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医療の進歩と神経の病

こんにちは、イトーです。
いままでも寿命に関するトピックを扱ってきましたが、今回も関連したお話をしていきたいと思います。

ぼくは、製薬会社時代では神経変性疾患(運動神経が死んで体が動かなくなるALSや、本来の神経機能が失われて認知機能が低下するアルツハイマー病など神経が変質してしまう病気)を対象として研究をしてきました。人間特有の知能の解明という点でも、アンメットメディカルニーズの充足という意味でも、非常にエキサイティングな領域でした。今は神経からは少し離れていますが、いつかは戻りたいと思っています(ビジネスなのか、サイエンスなのかわかりませんが)。

で、話は逸れましたが、生物の寿命が何に規定されているかというと、いろいろな見解があるのですが、ぼくは神経の寿命=個体の寿命として規定されているのではないかと思っています。

その論拠について、以後お話をしていきます。

神経細胞が生まれてから死ぬまで

私たち哺乳類は、2細胞である受精卵からその生を始めます。受精卵がある程度成長すると、外胚葉、中胚葉、内胚葉の三胚葉と呼ばれる細胞のバリエーションが生まれます。この中で神経細胞ひいては将来の脳は、皮膚などと共に外胚葉から生まれます。

そして、外胚葉を出自とする神経神経幹細胞から複数の種類の神経細胞が生まれ、遊走して、あるべき場所に移動する事によって、複雑な神経ネットワークを構成し、これが中枢神経系(脳)として成立していきます。

そして、生まれてから成人するまで脳は成熟・再構成され続けます。性徴期(反抗期、思春期)が、脳の形成において大きなイベントが起きる時期です。そして、このような再構成を繰り返して、20代前半にやっと成熟しきるといわれています。しきるといわれています。

また女性の場合には、妊娠して子供を宿すと再度脳の再構成が行われる為、出産後の女性の脳の構造は出産前の女性や男性と全く異なる様相と機能を示します。これはあまり一般の方には認知されていないのですが、科学的に証明されている事実です。その為、往々にして出産を契機に、大きく性格や能力が変わる事となります。

20代前半で脳が成熟しきると、神経細胞の入れ替わりはほとんど起こらず、死ぬまで維持され続けます。そして、神経細胞はほとんど再生されません

脳自体が損傷したときや、四肢や臓器が失われたときには、欠損機能を補うための脳の再構成が行われることは知られていますが、普段は、神経細胞の入れ替わりは起こり得ません。なぜなら、無秩序な神経の再生や入れ替わりが起これば、せっかく最適な状態にデザインされた神経ネットワークを乱してしまうことにつながるからです。

したがって、20代から死ぬまで、私たちの神経細胞は酷使され、再生されずに劣化の一途をたどるわけです。

なぜ近代では認知症が大きな社会問題となっているのか?

かつて人間の寿命は、古代では30代、近代では50代程度でしたが、こと今に至っては平均寿命は70代を超え、100歳まで生きる方も珍しくありません。これは、食物の効率的な生産と食料供給のサプライチェーンの進歩による栄養状態の改善と医療技術の進歩と医療アクセスの向上による致命的な疾患やケガへの対応の相乗効果による寿命延伸を要因としてます。

しかし、本来人間の体は70年も100年も生きるようにデザインされていません。数百万年を費やして進化を繰り返した結果、今の人体の構造や身体システムが出来上がったわけですが、ここ数百年程度の短い時間に急激に寿命が延びたことに、人類の根本的な身体デザインは追い付けていません

それによって何が起こったかというと、人類のデザインが生まれた当初に想定されていなかった事態に対する対策の不足です。寿命延伸により、生まれた身体におけるエラーは大きく2つに分けられます。すなわち、①再生能力の暴走と②再生不能性細胞の脱落による能力欠損です。

①は、悪性新生物、いわゆるガンの蔓延です。

ガンは、本来リミッターがかかっている細胞増殖能力が遺伝子のエラーによって外れてしまい、無秩序に増殖・再生する事に起因します。私たちの細胞は普段から、その保有するDNAがUVやその他有害な物質の取り込み等により、常に障害を受けていますが、通常はDNAの傷を修復する機構が働いています。

しかしながら、その修復機能は万能でない為、DNAの障害が頻繁になれば、この修復機能をすり抜けたキズが蓄積し、また齢を取ることにより修復機能は低下していきます。その為、長く生きれば生きるほど、DNAのエラーが起きる可能性が高くなり、ガンの誕生につながってしまうわけです。

②は、まさにこれまで議論してきた神経細胞の脱落による、認知症の発症を指しています。お分かりの通り、長く生きれば生きるほど、再生不能の神経細胞は酷使され、脱落し、神経ネットワークが棄損する事によって、本来の私たちの脳活動が行えなくなっていきます。

これが、いわゆる認知症、痴ほうやその他神経疾患に繋がっていきます。

ガンは致命的な疾患です。現代では医療技術の進歩によって治療可能な疾患となりつつあるものの、まだまだガンを原因として亡くなる方は膨大です。その為、ガン患者数は一定の値で(比較的)安定的に推移します。

一方で、認知症は致命的ではありません。認知機能(いわゆる考える力や記憶力)は低下するものの、体は元気です。なので、認知症になってもまだまだ生きます。その為、寿命が延伸すれば認知症の発症者が増加し、発症しても生き続けるので、今後認知症の患者さんはどんどん増えていくこととなります。

認知機能が低下しているので、生産能力が無い、しかし治療や看護の為に莫大にな医療費を投入する必要がある。これにより大きな社会問題となっています。

認知症は治るか?

残酷なようですが、認知症は治りません
なぜならば、失われた神経細胞は回復しないからです。

その為、再生医療技術を応用して、新しい神経細胞を供給してあげたり、神経を回復させるための薬の研究開発が試みられています。しかし、後から神経細胞を供給してあげても、すでに確立している神経ネットワークに新参者が入って、きちんと機能を発揮する事が困難なことは想像に難くありません。

実際にパーキンソン病の再生医療の臨床試験では、認知機能・身体機能に対する(多少の)回復傾向がみられるまでに10-20年ほどかかったことが報告されています。ほとんどの認知症の患者さんは、高齢のため、効果が出るまで何十年も耐えられません。
したがって、一度発症した認知症の治療は困難であると考えています。

治療は困難でも、しかし予防は可能です。認知症が発症する前に認知機能を維持するための対策を取るのです。例えば、つい最近話題になったアデュカヌマブは、認知機能低下の症状が顕在化する前の早期アルツハイマー病患者さんの認知機能低下に対して効果がある医薬品です。

他には、知育系のトレーニングや運動する事(運動=体を動かす=神経細胞による指令が必要=認知機能を維持・向上させる効果がある)が認知機能の低下を抑制する事が知られています。また最近は、VR/ARなどを使って認知的なトレーニング/リハビリを行う試みが行われていたり、診療アプリにより発症の兆候を検知する技術が開発されています。また古典的な方法ですが、認知機能向上に影響する食事の摂取も有効です。

(常識を覆す科学的な発見や劇的な技術的ブレイクスルーが生じない限り)認知症に対する絶対的な治療法は、今後も出てこないだろうと予想します。地道で古典的な方法ですが、本を読んで勉強し、運動して、健康的な食事をとり、定期的な検診を受ける、それが認知症に対する一番の対策です。

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みなさんが求められている答えでは無かったかもしれませんが、これが事実です。健康的で、人間的な生活を送る、認知症への対策はただこれだけです。

しかし、困難であっても、認知症に対するソリューションを開発していこうとしている研究者がいることは忘れてはなりません。劇的な治療法がいきなり出てい来ることは考えられませんが、すこしずつ認知症を取り巻く環境は改善されていくと期待しましょう。

この話はPodcastで分かりやすく、かみ砕いてお話しています。次回は4/4月配信予定です!
https://t.co/3g5U7ZxdFJ?amp=1


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