生きていることの意味も、価値も何も分からないまま大人になってしまったけど、これが人生だという事は分かる。


最近、twitterのspaceが大好きです。知っている人の声を聴きながら作業をすると、なんだか気分が良いのです。そんでもって、参加して自分が発言するのも楽しい。

ついこの間も、読書仲間たちとspaceをしていたのですが、

「なぜ本を読むのか」という話題が出ました。spaceが終わった後もぐずぐずと物事の『意味』や『価値』を考えていました。(この「なぜ本を読むのか」というテーマについては、また来週8月5日spaceで皆さんと語ることにしたので掘り下げるのは置いておきます。)

この誰に頼まれたわけでもないのに考え込んでしまう性質は生まれ持ったもので、小さなころからぼーっと考え事ばかりして生きてきました。

そうすると、生きていることの『価値』『意味』『理由』とは何なのだろう?という疑問が定期的に登場してきます。その時々に、それらしい好みの答えや指針が出来たりもするのですが、いい歳になった今でもはっきりとした答えは分かりません。

本を読んでいると、それぞれの時代の優秀な人々が様々な方向性を示してくれますが、その答えは多岐に渡っていて私にはどれが正しいのか、全然分かりません。


私個人の話をすれば大人になった今でも責任は背負いたくないし、いつでも擁護されたい。分別のない子供のように心が満ちる瞬間をもとめたりします。

いつかこの人生に対する漠然とした不安感や、自分自身の頼りなさが無くなるときが来るのかな?と夢想したりもします。けど、実際の生活はいまいちパッとしないし、紙一枚重ねるようなペースでしか成長できない生々しい生活が続いています。

けどこの、生々しいダサい今がほかでもない『人生』なのだと最近思うのです。こうやって訳が分からないまま困って、右往左往して、失敗して。けど、それでも生きている。というか、そうするしかない。この積み重ねが生活の核であり、即ち『人生』なのだろうと。

人生における価値あるものとは何なのか、なぜ生きているのか、生きる目的は何なのか。そんなことを考えるよりまず、ただただ生活を営んでいく。それこそが、とりあえず人生らしい、と最近思います。


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