命の声を聴け!

こんにちは、レインです。

今日は何やら大げさで上から目線なレインですね(他人事)
でも取り扱うテーマは非常に身近
「サボりについて」です。

サボりって本当にダメなの?
そういえばなんでサボりたくなるの?
サボらずにやるメリットって何?

そんな… こうして並べてみるとめっちゃ当たり前な感じなんですけど(笑)

それをすこ~しだけ違った角度から眺めてみたいなと思います。


そんなこんなで皆さん。「サボり」ってなんですか?
「サボタージュの略称じゃないの?」
その通りなんですけど(笑)  そういう事ではなくてですね…

サボりとは どういうことを指すのか?って意味です。


まぁ、パッと思いつくのは仕事とか宿題とかですよね。
「明日までにこの書類を出さなきゃいけない」
「今週中にこの宿題を終わらせて提出しなきゃいけない」

「でも、やりたくないなぁ…」

と思った所で、本当にやらなかった時。
これが サボったことになりますね。


つまり、やらなきゃいけない事をやらなかった時に「サボった」となる。

でも…これ元々の意味を考えるとちょっとおかしな話で。
「サボタージュ」って労働者が自分たちの雇用条件やらなんやらで不満がある時に「わざと仕事を遅らせたり」「大事な機械を壊したり」して、経営者に訴える為の行為だったんですよね

「お前これ…こんな仕事やってらんねーよ! 条件がこのままだったら働かねーぞ俺は!」 って事ですね
(…お子様なヤンキーみたい)

何も、「怠ける事」を意味してなかったわけです。


それでも日本で「怠ける」「怠惰」という意味合いが含まれるのは
こういう事を「あぁ、社会の常識を知らないお子様なんだなぁ」っていう解釈になるからかも知れませんね(笑)

別におかしくありませんでした。
日本という文化に、別な国の言葉が入ってきたら、
日本というより大きな構造の元、単語は意味を変えますから。

単語の意味は文脈で決まるってやつです。

海外では、正当な自分の権利を主張する方法の1つだったのが
日本では、ただの甘えになる

って言うだけの話なので。

だから日本は「クレイジー」とか呼ばれたりするんじゃないですかね
(適当かよ)


そんなこんなで1つ「サボり」についてのお話を出してみたのですが…
では、日本という国において「サボり」とは何か? に戻って行きましょうか。


「何かやらなきゃいけない事があった時に、それをやらない事。」
これが今のところ「サボりの定義」としては正しそうです。

では、「やらなきゃいけない事」ってどうやって決まるんですかね?


仕事とか宿題とか。これは分かります。
組織に所属していれば、その組織からの要請に応える必要性が出てきますから。

そうじゃないと何かしらの問題が生じる。
同僚、取引先に迷惑をかける。とか
居残り補修をさせられる。とか


でも…「ダイエット」とかどうですか?
組織に所属している訳でも、ノルマを課せられているでもなし。
でも「今日はサボる! 美味しいもの食べる!」なんて言ったりする。

別にいいじゃないですか。
そもそも何も「やらなきゃいけない事ですよ」と決められている訳でもなし。

ただ、これをあくまで「サボった」とするならば。

自分が自分に課したノルマがある っていう事ですよね。
そして、それを達成できないと何かしらの罰則がある。

例えば、夏までの5キロ落とさないと(ノルマ)
海水浴で男どもの視線をくぎ付けに出来ない(罰則)

みたいな(例えの残念さよ…笑)


ただこれ…「なんでサボりたくなるのか」っていう事なんですよ。

だって、自分が「男どもをくぎ付けにしたい」と思って始める訳じゃないですか。
そして、ダイエットを続ければそれを達成できる。と思っているから継続するわけです。

そこに「サボりたいなぁ」っていう要素…あります?っていう

サボりたいという事は、
「その時の自分にとって、夏に男どもをくぎ付けにする以上に大切な事がある」という事ですよね。

それこそ「美味しいものを食べる」とか


優先順位が変わって、大切な事が変わって、
より大切な方を取る。  それでいいじゃないですか。
というか、一番人生を楽しめる生き方じゃないですか。

「男どもをくぎ付けにしたくてダイエットしてたけど、そんな事よりもおいしいもの食べた方が幸せなんじゃない?」ってなったらなったで良いわけです。

だって、より大切な事をやっている訳ですから。
仕事で最初に任されたAという仕事。 その後に上司から
「ごめん。やっぱり優先してBやって!」と言われてBをやる

この状況を見て「何Aをサボってんだよ」とはならないでしょうと。


ではなぜ「サボった」と思ってしまうのか?
理由は幾つか考えられますが…

まずは「選んでない」って事
今、自分にとって大事な事は何なのか?
それを大して考えもせず、なんとなく、いつもそうしてるから、
前はそうだったから、「美味しいものを食べる」

これだと、後悔は残りますよね。
一時の感情に流されて、本来の目的が達成されない。

確かにこの構図なら「サボった」事になりそうです。


次に、「コインの裏と表を同時に出そうとしてるから」
優先順位が定まらず「美味しいもの食べたいし、男どもの目線も欲しい」という事。

いや、ぶっちゃけ、それをやる方法って考えれば…体質的によっぽど不利じゃない限りは、やりようがあると思うのですが…

美味しいものは、脂肪と糖以外の要素も多分に含まれますからね(笑)

でもだとしたら、最初っからそれを目的に設定する必要がありますよね。
「ダイエットする方法」じゃなくて「美味しいものを食べつつダイエットをする方法」を
なんなら、「ダイエットしなくても、男どもをくぎ付けにする方法」だとか。

別に見た目で何もかも決まる訳じゃないでしょうに。
ぶっちゃけ綺麗な人って苦手です。刺々しさが半端じゃない事があるんで。
視線だけで人殺せるんじゃないかって思った事があります(何の情報よ)


かなり話がそれました…つまり何が言いたいのかというと。
当初設定していた目的に対して、変更があったなら変更する。
別な方法を検討する。
っていう事が必要で

「痩せたくて、運動したくないけど、めっちゃくちゃ食べたい!」
は、何をどう頑張っても無理って事です。

やるんなら、食べる量を少しずつ抑えて、胃を小さくしてから、ですね。
どちらにせよ、一旦は抑える必要がある。
もしくは、代謝を上げるしかない。


ただ、私がそういった思考をどうしても好きになれないのは…
「命をバカにしている」ように思えるからです。

人間の身体をないがしろにし過ぎている。
自分の命を無視して、願望を詰め込んでいる。
それは、命(身体)にも応えて貰えないでしょうよっていう事なのです。

「相手の話は聞かない。でも自分の要望は通せ」
これと同じ構図ですからね。

身体の声、命にとって必要な事。そこを無視して目的を達成したい。って


以前自己欺瞞についてnoteに書いた…書いたよね?
書いた気がしましたが(笑)

それの身体Verですね。


ある意味、これも自己欺瞞の1形態だと 過大解釈が出来なくもなさそうです。


自分が本当に求めているものは何か。
それをしっかりと選ぶ事が出来ているか。
自分の声。

私の「命の声」を無視していないか?

結局はここに尽きるのかなと思いました。
それが出来ているなら、自分が決めたことをサボるなんて発生しようがない。

なぜなら、それは優先順位が変わっただけだから。
目的地が変わっただけだから。

ただ、自分の身体は1つしかないので、職場にいながら、家で寝転がってるっていう無茶は通りませんよ。っていうだけで。


じゃあ、その「命の声」をどうやって捉えていけば良いのか?
優先順位はどうやってつければ良いのか?
どうすれば、その目的に向かってしっかり歩いて行けるのか?

それはまた別の機会に。

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