大人
私は今年成人式を迎えた。もうだいぶ過ぎてしまったけれど。20歳になる前、成人を迎えることがとても怖かった。もう後戻りできないような、途中でリタイアできないような、そんな漠然とした不安があった。
20歳になった日、少しだけ泣いた。
もう進んでいくしかないんだ、と思った。
でもそれから数ヶ月経った今思うのは、20歳を迎えたからといって劇的に何かが変わるわけではないということ。特に学生である以上、親や学校といったバリケードの内部にまだ居られる。
お酒は飲んだ。大晦日に少しだけほぼ炭酸のジュースと変わらないものを飲んだ。家族と乾杯した。成人のささやかな特権だ。
でも明確に何かに対して責任が生まれるわけでは無かった。
成人を迎えることと、大人になることは違った。
私は高校生の頃が自分の中で一番大人だったんじゃないかと思っている。部活で部長を務めていた時。
私たちの部は男女混合だった。幹部は男女それぞれにいたが、男子の部長が途中で退部したため、部長は私1人だった。
私たちの部は変わり者が多いと言われていた。「普通」という縛りは好きではないけれど、確かになかなか個性の強いメンバーの集まりだった。いつも静かなのにクラスマッチのバスケだけ人が変わる子、話す時に絶対に目が合わず眉毛がよく動く子、感情の起伏が激しい子。みんなのことはそれぞれ大好きだったけど、一緒にまとまって部活をするには、色んなコツが必要だった。
そして、顧問の先生もかなりクセがあった。端的に言えば、人の弱みにつけ込むのが上手かった。先生にも一応、正直に言うかどうかの基準はあったみたいだが、間違っていた。腹を立てた子も、傷ついた子も、いなくなってしまった子もいた。
私はただみんなで部活をしたかった。勝ちにこだわるほど、メンバーを切り捨てていくほど、強い学校ではなかった。色んな理由で人が抜けていくたび、今いる人だけは絶対に守ろうと決めた。先生から守り、その人の抱える不安や焦りから守る。
そんなこと不可能だけど。
自己満足だと思われていたかもしれないけど。
でも守りたい大切な存在がいる時の私は、今より確実に大人だった。
私の好きなOfficial髭男dismの曲に『コーヒーとシロップ』と『Second LINE』という曲がある。この2曲は対になっている。
『コーヒーとシロップ』では新入社員を思わせる「僕」が彼女に助けを求める。MVでは男女が逆のイメージになっている。上司の理不尽さに、社会のやるせなさに嘆き、自分もその一部となっていくことに不安を覚える。いつか吐き出せるようにと耐え忍んでいる。
一方で『Second LINE』では彼女のSOSに彼氏が駆けつける。理由も聞かず、ただ彼女に笑顔になってほしいと願って駆けつける。
「成人」という年齢で決まるものは揺るがないけれど、「大人」というのはきっと揺らぎ続けるのだと思う。年齢に関係なく、人は大人にも子供にもなれる。一度大人になったからといってずっと大人であり続ける必要はない。そんなことは不可能だと思う。
疲れたり傷ついたりしたら、また子供に戻って助けを求めたらいい。誰かが大人になって受け止めてくれるはずだ。
簡単に言うために「子供」と書いたけれど、決してネガティブな意味ではない。純粋無垢な、自分の心に正直な人のイメージだ。
人のSOSを聞いて、躊躇いなく手を差し伸べられる時、私は大人になっているのだと思う。
守りたいもののために大人になれることを、「強さ」と言うのかもしれない。
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