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⑲キャメルキャラメル~Yオーデション そして解散へ~

どういういきさつでかはわからなかったが、僕達は「ヤマハオーディション」というのを受けることになった。そんなオーディションがあることも知らなかったし、一般応募があったわけでもない。
POPCONはプロの登竜門とはいいつつ、甲子園や国立競技場を目指すみたいな感じだが、これはちょっと違うようだ。
正直迷ったが、お世話になったスタッフI葉さんへ少しでも恩返しができればと受けることにした。

勿論、タダで東京に行けるということもあった。正直言えばそれが一番大きい。

オーデション前日、空港から東京に向かった。
その時Mプールの方々が、コンサートタイトルだった、「そして今 街はキャメルになった」と書いてある大きな横断幕をずら~と並んでもち、笑顔で手を振ってくれていた。

みんな優しいなぁ・・・

これを作ってくれました
これも…
本部前。飛行機嫌いなので不機嫌?


東京では渋谷の東急インに宿泊したが、明日にそなえて練習することもなく、緊張するわけでもなくみんな夜は徘徊。

男と女とそれぞれ分かれて行動したんだけど途中ばったり、女子組と合ったら軟派されてた…

「おいおい、なにしてるの?明日早いんだからもう帰りなさい」と注意した。
軟派してたグループと喧嘩にならないでほっとした。


翌日は写真撮影から。初めての本格的な(反射板?とかバックが白っぽい壁みたいの)撮影だったけどカメラマンが「田村正和さんを小さくしたみたい」と誰かが言い出して笑いをこらえるのに必死だったことしか覚えてない。

待合室はPOPCON本選会の常連さん、TVで観た事がある人達がいっぱい。本気でプロを目指してるミュージシャンの中で、僕達は浮いていた。

曲はらんちゃんが作った「ラスト・フライト」。どんな演奏をしたのか全然覚えてない。

結果は…
女の子達は後にデビューした「シュガー」というグループ(「ウエデイングベル♪」)の候補だとかギターはテクノのバンドへとか噂話は後日いろいろ聞いた。
ようは、バンドメンバーの切り売りみたな感じだ。
勿論、僕達にインパクトがあればバンドデビューの話があったかもしれないが。

終了後、応援にかけつけてくれた、当時東京でミュージシャンをしていた吉祥寺に住むBoo君のアパートに僕はマネージャーのK月と転がり込みしばらく遊んでから帰った。

この頃が、バンドのターニングポイントだったかもしれない。

みんながそれぞれいろいろな想いを抱いていたのに、そういうみんなの意見とか想いを聞かなかったというか、目を背けていた僕に思いやりとか優しさが欠けていたんだろうと今ならわかる。たぶん、それに向き合うことが怖かったんだと思う。


ツボ君は、大人っぽい歌を歌いたがっていたし、H江とTさんは就職していたので、スケジュール的にもきつかっただろうし、会社での出世にも響いただろう。
Y木くんは卒業を控えて大事な時期だったし、Rちゃんは、夜遅くまでの外出を家の人に注意されていたり、みんな問題を抱えていたのだ。


当時の主な予定をRちゃんが書き残してくれていた。
LIVEの間に練習やミーティングもしてるんだから、忙しく、大変な日々だったと思う。
なんか、いまさらだけどみんなの青春を、大事な時間を奪ってしまったような罪悪感がある。でも、みんなとまだ仲がいいし、みんなにとってもいい青春の想い出だったと信じようと思っている。

このあと、いくつかのライブをし、解散ライブ、そして記念レコードを作って「キャメル・キャラメル」は解散した・・・
キャメル・キャラメル編は今回でおしまいです。
拙い文章の想い出話を読んで頂いた方、ありがとうございました。
                        
前にも投稿したけど記念レコードの音源です。よかったら聴いてください。
「ラストフライト」と「シャイニング・ウェイブ」です。