空想する、

わるいことをするとサンタさんがこない話。
大きな雷がなるとおへそを隠さなければ取られてしまう話。
スイカの種を食べるとお腹からスイカが生えてくる話。

子どもの頃の大人におどかされた経験は、いくらでもあげられそうだ。

おかげで私は小さい頃、「そんなことないだろ」と思う気持ちも抱きつつ、悪いことをしたらどこか遠くに連れて行かれてしまうと思っていたし、その時見ていたアニメの登場人物にしまわれてしまうと思っていた。(某しまっちゃうおじさん)
幾度となくしまっちゃうおじさんの夢を見て、泣いて起きた。
ちゃんと怖かった。
ぼのぼのの気持ちがよくわかったし、大人(というか家族)の思惑通り、それなりにいい子でいるようになった。

一方でそれと同じくらいのエネルギーをもって、空想的な生き物、例えば幽霊とお化けとか、妖怪とかへのあこがれや興味も強かった。
学校の図書室に入り浸って、本を読み漁っていた。
いるいないかはさておき、今でもなんとなくすきである。

当時兄弟は、そんな私について「気持ち悪い」と言っていて、私は言われるたびムキになった。
でも反論の言葉も思いつかなくて、泣いていた。
実際いるかどうかは、当時の私にとってもどちらでもよかった。
ただ自分の空想の世界に茶々を入れられた事実が悲しくて、上手に反論できない自分にも憤って、泣いていた。

筋金入りの空想癖の私は、乗り越えなければならない困難に出くわすたび、空想とともに乗り越えていた。緊張する傍ら、空想していた。
子どもらしい器用さだと思う。

ちょっと目の前にいたら怖くてないちゃうかも、なおばけや妖怪への興味から始まった空想癖は今も生きていて、暇なとき、子どもの頃の私が顔を出して、勝手に空想を始めてくれる。それは今も私を支えてくれている。

もうサンタもしまっちゃうおじさんも私の行動を制限しない。
その代わりに社内規定とか常識、とかが大活躍しているなあ。
大人になってしまった。よくもわるくも。

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