伝統文化① なぜ歌舞伎役者は男だけなの?

こんにちは。通訳ガイドのぶんちょうです。

ガイド中に歌舞伎座の建物が目に入ると、必ず外国人観光客に説明するのが歌舞伎についてです。現存の建物は銀座・大阪、共に建築家、隈研吾氏の手がけたものでインパクトがあります。

歌舞伎ファンの方は結構たくさんいらっしゃる一方で、一度も歌舞伎を見たことがない方も多いと思います。外国人に聞かれるかもしれない歌舞伎のこと。一度は見ておくことをおすすめします。

歌舞伎はチケットも高そうだし、なんとなく敷居が高いと思う方いらっしゃいます。でも、実は1000円前後で見ることもできます。その話は一旦置いて、ちょっと歴史の話になります。

歌舞伎の発祥は「出雲の阿国」という話は聞いたことがあるかもしれません。阿国が現れる前、江戸時代の初めに社会に対して斜に構えた人たちが出現していました。彼らはかぶき者と呼ばれていました。

「かぶき者」
並外れて華美な風体をしたり、異様な言動をしたりする者。だて者。

イメージは、昔のヤンキーみたにな感じでしょうか。中には罪になるようなこともする人もいました。ところが、彼らは意外にも庶民から密かに応援されていたようなところがありました。表立って社会に反抗できなかった江戸という時代背景のせいでしょう。闇のヒーローですね。

このかぶき者を真似たのが出雲の阿国です。彼女は本当にぶっ飛んだ女子で、当時、サムライしか持てない刀を2本も腰からぶら下げ、十字架を首に下げて男装し、京都で踊ったというのです。

阿国は話題になり、阿国の真似をする人があちこちに現われます。やがて遊女も同じような踊りで人を寄せるようになりました。(実際には遊郭のオーナーが客寄せのために遊女にセクシーな踊りをさせ、お客を惹きつけて遊郭の商売につないだようです。そしてこれが全国に広まりました。

そんなわけで、初期の歌舞伎というのは遊女歌舞伎と言って風俗を乱すようなものとして流行っていました。そこで政府は、こいつはけしからんと女性の役者を禁じました。その代わりに若衆歌舞伎という若くて美しい男性が中心のものになりました。しかし、これもまた風紀を乱すとして(ファンは女性だけでなく男性も)禁止になりました。

女性だめ、少年だめ、残るは成人男子のみ。これが野郎歌舞伎と言われるもので、今の歌舞伎につながっているのです。女性役は女形と言われ、本物の女性以上に女性らしいと言われる役者さんたちです。

そして、若い女性や男性が色仕掛けで人を集めていた歌舞伎が、成人男性の役者のみになることで、「売り」がやがて歌舞伎の演目の内容の濃さに変わっていきました。ビジュアル重視からコンテンツの充実への流れですね。

江戸の歌舞伎は、テレビも映画もない庶民にとって一番の娯楽です。おしゃれをして芝居小屋へ行き、そのなかで持ち込んだごちそう食べながら歌舞伎を鑑賞することは、封建制度の下で苦しい生活を強いられる庶民がすべてを忘れて、一時の楽しみにふけることのできる最高の娯楽でした。

今の時代に歌舞伎に行くのとは感覚的にだいぶ違いますね。この続き、江戸の歌舞伎見物の仕方、舞台装置の話などは明日、別のNOTEに書くこととします。

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