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#手紙とコロナとレトルトカレーの話。④

④挑戦と勇気と命がけの仕事の話

前にも書きましたが、うちのお店にはたまに
「挑戦したいけど勇気が出ない」
「自分に自信が持てない」
「人生このままでいいのか不安」
という相談を抱えた人が訪ねてくることがあります。

多分そんな人たちにかける言葉は、
「そのままの君でいいよ!夢を追ってチャレンジしてみよう!」
的なものが模範解答なのはわかりきっているんですが、そもそも僕自身が
何かにチャレンジするたびに失敗したり後悔したりしているし、
もうすぐ実店舗をオープンして2年、間借りから数えたら5年近くカレー屋をしてますが確固たる自信なんて育ってこないし、
人生これでいいのかなんてほぼほぼ毎日考えています。

それでも、これだけ長いコロナ禍の中で、どうにか勇気を振り絞る方法だけは覚えてきました。
そんなわけで今回は、僕が勇気を絞り出すことを覚えた夜の話を書こうと思いました。

さて。前回からの続きで、
「コロナがあったからできなかったこと」
「コロナがあったからこそ生まれたもの」
を作ろうと決めたものの、具体的には何も思い付かず、そうこうしている間にも、コロナ禍は加速していき、
前々回書いた「時短協力金」の対象に漏れているため、店としての「終わり」までのカウントダウンは着々と進んでいきます。

「夢に向かってチャレンジしてみよう!」なんて人に言いたくても、現在進行形でこの世の地獄におります。
夢を追って生きたらこのザマです。

そんな日々が続き、気力が限界に達しつつあったある日のこと。
1つ思い当たったことがあって、故郷の母に連絡して頼んだことがありました。

頼んだのは、「祖父の手記か、仕事の記録のようなものがあったら送って欲しい」ということ。

約10年前に亡くなった僕の祖父は、田舎で小さな会社の社長をしていました。
母子家庭だった僕は、母が働きに行っている間、祖父と祖母に遊んでもらって育てられました。裕福ではありませんでしたが、可愛がってもらったのでそれなりに幸せな少年時代だったと思います。

僕が物心つく頃には祖父は会社を引退していたので、あまり「経営者としての祖父」は記憶にありません。
僕にとっての祖父は「いつもニコニコしながらおせんべいをかじっている、のんびりした優しい人」でした。一度も怒られた記憶はありません。
いちばん身近な経営者の先輩が、なにか壁に当たったり、苦しんだりしながらそれを克服した経緯のようなものが無いか、
何よりもギリギリの所で戦って磨り減って白旗寸前の僕を救ってくれる、
優しかった祖父が生きていたら「よくやった」と言ってくれそうな、磨り減りきった自己肯定感が高まる何かがないかと思ったのです。

結論から言うと、その期待とはまるで真反対のものが届きました。

母が送ってきてくれたのは、祖父がかつて載った地元の新聞記事でした。
祖父の仕事の内容や、戦争から帰ってきて、ひもじい生活の中で仕事を始め、社長になり、部下が出来、部下を守るために必死で戦い、苦労したことなど、
詳しいことは書いたら長くなるし書いていいか判断がつかないので割愛しますが、大きな問題や組織と戦い続けた、とんでもなく壮絶な人生でした。読むまで全く知りませんでした。

記事中の一文にあった、忘れられなくなった祖父の言葉があります。

「プロとは、“仕事に命をかけている”人」。

祖父は、“自分は既に2回死んだと思って仕事にぶつかっていた”そうです。
戦争に行った時と、戦後捕虜になった時。
それを思えば、なんだってできると思って働いたそうです。

「死んだつもりなら、何でもできる」 
「やるからには、命をかける」
「真剣にぶつかれば、必ずなんとかなる」


記事に出てくる祖父の言葉は、とんでもなく凄みのある言葉ばかりでした。

どちらかというと「お前は十分頑張っている、このままで大丈夫だよ」という救いのようなものを求めて祖父の記事を読もうと思っていた僕ですが、冷たい水を思い切り頭からかけられたような気持ちになりました。

コロナ禍での2年弱、僕はできる限りのことをやっていたと胸を張って言えると思っています。

ただ、「命がけ」だったか?
「命をかけている」と心から言えるほど、自分を使い切っていたか?
「死んだつもりで取り組んだ」なんて言えるほどの真剣さでいたか?

どれも甘かったと思いました。

僕はまるで、自分だけがこの世の地獄にいるかのように勝手に思い詰めていましたが、
僕を育ててくれた人は、
僕よりもずっと大変な状況の中で命がけで仕事をして、
きっと僕よりも何倍もあったであろう恐怖を乗り越え、
しかもそれを最期の最期まで孫の僕には全く見せずに、人生を全うしていったのです。

それから、なにかに挑戦する前の夜や、怖くて眠れない夜が来るたびに、祖父のことを思い出すようになりました。
「それに本当に命をかけたのか?」
「本当に命がけで仕事をしているのか?」
と、凄い時代を生き抜いた祖父が問いかけているような気がします。


僕はコロナ禍の中で、
「コロナがあったからできなかったこと」
「コロナがあったからこそ生まれたもの」
を作ろうと思っていました。
それに、
「命がけで、自分の人生が載ったものを作ろう」
というのが加わりました。
今年の春くらいの話です。

次回⑤、「忘れられないメールと手紙の話」に続く。

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