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【日記】喫茶店で本を読んだ話。

2月24日 金曜日

毎日続ける気持ちはさらさらないが、なんとなく日付から書いてみた。多分今日だけの日記。

今日は朝早く起きてどこかオシャレなカフェのモーニングでも食べにいこうと思ったが、いつもどおり、10時に布団の中で目覚め、Instagramの広告で流れてくるいわゆるクソゲーにハマり、気づけば13時半を過ぎていた。

一日中フリーなのが久々だったので、さすがにどこか出かけようと思い、知り合いに会ってしまいそうな場所を避けていろいろ考え、近江町にあるエムザの中に新しくできたTSUTAYA BOOK STOREにいった。新しくといってもできたのはかなり前だが。

たまたまみつけた、星野源の「よみがえる変態」を手に取り、エムザ地下の端の端に位置する昔ながらの喫茶店に行ってみる。営業中と書いてあるが、店員は厨房の中にいてこっちに気づく気配はない。店内には常連と思しき新聞を読む老人がひとり。こういう店は、勝手に入って良いものか、それとも声をかけるべきか迷う。テーブルの上にメニューがないことを確認して、すみませーん、と2,3回厨房に声をかけた。私の声は届かなかったが、たまたま出てきたおじさん店員が僕に気づいて、どうぞと中へ誘導してくれた。

喫茶店といえば、ナポリタンだろう。異論は認めない。喫茶店のナポリタンのどこがいいかって、やはり斜めに薄く切られた、少し焦げ目のついているウインナーだ。一人暮らしでも簡単に作れるが、喫茶店のはケチャップの酸味が甘くまろやかになるまで火を通されていて、格別にうまい。店内の雰囲気も相まってだろうが。

なんて考えていると、客が来た。おばちゃん店員との会話からして、常連。何かは聞こえなかったが、「なんちゃらティーでいいわね?」と厨房に向かいながら確認する気のない確認をとって、おばちゃん店員は去った。いわゆる、「いつもの」てやつだ。僕は同じ店に行くとき、前回食べなかったものを頼みたいタイプの人間なので、どれだけ通っても「いつもの」と言える日は来ないだろう。そういうことは、「いつもの」が通るほど通ってから思え。どうでもいいが、「通る」と「通う」で同じ「通」でも読み方が違うのがでてきて、読みづらいだろ。うるさいしね。

うまいナポリタンを頬張りながら、買った本を読む。源星野が書く文学は、人間臭くて好きだ。日常の愛おしさを全部まるめてつめこんだような。それは彼の書く歌も同様で、特にこの本で扱われている『ばかのうた』や『エピソード』といったアルバムに収録されている歌には、穏やかながら、彼の日々感じている決して綺麗ではない嫉妬や憎しみ、エロが入り交じっていて、全部がサブキャラなところが好き。彼の文を読んで僕もなにか書きたいと思い、いまふと浮かんだ文字をつらつら書いている。良くも悪くも影響されやすいタチなので。

大学生になって、読む本を指定されたり、形式の決まったレポートの提出を求められたりして、自分がとくに興味もない本を読んでの執筆を強制される日々が続いていた。強制されると、なにもうかんでこない。自分が書きたくて書いてる文はずっと書き続けられるし、読みたくて読んでる本は寝るのも忘れて読み続けられる。ほら、もうこの気まぐれな日記も1000字に到達しようとしている。でもこれに、変にオチをつけようとしたり、なんとなく中途半端だからといって長くしようとしたり、読む人に対してキモうまいメッセージを込めようとしたりすると、途端に面倒になる。

今はもう1件カフェに立ち寄って本を読んで、時計は19時をまわっているがなぜか帰る気持ちになれず、バス停近くのスターバックスで普段飲まないであろうチャイティーラテを飲みながらこれを書いている。かわいい店員さんが目を合わせながら、とびきりの笑顔でドーナツを勧めてきたため、飲み物だけ頼むつもりがソーセージパイも一緒に買ってしまった。ドーナツを買えよ、俺。

そんなこんなでもう飽きてきたし、これで終わりにしようかな。この本を書いている2019年の星野、今のお前は貧乳がすきだの母乳がなんだの言って知る由もないだろうが、お前、ガッキーと結婚するぞ。唯一当時の源が知らない情報をもっていて、なんとなく勝った気分になってみる。うん、もう終わろう。

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