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建築家として美味しい煎餅を焼くには

以前テレビの番組で、東京下町の老舗お煎餅屋さんのインタビューがあった。もう老人といっていい店の主人が取材に答えて、「ウチは代々この場所で煎餅を売ってきた。先代もその先代も同じように同じ味の煎餅を作り続けてきた。俺のおやじは美味しい煎餅を自信を持って作っていれば、客は必ず来てくれると言っていた。そのおやじの言葉を信じて俺は今まで何十年も煎餅を作ってきた。」と話していた。
建築家という商売にこの話を当てはめてみると、世に活動する建築家の多くは、「頼まれさえすれば俺は美味しい煎餅を焼くことができる」と思っているだろう。その上で「俺に煎餅を焼いてくれという客がこないから、いつまでたっても俺の腕前を見せられないんだ。客が来たとしてもしみったれた駄賃しかくれねーんだ。あんな金じゃまともな煎餅が焼けるわけねーや。そんなところに、大手の菓子メーカーから安く大量に煎餅を焼いてくれって注文が来るんだ。あんな煎餅は煎餅じゃねーと本心思ってるけど、食っていくためにはしょーがねーや。そのうち俺の煎餅が好きでたまんねーって奴がきっと現れるはずさ。そしたら、腕によりをかけて美味い煎餅焼いてやるんだ!」みたいに感じていることだろう。
煎餅屋に置き換えてみると、何を呑気な事言ってるんだと思ってしまうが、本質的にはこんな感情を持ち続けて日々悶々と仕事をしている建築家がいっぱいいると思う。多分。。。
多分世の中には実際美味しい煎餅が焼ける建築家がいっぱいいると思う。でもそれを商売として成り立たせられるかは別の問題だと思う。世間に自分をアピールして、客になってくれる人(会社)を探してきて、報酬の交渉をして、作業をしてくれるスタッフを雇って、家業ができる環境を整えて、実務にあたり、プロジェクトを完成させ、報酬を頂く。これは「煎餅を焼く」だけの行為ではない。逆にそれ以外の膨大な仕事がある。そんなこと大学でも全く教えてくれない。
もっと悲惨なのは、世に活躍する先輩の建築家が自分なりに煎餅を焼けない現実に幻滅し、失望し、日常に振り回され、本来自分が作りたかった煎餅を忘れ、後輩にも「そんな夢みたいなこと言ってるんじゃない」と言ってしまうこと。またお客さんの中にも、美味しい煎餅じゃなく、スナック菓子でいいやと思う人が増えてしまっていること。
このままでは世の中から美味しい煎餅が消えてしまう。