30代半ば女がこれまでの人生を振り返ってみる(幼少期編)


まえおき

自分の頭の中のことをうまく言語化できるようになるためにnoteをはじめたのに、昨年は2つ記事を投稿しただけでそれ以降は一向に筆が進まなかったんです。
理由としては、自分の考えを述べる際にそこに至った背景情報を伝えようとしすぎて簡潔にまとめられない!という問題にぶつかってしまったから。

それならいっそ自身のこれまでの人生を振り返りながら自分の考え方の礎になっている性格、環境、経験を明らかにするところから書いてみようと思い立ちました。
まずは幼い頃の記憶をたどりつつ環境や印象深い出来事について書いてみようと思います。

家族四人の思い出

両親は所謂できちゃった婚というやつで、母は高校卒業してすぐに妊娠が発覚したため私を生んだときの年齢はまだ19歳でした。父は母の4つ上で当時23歳。
自分が長女で弟が1人いるのですが、年の差としては1歳半ほどなので二人目もすごいスピードで産んでるのが驚き。若さでしょうか…

覚えているのはとにかくスキンシップの多い家族で、家族間で日常的にお口同士でちゅーをしあうような関係でした。
今考えるとちょっと引くレベルかもしれません。
知らなかったからだろうけど虫歯菌やばそう(笑)

家族に関して私自身が覚えている出来事をいくつか紹介します。
ただ、ネガティブなことの方が記憶に残りやすいのか、覚えてるのってポジティブなものがあまりないんですよね…

母のことで覚えているのは父と喧嘩して部屋にこもって泣いているときのこと。父に言われてだったか母を慰めるためにお菓子かなにかを渡しにいったような気がします。
この頃の母親は基本優しかったのかな?幼少期に怒られたときの記憶はあまりないです。

父には時に厳しく叱られることがありました。
どういうきっかけで怒られるのか理解できていなかったせいか、父のことを少し怖がっていたように思います。
たしかお出かけ中に私がふざけて唾を吐くようなことをしたときにすごい剣幕で怒られたような。
たぶん行儀の悪いことをすると叱られていたのかなと思います。

あとは車で出かけて帰り着いたときに狸寝入りをして父に抱っこして家まで運んでもらってたのを覚えています。
私が起きてることに気づいていたのかちゅーして起こそうとしてきたのですが、歩いて帰るのが嫌だったので我慢して狸寝入りを続けてました(笑)

弟とも仲は良かったと思うのですが、気に入らないことがあると私のほうがすぐ手を出して弟を泣かせていました。
弟を泣かしたときはさすがに母に怒られていたかも。

後に母から聞いた話もありますが、私の記憶にあるのはせいぜいこの程度かなという感じです。

友達との思い出

元々は母が専業主婦だったこともあり、私ははじめ幼稚園に通っていました。母が仕事をするようになって途中から保育園に切り替えたとかだったはず。

幼稚園の頃の記憶はほぼないですが、母によると預けるときに毎日のように泣き叫んでいたらしいです。甘えん坊だったんですかね。

保育園に通ってた頃のことはちらほら覚えています。
特に仲が良かった女の子の友達がいてその子とはよく一緒にお絵描きをしていた記憶があります。
その友達はすごく絵が上手で、羨ましくてその子の絵を私は一生懸命真似て描いていました。
絵を描くこと自体は小さい頃から好きだったんだと思います。

その友達とは学区が違ったので小学校が分かれて疎遠になってしまったのですが、親を通じてだったか何らかのイベントだったかで小学校の中学年〜高学年の頃に再会をして一時期文通をしていました。
私はマメな性格ではなく手紙を返すのがすごく遅かったせいでスローペースなやりとりでしたが(笑)
便箋の裏側にいつも絵を描いてくれていて、私も絵を描いて返していました。我ながらこのエピソードめっちゃエモいなぁ〜。

両親の離婚

幼少期編で一番大きな出来事です。
幼少期どころかこれまでの人生において大きな影響を与えている出来事ですね。

私が小学校にあがる少し前に両親が離婚しました。
時期について曖昧な書き方ですが、小学校にあがるときがタイミング的に丁度いいということでそこから母方の姓に変えたので、離婚自体は私が年長の頃だったという覚え方をしてます。

母に突然「お父さんとは一緒に暮らせなくなる」と言われて、詳しいことは分かってないはずなのに弟と一緒にワンワン泣いたということが私の記憶として残っています。
もしかしたら母親の表情等から只事ではないことを読み取っていのかもしれません。

また、どこで根付いた気持ちなのか定かではないのですが、父には捨てられたんだという想いを抱くようになりました。
離婚後は母に引き取られましたが、父ともたまに会っていたので捨てられたと思うようになったのはもう少し後のことかもしれません。

この頃の記憶はうろ覚えな部分も多くて、何度も思い出してるうちに別の記憶と混ざっていつのまにか改変されてるようなこともありそうなので、不確かなものではありますが、それでも家族が離れ離れになるということは子供ながらに衝撃的な出来事でした。

まだ小さかったこともあり、離婚理由については当時は話してもらってなかったと思います。
自分が結婚する少し前に母に改めて話を聞いて、両親の離婚の経緯をようやく正しく理解しました。
母も出し渋ってたわけではないと思うのですが、私がちゃんと話を聞いていなかったのか、記憶の改変がおきてたのか、私は長い間にわたって離婚理由について勘違いをしていたことに気付きました。

それまでは父がお金にだらしなかったから離婚したんだと思っていたんですよ。
実際、パチンコにはよく行ってたので。
嫌だったところとしてはそれもあった、という程度の話だったのかもしれません。

改めて聞いたら、母が若くして家庭に入ったこともあり息苦しさを感じて離婚を申し出たという話でした。
父はしばらく離婚には反対していたとも。
聞いたときは(なんだって!?全然思ってたんとちゃうやん!)って気持ちになりましたが自分が勝手に勘違いをしていたのかもと思ってなんだか恥ずかしくなって、母の前ではオーバーリアクションはせず平静を装っていました。

ここまでの話からすると両親の離婚に関して、私自身が相当ネガティブな印象を持ってるように見えると思うのですが、そうでもない側面もあったりします。
離婚したあと、成長の過程でこの場面は父親にいて欲しいと考えることは特になかったように思います。
物心つく頃にはいないものとして頭数に入っていないので、自分の場合は何かしてほしいとを考えることすらないって感じでした。
また、友達の父親に会う機会自体があまりなかったからかもしれませんが、周りと比較して淋しいと思うようなことも特にはありませんでした。

第三者からするとこういう反応は可哀想とか淋しい子だなと取られたり、冷たい子供だったんだと捉えられたりもするのかもしれませんが。

強いて言うなら母が忙しく働いていたので小学生の頃の授業参観に母が来れないことを淋しく思うようなことはあったかな。
一方で働く母をかっこいいと思っていたので、一般的な父親像を母に見ていたのかもしれません。

離婚後の父との関係や母のことについてもまだエピソードがあったりするので、その話は次以降の記事で書きたいと思います。

おわりに

これまでの人生を振り返るということで、今回は小学校にあがる前までの出来事をメインに書いてみましたが、詳しく書きすぎると身バレするんじゃないかと少しビビってきました。
交友関係は狭いので知り合いなんぞ誰も見てないとは思うけども。

粒度も手探りなので、書き進める中で粗くなったり細かくなったりするかもです。
とりあえず、次は小学生時代について書く予定です。

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