ローエングリンとDuring the demise


はじめに

 初めましての方は初めまして、そうでない方はこんにちは。サクラと申します。ショーレストラン・スターレスに足繁く通い、ナンバーワンシンガーの衣装の隙間にチップというチップを詰め込むことを生業としているしがない小鳥です。

 嬢ちゃん各位、BLACKLIVE、楽しかったですね……。いまだに余韻がすごく、早く円盤発売されないかな……と思う次第です。

 さてそんな中、私にはBLACKLIVEと同じくらい楽しみにしていた一大イベントがありました。ライブの1週間後の3月7日、滋賀県びわ湖ホールで行われたオペラ「ローエングリン」の公演です。新型コロナウイルスの影響で、完全なオペラ形式ではなく、舞台装置がない演奏会形式のセミ・ステージ形式だったのですが、無事に開演されました。

 「ローエングリン」はブラックスターシーズン1第1章「Back in the BLACK」公演曲「During the demise」の原典になります。大体の話の概要はインターネットで調べればいくらでも分かるのですが、実際に公演を見て、キャストの演技や歌を聞いたほうが理解が深まるのでは……と思い行ってきました。


ローエングリンストーリーの概要(全三幕)

第1幕

 ハンガリーの侵略に対抗する軍を組織するため、ザクセン軍を率いてブラバント公国を訪れたドイツ王ハインリヒ。彼はこの国の内紛を聞き、裁判を主宰することになりました。訴えたのはブラバントの有力貴族、フリードリヒ・フォン・テルラムント伯爵(ソテツ/シン)。告訴されたのは公女のエルザ(スターレス客)で、公国の継承権を持つ弟ゴットフリート(ギィ/真珠)を彼女が密かに殺した、というのです。

 自己弁護のために呼び出されたエルザでしたが、彼女の言葉は夢見ているようではっきりしません。それどころか、ある凛々しい騎士が自分を助けにきてくれる夢を見た、などと言い出します。これ以上議論の余地はないと判断したハインリヒ王は、神の裁きを求めるため、決闘により正邪を決めることにしました。

 そしてそのとき、エルザの祈りに応じ、白鳥の曳く舟に乗って、謎の高貴な騎士(後のローエングリン。ケイ/リンドウ)があらわれました。騎士は、エルザを助け、夫となることを宣言し、彼女も夢見るような気持ちでそれを受け入れました。しかし、彼は条件をつけます──「自分がどこからきたのかはもちろん、素性も名前も決して訊ねてはならない」と。

 エルザはこの約束を守ると誓い、それを受けた謎の騎士は易々とテルラムントを打ち倒し、エルザの潔白を証明してみせたのでした。


第2幕

 偽りの告発をしたと見放されて国外追放を宣言され、名誉を失って嘆くテルラムント伯爵。そこに妻・オルトルート(Dtdでは男性の魔法使いとして扱われている。吉野/ヒース)が智恵をつけます。あの謎の騎士は魔術を使うまやかし者だ、エルザをそそのかして「禁断の質問」をさせれば、あの騎士の魔力はたちまち地に堕ちるはずだ──と。

 そんな話をしていると、エルザが幸福に酔いながらテラスに現れます。オルトルートは言葉巧みに彼女に取り入り、その同情を得ようとします。そして優しげな言葉で、エルザの心に少しずつ毒を流し込んでいくのです。──あの男を信じてもいいのでしょうか、と。

 夜が明け、騎士とエルザの結婚式が執り行われようという場面。オルトルートとテルラムントは、エルザに付き纏い、謎の騎士の素性を貶す発言を繰り返し、彼女に執拗な攻撃をするのでした。そしてついに、エルザの胸にも騎士への疑いが芽生え始めます。


第3幕

 それは婚礼の夜のことでした。エルザは心の迷いを抑えかね、騎士が必死に押しとどめるのも聞かず、ついに彼へ「禁断の質問」をしてしまいます。その瞬間、隙を見てテルラムントが配下とともに侵入してきますが、騎士は難なく彼を打ち殺します。

 しかし騎士は、もはやこれまでと、翌朝人々を前に自らの素性を明かすのでした。自分は遥かな国モンサルヴァートの城において、聖杯グラールを守護する選ばれた騎士団のひとりであり、父はパルツィバル王、我が名はローエングリン、と。

 聖杯守護の騎士には、グラールの命により遣わされた先の地では、決してその身に疑いをいだかれてはならず、もし素性と名が知られれば、そこを立ち去らなければならぬという定めがある。ローエングリンはそう語り、エルザに別れを告げるのでした。やがてグラールから遣わされた白鳥が小舟を曳いて現れます。

 突如、群衆の中からオルトルートが躍り出て、ローエングリンの前に立ち塞がり、その白鳥こそ、エルザの弟にしてプラバントの世継ぎたるゴットフリートであり、自分が魔術で白鳥の姿に変えてやったのだ、と叫びます。

 しかし、オルトルートの威嚇を聞いたローエングリンは、静かにグラールへの祈りを捧げます。それに応えたグラールの力により、白鳥は凛々しい少年ゴットフリートの姿に戻りました。エルザは夫の姿を探し求めますが、彼はもういません。グラールが代わりに遣わした白鳩の曳く小舟に乗って、彼の姿は遠ざかっていくのでした。


During the demise 公演概要

<ケイver.>

その王国は簒奪者に狙われていた。囚われた王と、深い傷を負った騎士たる王子の前に名もなき剣士が現れる。「この王国のために戦ってやろう。だが、この名を問うてはならない」──男は救国の剣となるか。

<リンドウver.>

危機に瀕したその王国を救うため、現れた一人の剣士。名乗らぬことを条件に、簒奪者と対峙する男は知っている。やがて始まる滅亡の時を、避けることはできないのだと。それでも──星のない夜の先へ歩き続けるなら、深淵にも似た名もなき影に魂を賭けよ。

白鳥の騎士(ローエングリン):ケイ・リンドウ
エルザ・フォン・ブラバント:観客
ブラバント公:銀星・金剛
フリードリヒ・フォン・テルラムント:ソテツ・金剛
オルトリート:吉野・ヒース
ゴットフリート:ギィ・真珠


原典とDuring the demiseを比べてみての考察

 Dtd公演はみんな大好き関係値ストーリーを読んでも、なぜこの配役なのか、本当に当て書きなのか、など謎が謎のままで残されている公演のひとつです。

 というわけで、以下は原典「ローエングリン」を踏まえたDuring the demise(以下Dtdと略)公演の考察になります。サクラ個人の解釈や考えや妄想や偏見が爆発しているため、一個人の考え程度で読んでいただけると幸いです。


 まず初めに、Dtd公演は当て書きでありつつ、当時のスターレスの仕組みを現した公演であるということを前提に話を進めていきたいと思います。

 Dtdは、「救国の剣」とも呼ばれていますが、「国を救う」イメージの強い公演ではないでしょうか。原典でもローエングリンが軍の指揮官になるというシーンがあります。しかし、それは最終的に身分を明かしてしまったため敵わないものでした。原典で彼が剣をふるったのは、国のためではなく、主にエルザのためです。Dtd公演では、「救国」に重きを置いているなというのが所感です。

 「ローエングリン」のお話は、そのままでもじゅうぶんスターレスの公演にできそうなお話です。第1章関係値Lv7「インタープリテーション」で、銀星が「前にも『ローエングリン』が候補に上がったことはあったが」と話していますし、第1章関係値Lv5「テンプテーション」では吉野も自分の歌のパートに違和感を感じているので、少し原典とは違う部分が含まれています。

 順に見ていこうと思います。まず銀星のブラバント公という配役について。銀星は前述の通り以前から「ローエングリン」が公演候補に上がったことはあったが、「ブラバント公がここまで大きく扱われることがなかった」と話しています。原典どおりにいけば、おそらくブラバント公のかわりに、ハインリヒ王が配役されるのでしょう。原作オペラでは、ハインリヒ王は裁判を主宰するキーパーソンです。劇中で国王のバスの歌声は、圧倒的な存在感を放っており、これは私の所感なのですが、絶対に外せない役だと思っています。

 それに対し、第1章関係値Lv1「ディスコミュニケーション」でも明かされていますが、銀星の役であるブラバント公は原作では一切出てきません。ゴットフリートも話しはしませんが、最後に「存在する」シーンが見受けられます。ブラバント公は既に亡くなっており、「ローエングリン」はその世継ぎを争うことを軸に話が進められています。しかしDtd公演では、実は王は死んでおらず囚われていて、王子の行方不明も仕組まれたものである、となっています。

 ハインリヒ王を外してまで、ブラバント公を配役する理由があったと考える方が妥当です。ではなぜ?

 ここで前提に戻ります。スターレスの公演は基本キャストへの当て書きですが、Dtdは当時のスターレス自体を模しているのではないか?という考えです。

 ブラバント公国をスターレスとすると、ブラバント公国を「救国」しにきた剣は、何度も「スターレスを救うために来た」とだけ言い、それ以外の質問には今は答えられない、と言い続けるケイに他ならないでしょう。ちょっと話が逸れるかもしれないのですが、ボイスドラマ#4本音が見えない男で質問を突っぱねるケイにリンドウが「それではあなたを信じられない」と非難するシーンがありましたね。「ローエングリン」でも、エルザを含め、人々がローエングリンに対し疑いを抱くシーンがあります。あの「質問に答えてくれないならあなたを信じられない」は民衆の代表的意見だとも取れますし、ケイが「信じてほしいとも思っていない」と答えたのは、相手がリンドウ(ヒロイン以外の人間)だったからなのかもしれません。

 さてローエングリンはケイそのものだとして、ブラバント公はどうなるのでしょう。銀星の「実は王は死んでおらず囚われていて、王子の行方不明も仕組まれたものである」の説明をそのまま引っ張ってきますが、これ、銀星とギィ、それぞれ慕っている人々に変換するとどうなるか。「実は演出家夫妻やオーナーは囚われていて、マスターの行方不明も仕組まれたものである」となります──表現としては過激になってしまうのですが、行方不明となったひとたちがここで関わってくるのではないか、ということが考えです。ブラバント公国≒スターレスとすると、王と王子、演出家夫妻やオーナーは国にとって必要な人々でしたから。そこに銀星・ギィを当てているのは、ある種の「自立」をあらわしているのかもしれません。

 そしてオルトリート。原作ではフリードリヒの妻として現れますが、公演の仕組み上男性の魔法使いとなっています。キャスト・吉野/ヒースのパートはラップ部分。第2幕第1場、オルトルートとフリードリヒの言い合いのところのオルトルートパートから取ったのでは、と思っているのですが、どうだろう。噛み砕いていきますが、英弱なので和訳が変だったらすみません。

Here I am! Why are you surprised?
(私はここにいる! なぜ驚いているんだ?)

What do you want with me? Let's see,
(私と一緒に何がしたいんだ? どれどれ、)

Are you afraid of me? Do you doubt my power?
(私を恐れているのか? 私の力を疑っているのか?)

Put it, put it to the test then!
 (言え、そしてその真価を問え!)

 第1章関係値Lv5で吉野が「『なぜあのシーンなのか』わからないんだよね」「どうしてそそのかす相手が、王と王子なんだろう」と言っているので、おそらく原典ではエルザやフリードリヒに語りかけていた部分が、王と王子にむかって語りかけているシナリオになっているのかと思われます。

 ここでオルトルートという人間像に触れたいのですが、オルトルートは古代ゲルマン教徒。キリスト教徒を憎んでおり、常に強い復讐の念に燃えています。
 シーズン1最終章ボーダーライン「During the demise」では、ヒースが「ただ、シンが中立なのはわかる。ケイ側でも、反ケイ側でもない」「派閥争いっていうか、ケイについていけるか、反発するか、みたいな感じ」と述べています。ケイ側→キリスト教徒、反ケイ側→ゲルマン教徒とすると、チームKで明らかにケイに反発の意を見せているのは現時点で吉野だけであることに類似します。
 そして、シーズン3の今、夜光が新しいチームを作るため動いていますが、銀星やギィはそれに混じらず、吉野と、オルトリートの言葉を聞いたフリードリヒであるソテツがこのチームに参加することになっています。

 そしてフリードリヒですが、彼はオルトリートの言葉を聞いて自分の選択を決めます。ソテツのキャラクター像からすると原典のプライド高いフリードリヒよりかは、「吉野についたほうが面白い」という程度なのですが、立ち位置的には吉野側につくのがソテツである、ということなのかもしれません。原典を見る感じでは、オルトリートとフリードリヒはなんとなくセット、というイメージを持ちました(所感)。ただ最終的に、オルトリートの言葉に操られ、自ら破滅に陥るのがフリードリヒ。ソテツは破滅の前に身を引けるのか、というところがこれから注目すべきところなのかもしれません。

 最後にゴットフリート。第1章関係値Lv3「ギブアップ」では、「ボクは裏切らない」と言ったギィに、ケイが「だから今は貴様が『王子』役なのだ。『王子』は言葉を持たぬ白鳥が故に、一途に姉姫と騎士の絆を保とうとする。──だから、今の貴様なのだ。魔法使いの諫言から、姫を守れ」と言う箇所があります。ケイがいなくなったあとも、ギィはずっとヒロインを守ってきてくれていますが、ケイは「今は」と主張しています。ボイスドラマ#6でも、「貴様が自分で何かを判断する時が必ずやってくる」と言っています。激動の今、ギィが何を考え、どう動くかも楽しみです。


 ここまでが原典から見たDtd公演の考察となります。最後に、ブラックスターが女性向けゲームであることを踏まえて、ちょっとだけ私の考えメインでお話ししたい。恋愛要素が苦手な方は飛ばしてください。

 突然ですがみなさんは、いつもキャストからの言葉を聞いてどう思いますか。キャスト、特にケイやヒースがヒロインのことを大事にしてくれているのはわかるし、信じたいけど、なんとなく距離を感じませんか。キャストのことを少しずつ知れば知るほど、関わっている期間が長ければ長いほど、なぜかいっそう距離を感じてしまう。私はストーリーを読んでいて、いつもなんとなくそんな感覚に襲われていました。
  そしてこの感覚こそが、エルザがローエングリンに感じたことなのではないかと私は思います。エルザはローエングリンに素性を聞いてはいけないと言われ、そう誓いますが、最終的には不安に駆られ約束を破ってしまいます。エルザが「あなたは私の名前を呼ぶのに、私はあなたの名前を呼べない」と嘆いた時、そうだよな……と勝手に苦しくなったのを覚えています。私たちはキャストの本名さえ知らないんだ……。
 と言っていたら悲しくなってきてしまったので、この辺で終わりにしましょう。悲劇はだらだら続くのはよろしくない。ローエングリン、悲劇の絶頂で終わるところがいいなと思いました(小並感)。

さいごに

 ダラダラと書いてきましたが、「ローエングリン」のお話自体は、宗教的対立をスルーすればおとぎ話のようで読みやすいと思います。対訳なんかを読んでみても面白いかもしれません。
 そして明日はホワイトデー。まだ羽瀬山に本命チョコを渡せなかったことを引きずっていますが(奥さんいるのかな!?)、推しからのお返しトークで死なないよう、強く生きたいですね。それでは。 

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