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今日が最後の日になっても後悔しない「いってらっしゃい」を言っていますか?

おはようございます。らっこです。

今日は私が毎日心がけている話を書きます。

朝から重い話が嫌な人は、ここで回れ右してくださいね。

私が毎朝心がけているのは、

今日が最後の日になっても後悔しない「いってらっしゃい」を言うこと。

具体的には、

もし今日、家族が死んでしまったとしても「せめてちゃんといってらっしゃいって言えばよかった...」って思わないレベルの「いってらっしゃい」を言うことを心がけています。

なんやねんそれ、って感じですか?

ちょっと意味不明かもしれません。

実際に今日家族が死んでしまったら、それどころじゃないと思います。

我ながら縁起でもないこと考えてるなっていうのは頭ではわかってるんです。

でもこれは、おまじないのようなもので。

今日が最後の日になっても後悔しない挨拶をしていれば、今日も元気に帰ってきてくれるんじゃないかなって思うのです。

そんな思いを込めて、「いってらっしゃい」を言っています。

朝はなにかとバタバタしているし、時間がないときに限って子どもに手がかかったり、イライラすることもあります。

とても笑顔になれる気分じゃないときもある。

でも朝からどんなにイライラしていても、朝の別れのあいさつをするその瞬間だけは「今日が最後になっても後悔しないように」を心がけています。

人との別れはいつも突然です。

「最後ちゃんと挨拶できなかったけど、まあまた会えるだろう」って思っているときに限って、悲しいことが起こったりします。

私の場合は母であり、父でした。祖母もです。

「あのとき、ああしておけばよかった」っていう小さな後悔は、一生ついてまわります。

私の場合は「いま調子いいな」って思っているときほど悲しいことが起こりやすいので、特に気を付けています。

いつもと変わらない日常があることを当たり前だと思わないように、と自分に言い聞かせています。

夫にはこの感覚、よくわからないみたい。いつも「大げさだな」と言われます。

もしかしたら経験したことがある人にしかわからない感覚なのかもしれません。

母の日に「電話したら?」と言っても、「恥ずかしいから嫌」と言って電話しないしね。

いなくなったら「ありがとう」も言えないのになあ、と思いながら聞いています。

まあ、皆そんなもんなのかな。縁起でもないことはよくわかっているから、人に無理強いはしません。

だから今日も心の中でこっそりと「無事に過ごせますように」とおまじないをしている私です。

大げさくらいでちょうどいいと思うんだよな。


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