水曜日だからカレーにしよう

先生を亡くして1年経った。
思い出とか、そういう。

2019年7月29日。
子どもの頃からお世話になっていた先生が亡くなった。
書道の先生で、たぶんうちの家族の3人目くらいの先生。
元は母と兄がとある会で習っていて、飛行機の距離の土地に移り住み、改めて探した先生は字の毛色が違うといい、最初の会と同じ先生を母が探してきた。それがぼくの「先生」。
求める字を書く教室は、おそらくあの地域には先生のところしかない。

母より年上で、ぼくらきょうだいは孫のように可愛がってもらった。
元々大人にしか教えていなかったけれど、母が頼み込んで親子3人で通った。
慣れない子ども相手で大変だったと思う。
ぼくらきょうだいは暴れん坊ではなかったけれど、それでも小学生2人なので、なにせ落ち着きがない。
お茶とおやつとおしゃべりと時々筆。たくさん褒めてもらって少しのアドバイスをもらう。
1回に2枚いいのが書ければよくて、書けたら後はおしゃべりしたり本を読んだりしていた。
走り回ったりはしていなかったと思う、たぶん。暴れん坊ではないので。
余談だけれど、先生宅の本棚で初めて読んだ『十五少年漂流記』を大人になってから読み返して、南半球のことやイギリス、フランス、アメリカ(そしてニュージーランドも)の関係や人種のことなどなど当時理解できなかったところまで読み込めて非常に面白く読めた。あのタイトルを見ると先生のことを連想する。

話を戻そう。

そんなこんなで高校卒業まで通った。
家から車で30分、高校からは20分くらい。毎週水曜日がお稽古の日で、母が車で迎えにくる。
3人で夕方から2枚いいのを書いて(全然書けなくて唸ることもたくさんあったけど)、先生と楽しくおしゃべりして、帰る。

水曜日はカレーのことが多かった。
昼間に作っておいて、30分かけて帰ってきたら温めてすぐ食べられるからだったんだと思う。
だからなんとなくぼくの中では水曜日はカレーの日。
別に毎水曜日カレーを作るわけでも、カレーを作る日が必ず水曜日というわけでもないけど。

高校を卒業して進学のために実家を出てからも先生との付き合いはずっと続いていて、お手本を送ってもらって作品を送り返したり、送り返すことができずに手間だけかけさせたり、結局社会人になって何年目かに会自体をやめてしまったのだけど、帰省の時には必ずおしゃべりしに行っていた。

最後に会ったのは、たぶん2019年の年始あたり。
またGWか夏に来ます、と言って別れて、ぼくはそれが最後だった。

母は変わらずお稽古に通っていたのだけど、春くらいから先生は教室を休みがちになって、5月に突然教室を閉めた。
たぶんそのあとすぐ入院して、そのままいってしまった。

教室を閉めてから母は先生に会えなかったそうだ。
先生が亡くなったことを報せる電話での母の声、母のあんなに震えた声は久しぶりに聞いた。
母が悲しいことを報せる声は大抵硬く突っ張っているのだけど、あれはそれを通り越していた。泣いていたか、泣く直前だったんだと思う。

夏には帰るって言ったじゃん待っててよって思った。まあ弱ってるところ見せたくないだろうからお見舞いに行かせてもらえたかちょっと悩むところもあるけど。

とにかく、元気な先生しか見ていなかったところで本当に急にいなくなってしまった。
なんの心の準備もなく20年近くお世話になった人がいなくなるとさ、困っちゃうよね。
先生のいない世界に慣れてないんだけど。
この1年で少しわかってきたけど、まだ悲しいよ。
先生に電話をかけた時の第一声とか、それに返答する自分の声や口の感触とか、それに返答する先生の声とか、脳内再生できるのに二度と再現されないんでしょう?
訪ねていった時のインターホンの第一声も、ドアを開けた時の表情だって思い出せるよ。そういう世界に住んでたんだもん。

iPhoneから先生の番号は消せない。かけても先生が出ないのはわかっているからかけられない。
いや自分の携帯を持つ前から知ってるから消してもかけられるんだけど。覚えてるよ。実家の番号なみだよ。

今世界ではコロナウイルス感染症が流行していて、ぼくは国内でも感染者数が多い地域に住んでいて、母は感染者数も人口も少ない地域にある実家に住んでいて、寄り添って偲ぶこともできない。

母は命日にお墓参りに行くと言っていた。先生によろしくとだけ返した。

2020年7月29日水曜日
先生の一周忌で水曜日だから、夕飯は迷いなくカレーだった。
兄と一緒に食べた。
何も言わなかったからきっと何も気づいてないだろうけど。

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