マインドフルネスとは何をしているのか?
こんにちはレインです。
GWも明けて五月病…なんて方もいらっしゃる時期でしょうか。
新しい事が始まる4月。その緊張がほどけ、反動が来る5月…
ならば「思いっきり回復に振って、大崩れしないように」というのが私の戦略なのですが、さてどうなる事やら。
そんな方針を立てたので、今日は思いっきり瞑想をやっていました。
朝起きて、筆記開示をゆっくりと…紙を走るペンの感触やら、呼吸やら、頭の中に浮かんでくる言葉なんかに意識を向ける所から始めて…
呼吸、ストレッチ、筋膜リリースなんかを交えながら約2時間…
ここ数日睡眠不足に悩まされていたのですが、かなり改善されたんじゃないかなと感じております。
(もちろん。睡眠負債ってそんな簡単じゃないんですけど)
そんなこんなをしている内に、ふと思い浮かんだのがこのテーマ。
「あれ…? マインドフルネスって…何してるんだろ…?」
…ここまで漠然としている訳ではありませんが…
・なぜ、瞑想やマインドフルネスは脳の構造を変えていくのか?
・なぜ、瞑想によって鍛えられている事は何か?
・没頭とはそもそもどういう状態か?
・没頭状態の時、脳はどんな状態になってるのか?
と、こんな感じで書き出してみて…自分が知り得る限りの情報を使って考えてみた訳です。
そしたらですね…
「マインドフルネスとは 注意力の配分を最適化していく事」という結論が出ました。
ちょっと意味が分かり辛いと思うので、細かく解説していきたいと思います。
まず、私の思考はこのような流れを辿りました
・マインドフルネスや瞑想で何をしているのか
→1つの事に集中する「今、ここ」に意識を向ける
・「1つの事に没頭する」の「1つ」とは何か? 「没頭」とは何か?
→「1つ」とは 全体の事
→「没頭」とは 適切に注意を配分する事
・なぜ1つの事に集中すると、脳が休まるのか
→適切な配分によって、余計な事へ注意力が使われなくなる
・脳が休まる…にもかかわらず集中力が高まるのはなぜか
→余計な事へ注意力が使われなくなるため、その分1つの事へリソースが多く向く
・マインドフルネスの効果が多岐に渡っているのはなぜか?
→脳が身体全体の統制をとっている。 脳が休まれば、各所が適切に動き出す。
というような仮説を立てることが出来ました。
これがどのくらい正しいものなのかどうかは、論文なり研究結果なりに照らし合わせてみていく必要があると思うんですけれど…
個人的には、悪くない考察なんじゃないかなと思っています。
さて、こういった思考を辿った…と言いましたが、多分…言っている意味が分からない箇所があると思います。
・「1つの事に没頭する」の「1つ」とは何か? 「没頭」とは何か?
→「1つ」とは 全体の事
→「没頭」とは 適切に注意を配分する事
特にここ。良く分からないんじゃないかなと思います(笑)
「全体ってなんやねん。」
「適切ってどういう事やねん。」
「配分したら分散するやん…集中できてないやん。」
この辺の疑問があるのが自然かなぁと。
なので、この部分についてだけ詳しく解説を入れていきたいと思います。
ではこの箇所の論点…
1 全体とは
2 配分するとは
3 適切な配分量とは
ここから、まとめに繋げていけたら良いなぁと考えております。
もう少しお付き合いくださいね(笑)
1 全体とは
貴方が走っているとしましょう。
走る事に集中したいとしましょう。
すると「走る事」という1つの行為が生まれますよね。
ただ、言葉にすると「走る」という行為1つに集中する事になるのですが…
実際には…
・景色
・音
・足の重さ
・呼吸のリズム
・呼吸の速さや深さ
・肺の膨らむ感覚
・鼻から入ってくる空気の温度
等々、走る事1つをとっても、意識できる箇所はこんなにも多い訳です。
これ、全部意識してたら、ぜんっぜん「1つに集中する」事が出来ないですよね。
お気づきの方もいるかもしれませんが「呼吸」という1つの動作をとっても同様です。
・空気の温度、量
・肺やお腹の膨らむ感覚
・手足の感覚
・周りの音
・体温の変化
・脳の状態の変化
とかなんとか。集中の対象は細かくしようとすれば、かなり細かくすることが出来ます。これ以上の数を思いつく方もいらっしゃるでしょう。
その「何が1つか」問題に終止符を打つために持ってきた言葉
それが「全体」と「配分」の2つという訳です。
2 配分について
全体と配分は同時に語る必要があるので、ここで上手く纏められたらいいなと思います。
先ほどの例「走る」をそのまま使って行きましょうか。
私の主張は
「走る」事を1つの集中する対象に決めたのならば、
「走る事」に最適化された意識の配分を探っていく作業が必要である。
という事。
前述の通り
・呼吸
・足の運び
・腕の振り
等々、走る為に必要な「部分」というのは多く存在します。
その中でも例えば、腕の振りに100%集中していたらどうでしょう?
走れますかねそれ(笑)
いや、無意識的に「走る」っていう作業が身体の中に入っているので、腕以外は自動運転でやってくれるとは思います。
なので、それはそれでありだと思うんですけれども。
「呼吸のリズム」に集中する時と、腕の振りに集中するときとでは、少なくとも私はかなり感覚が違います。
長距離なら尚の事です。
逆に短距離であれば「身体の重心」に意識を向けるかもしれませんね。
そのように、重要な核ともいえる部分に集中する事が1つの方法と言えます。
ただ、なぜ「配分」という言葉を持ってきたかと言うと…
「では皆さん、今から走りながらマインドフルネスをしてください」
と言われて
「よし、呼吸のリズムに意識を向ければ良いんだな」
とはならないと思うんです。
足裏の感覚、大きく動く腿の筋肉、映る景色、
なんでいきなりこんなことやってるんだろ俺…という思考(笑)
集中の対象はいくらでもあります。
なので、探っていくしかないんです。
自分の中に「瞑想してる時の感覚」を作っていく作業が必要になるんです。
その為の、「配分」になるわけですね。
3 適切な配分量とは
例えば、足裏に意識を向けてみよう… 今度は景色かな。 今度は太ももかな… とやっていく中で、意識しやすいもの、しにくいものが分かってくる。
その「意識のしやすさ」が配分をしていく中で、勝手に最適化されていくんです。
その配分が「自分は、これに意識を向けるとやりやすいみたいだ」という全体化された1つのものが見つかった瞬間。
・足裏の感覚に2割
・腿の動きに3割
・呼吸の深さに5割
みたいな配分が見つかったときに「あぁ、呼吸のリズムに意識を向ければ良いのだ」と別な一言で言い換えることが出来る。
その瞬間「1つの事に集中する」という状態が出来上がる。
こういう事が行われているんじゃないかなというのが考察でした。
あ、実際に「ここに何割、ここに何割意識を向けて~」ってやる訳じゃないですよ?
集中の対象を探って、色んな部分に集中して、離れて、集中して…を繰り返す。
その中で、「呼吸のリズム」という「1つの対象」が見つかって、
その時に脳内で実際に行われている意識が、その配分になっている。
という感じです。
「呼吸のリズムに集中しよう」 としたときに「呼吸の音」を無視できる人は居ないと思うんですよ。
呼吸のリズムって事は、走っている足のテンポやリズムにも影響されるので、足音に全く注意が行かないって事も考えずらい。
少なくとも脳は、神経伝達によって、足や肺を動かしている。
先ほどの「太もも3割~」とかは、かなり適当に出した数字なので、実際はもっともっと細かい何かが行われているのだと思います。
そんなこんなで無理やりまとめてみます。
得てして、「集中しよう」と言いながら集中している人はごく稀だと思います。
集中している人が頭の中でやっている事は
「次の一瞬にどんな動きをするか」
「この瞬間から、次の瞬間に何が起こっているか、起こすべきか」
そこに没頭しているものだと思いますから。
「走る事に集中しよう」 とするよりも
「呼吸のリズムを意識しよう」 とした方が、結果としてに集中に近くなる
私自身、瞑想を繰り返す中で「瞑想ってこんな感じ」という感覚が掴めてきました。
「脳が休まっている瞑想」
「あんまり休まってない瞑想」
或いは、
「逸れた注意を戻す訓練になっている瞑想」
「ただただ没頭していく瞑想」
人それぞれ、色んな瞑想の形があるんだろうなぁと思っています。
だからこそ、瞑想の方法論ってこんなにも多岐に及ぶのかなとも。
ぜひ、五月病でお疲れモードの皆様は、一旦瞑想やマインドフルネスで意識を泥沼まで落とs… リセットして。
また心機一転、2度目のスタートダッシュを決められると良いのではないかなと思います。
え? また6月病にでもなったらどうするのか?
またまた(笑) 決まっているじゃないですか。
何度でも休んで、何度でも走って
その度に回復量を高めて、更に遠くまで走れるようになっていく。
そうやって、進めていくだけじゃないですか。
楽しんで参りましょう。 楽しむために、今を生きましょう。
その為に誰もが隣に置くことが出来る、最良の友人。
それがマインドフルネスなのですから。
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