給食当番みたいな世界
小学校の給食当番、わたしはいつも重いものばかり運ばされていたな。
早く外に遊びに行きたい男の子たちが早々に軽いものを持って行ってしまうから、残っているのは重たいものばっかりだった。わたしが運ぶしかない。
余り物には福があるなんて、そんな慰めなかなかないよ。
おぼんは食事前も食事後も当然重さが変わらなくてずっと重いから不人気。
大量に残った日の汁物もとても重かった。
手に持ち手の跡がくっきりついて真っ赤になった。
牛乳は軽いけどこぼれるとくさい。
残されたものが多いと1人で何個も運ばないといけない日もあった。
おぼんの上に不安定な牛乳たちを乗せる。
重い。こぼれる。くさい。最悪だ。
わたしは意外性とかなくめちゃくちゃ非力だ。
小学校のスポーツテストで測ったら左手の握力が5だったことがある。
そんなんだから、よく耐えきれず途中の階段とか廊下に一旦置いて休憩を挟んでいた。
床に座り込んでいると学級委員的な男の子がたまたま通りかかって掻っ攫っていってくれることもたびたびあった。
※ここから生まれるロマンスとかは一切ないよ
もうこれが世界の縮図でわたしの人生だと思った。
楽をしたがって自己中心的で誰かがその分を被らないといけないことをまるで考えない人、その分無理をしないといけない人、でも、なんだかんだ助けてくれる人がいる。
わたしがどう見ても運べそうになかったから助けてくれたんだろうな。
それで、この三者がいないと成立しない世界なのかなと思ったんです。
というかこれが世界じゃん。
自己中にサボる人たちがいなければもちろん平和だけど、
たぶんそんなことってありえなくて、でもこの人たちが100%だったらもちろん成立しなくて無法地帯だし、誰かしら嫌々手伝い始めると思う。でも何がなんでも動かない人もいる。
手を差し伸べてくれる人がいなかったら潰れたままなんだけど、意外とこの人たちも居なくならない。
誰かがなぜかどこからか現れてさっと助けてくれて、なんとかまだこうやって騙し騙し生き延びてる。
世の中って理不尽だけどうまくできてるよ。
掃除はいつも濡れ雑巾しかやらせてもらえなくて雑巾が真っ黒になったし、長いホウキはすぐに男の子たちが持ってって、まともに掃きもしないのに。
可愛い柄の雑巾、ママが買ってくれたのに。
机も椅子だけ運んだり、嫌いな人のは運ばなかったり。
怖かった。いつも。わたしの机運ぼうとしない人がいるんじゃないかって。
中学校を卒業したらそんなしょーもないことで悩む必要はない。女子高は平和だったし、そもそも給食もないし。
しかしながら、自分が出会う問題は、手を替え品を替え自分の前に現れ続けるらしい。
だからもう手を取り合える人だけでいい。
たぶん助けって求めた方がいい。本当は無理して重いものを休み休み運ばなくてもよかった。怒られたらきっと【連帯責任】でみんな怒られるだけだった。それでルールが変わってたかもしれない。
そんな気持ちばっかりでひねくれちまったわたしは自分の世界に関心のある人しか入れない。見ない。
それでも生きていたらまだ給食当番をやらなくちゃいけない瞬間がある。平等なんてない。しょーもないねって気付けたら少しマシだろうか。
わたしは力もないくせに助け合いたいって思ってるよ。
これはまとまらない話をなんとか掲載しようと試みたものでございます。
來世
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