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もう見ることができない都内最古の木造駅舎原宿

通訳ガイドのぶんちょうです。原宿の駅舎は、通訳案内士の私にとって思い出の場所になってしまいました。この駅舎は1924年、関東大震災の翌年に建てられました。1920年に明治神宮ができた4年後です。そして2020年、96年間にわたって一日も休むことなく働き続けた、この小さな駅の解体が始まりました。

解体の理由

解体の理由は老朽化、特に木造なので現在の耐火基準に満たないということだそうです。そのきっかけとなったのは、2020東京オリンピックの開催決定です。

原宿駅からすぐの場所にあるのは、約60年前1964年のオリンピックのために建てられた国立代々木競技場です。建築家丹下健三のデザインで流れるような屋根の曲線の美しい、遠くからでも目を引く建物です。当時はバスケットと水泳競技が行われました。

2021年のオリンピック、パラリンピックでもハンドボール、バドミントン、ウィールチェアラグビーに使用されたようです。

世界中の観光客が押し寄せるオリンピックで、この小さな駅舎が、この競技場へ向かう人々を安全にスムーズに運ぶ役割を果たすには無理があると判断されたのでしょう。地元の方々の反対は当然ありましたが、結果的に取り壊しの運命となりました。

奇跡の建物

原宿付近は第二次世界大戦で激しく被害を受けた地域です。表参道沿いにずらりと並ぶケヤキの木も、空襲で数本を残して全部燃えてしまいました。現在のケヤキは戦後に植え直されたものです。

そんな場所で一体どうやって、この木造の建物が生き残ったのでしょうか。「原宿駅は奇跡だ」と私は外国人観光客に説明していました。

というのも、実際に焼夷弾を落とされながら、すべて不発弾だったと言われているからです。しかも一説によれば、その数は11発だったそうです。原宿駅は、戦争では生き残れたのに、オリンピックでは生き残れなかったのです。

デザイン

原宿駅舎は、洋館のようなたたずまいです。フランスとスイスの国境、アルザス地方で沢山見た家がハーフティンバーという建築方法でしたが、この駅舎のデザインがそれで、壁の外に装飾的に梁を露出させています。

屋根の上には八角形の尖塔が乗っていて、可愛らしさに加えて、端正な感じのする建物でした。ステンドグラスを使用したり細部にもこだわりが感じられました。正面の大きな時計もレトロな雰囲気に一役買っています。

独特の雰囲気の駅前

JR山手線沿いの駅原としては、原宿のすぐ近くの渋谷や新宿駅があります。どちらもターミナル駅として、日本人でも迷う人の多い巨大な駅です。駅周辺も高層ビルやデパートに囲まれています。

ところが、この原宿駅は一日の乗降者数が7万ありながら(都内の駅としてはそう多くない数ですが)駅周辺にはデパートも高いビルもありませんでした。

改札も二つだけ。明治神宮側と竹下通りに出る竹下口だけでした。実に簡単で、方向音痴の私にとっては、この駅がほっとする理由のひとつだったのかもしれません。

改札口は、そういえば、もうひとつありました。一年に一度だけ開く改札です。明治神宮に直接入れる形の改札がお正月だけ使用できたはずです。

宮廷ホーム

駅周辺にデパートなどがない理由で考えられるのは昔、原宿駅にはもう一つのプラットフォームがあったことです。宮廷ホームと呼ばれる皇室専用のものです。大正天皇や昭和天皇や皇族の方々によって2001年まで「お召し列車」の出発駅として利用されていました。

原宿駅が新しくなると言うニュースを聞いて、新しい駅ができることはうれしいこととして、昔の駅舎もなんとか保存の方向で動いてくれるように願っていました。

ですが、長い時間かかって出た結論は残念なものでした。せめて、この駅の残された時間は、ひとりでも多くの外国人観光客に原宿駅の歴史をしっかりわかってもらい、できれば記憶に残して欲しいという気持ちでガイドをしていました。

「写真を撮れる最後のチャンスです」

そう言って、外国の人たちにこの駅の写真を撮ってもらったものです。この駅の最後の日は観光客と一緒に、きっと見届けようと思っていましたが、コロナによって、それもかなわないことになってしまいました。新しい駅は、まだ見ていません。



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