ミュージシャンがよく集まっていた「おかっぱ」で緊急ミーティングをした。
メンバーの意見は2つに割れた。
彼女が唄えないなら出場は辞退する。もうひとつは、他の人にヴォーカルをたのんで出場する。
話しても、話してもみんなの気持ちがひとつにならない事にいらだった僕は、テーブルの上の灰皿を叩きつけ、やりきれない気持ちで店を出た。

コンテストの3日前、奇跡的に彼女の声が出るようになり「無理しなければ」という条件付だが唄うことの許可がおりた。彼女はちゃんと唄うことができるのか不安だったろう。
それは僕達も同じだった。
そしてPOPCON当日。エントリーナンバー18、彼女は堂々とステージに立ち、スポットライトを浴びながら見事に唄いきった。ステージを降りた彼女は泣いていたし、僕達も少しだけ泣いた。結果はもうどうでもよかった。

広島で暮らしていた頃の記憶は、実にたよりない。
改めて思い返してみると、何もかも、ぼんやりとしか覚えていない。断片だけが雑然と散らばっている。
が、彼女の唄を聴いていると、それらが集まりだして、ひとつのはっきりとした場面となって頭の中に蘇ってくる。
それは、少し淋しくてせつない、奇妙な味がする。