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半生を反省

僕は42歳。世間でいうおじさんだ。恥ずかしながら自分がおじさんの仲間入りした事を最近になり身に染みて感じるようになった。
今までは、見た目より若く見られ自分がおじさんという事に気付かず、若者まではいかずともまだまだおじさんの括りに当てはまる事は僕自身思っていなかった。
いや、おじさんとわかっていながらも僕以外の42歳はおじさんだと現実を受け入れてこなかったのかも知れない。
周りの友人達はハゲてきたり、メタボになりいかにもおじさんの代名詞と言える現象が僕にはない。
結婚はしていないので勿論子供がいるわけではない。
結婚願望が元々薄かった。
それが最近、いい人とタイミングが合えば結婚もしたいと思うし、子供も欲しいと思うようになった。
周りの環境や年齢により少しずつ僕自身考え方が変わってきたのかもしれない。

というのも、母が癌の宣告を受けた。

父は2015年5月にやはり癌で他界した。肺がんから肺炎による合併症だった。

僕は家族の死に直面したのは初めてだった。
父の死をずっと受け入れる事は出来なかった。

こんな悲しくて悔しくて後悔したのは初めてだった。出来ることなら二度とあんな気持ちになりたくない。

幸い、母は子宮癌でお腹のリンパ節に転移があるものの8割以上の確率で助かると医者に言われた。

しかし、癌に対しては父の時の印象が強く、僕の中で医者の言葉はそんなに楽観的に考えられるものではない。

父が癌宣告を受けるまで、いや、その数年後まで僕は社会から道を外れた人生を送ってきた。

いわゆる麻薬中読者だった。
働いてはドラッグを買い、仕事に行けなくなり、また働いてはドラッグを買うという生活を20年以上過ごした。
ドラッグと言われるもの全てに手を出した。
お金がなくても薬がある。
無敵だった。
ピーク時はドラッグで死ぬならそれでいいくらいに思っていた。
今考えるとまさにイカれた思想だ。
ドラッグのヤりすぎで何回も救急車で運ばれた。
警察にも捕まった。
しかし、常日頃からドラッグを手にいれる事で頭がいっぱいだった。

そんな無意味な生活を(その時はそれが快楽)送っている最中、父を癌で失くした。
もちろん父が失くなったことでなにも手につかないくらいに後悔した。
その悲しみを乗り越えるためにまたドラッグに手をだした。
また、ドラッグとは関係はないが警察のお世話にもなっている。
そんな状態の僕を見ていられなかった母と妹は僕を精神病院へとぶちこんだ。

まともな思考回路ではない、僕自身、どうにでもなれどいう負のスパイラルの中、留置場や精神病院で自分と向き合う時間が嫌と言うほどできた。
時間が有り余ってしょうがない。
入院の時は国が唯一認めている睡眠薬というドラッグでしのいだが、だんだん馬鹿馬鹿しくなった。
留置場や病院はやることと言ったら読書だけだった。
最初は暇だし本でも読むか!と軽い気持ちで読んでいたが、読書の魅力にハマりいつしか本の虫となった。
ちなみにホリエモンのゼロという本は当時の環境の僕にはピッタリで僕の為に書いた本かと思うくらいに衝撃的だった。

自分と向き合う時間も貴重だった。
その時間で母、妹に薬が抜ききれた自分をもう一度見せ安心させたいと思った。
今までの半生ドラッグでしか満たされなかった自分が本当に馬鹿馬鹿しく思えた。
ドラッグの再犯率は50%以上と言われ、メディアでは経験のない評論家が躊躇なく誤報を伝えている。

しかし、僕はレアなケースかもしれないがドラッグ中毒は治ると思っています。
持論になってしまいますが、これは経験したからこその解釈です。(ここではこれ以上触れません。長くなってしまうので)

こんなプラスにもならない人生を送ってきたいま、母が癌と戦っています。父の時にもっとしてあげられた事を母と一緒に戦っていくつもりです。

色んな形があると思いますが、ドラッグを絶ちきれた今僕は妹と共に母と力を合わせ癌と戦い完治に向けて全力を注ぐ決意です。

僕は好き勝手に生きてきて、気がついたら人生の折り返し地点。

やれる事はやる。後悔の無いように。