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自分探しをしている人、それ必要なの?

「自分のしたい事が分からない」「自分で自分が分からない」永遠の課題だと思ってた。この課題が時に自分の足を止めていた、自分が檻の中でもがいているように感じた事もある。

今日話をした友人は全く別の視点を持っていた。

「自分探しって、する意味ある?」
「自分のことが分からないなんて、そんなの当たり前のことすぎる、それを探しながら生きていくのが人生なんじゃない?」
「だから自分がナニモノかなんて考える必要あるの?」

「だってさー、自分のことが分かれば、自分が何をするべきか見えるんじゃないの?」「何をしたらいいのって悩まなくてよくなるんじゃないの?」

「どうして基点を自分がナニモノかに持っていく必要があるの?」
「今の自分が自分。今までやってきた事の集大成が自分の正体。これからもどんどん変わっていくから、自分がナニモノか分からないのは当然」
「なのに自分って何なのだろうって考える必要があるの?」
「自分の事を知りたかったら、目の前にあることをどんどんやっていくしかない。行動するしかない」

私にとっては衝撃的な発見。実は2日前にも同じような話を聞いたところだったんです。その話の発端は、

「自分のしたい事が分からない、これってもしかしたら、何かをやって失敗してがっかりするのがイヤだから、やりたいけど失敗しそうで不安なものを排除した中から探そうとしているから、その中にはやりたい事がない状態なのかな?」

「大きなものとか具体的なものを探そうとするから分からないのよ」
「例えば、大統領になりたいと思っても、最初の一歩は地域ボランティア活動かもしれない。視点を変えれば、地域ボランティア活動をやったから大統領になることが自分のやりたい事だって分かったのかもしれない」

「達成したい事とか未来の自分の姿とか、今想像しているものとは99%違うものになってるものなのよ」
「具体的に最後はこうなっていたい姿が見えているわけじゃないの。だって変わるんだから。でも幸せになりたいって欲求は死ぬまで続くのよ」
目先のなりたいを早く達成しないと次のなりたいに着手できないのよ」
「沢山やればやるほど幸せになれるって知ってるから、繰り返しやり続けているの、これが世間で言う自信ってことよ」

いやはや、人間は面白い。皆ゴールは同じはず、幸せになりたい。

でも基点(起点?)が違う。

自分のしたい事が分からなくて動けない人(私はこのタイプ)は、これからの自分が正しい方向に進むために、自分の起点(≒過去?)を探ろうとする。それが分からないと動けないことがある。

自分のしたい事が分からなくても動ける人は、自分の起点は常に今、これからの自分を早く見たいから、それが自分探しだから、止まる事がない。

そーか、動く人の思考回路って、こういうカラクリか!

私はこの数日、秘密の扉を開けてしまったような衝撃を受けているのですが、誰かの参考になれば嬉しいです。


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