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トロッコ問題はどのように考えればよいのか

文体が固くなってしまうけれど、肩の力を抜いて読んでください。

トロッコが線路の上を走っている。あなたが路線を切り替えなければその先にいる5人が轢かれ、切り替えれば1人が轢かれる。あなたは路線を切り替えるべきか否か。そしてその判断をあなたは道徳的にどう解釈するか。

路線を切り替えるあなたの法的責任は問わない。「法律は一旦忘れて、あなたは切り替えるべきだと思う?理由も教えてね」ということになる。「べき」について、何に重きを置くかも自由だ。

脱線させるなどの回答をしてはいけない理由

中途半端な切り替えをして脱線させれば6人を救うことができると回答するのは、間違っている。言い切れる。
トロッコ問題は、「多くを救うために少数を自分の手で殺められるか」を聞く問題であり、もっと抽象化すれば「犠牲を抑えるために禁忌を犯してより少数の犠牲に置き換えられるか」を聞く問題となる。あくまでトロッコと線路と人命は例え話にすぎないので、ここで脱線などと言い出しては、この抽象部分に対する回答にならない。

どちらが正解というものではない

この問題や類する複数の問題に対する回答を見て、心理学者や倫理学者などが人間の群が持つ規範意識や心理などを分析するために用いるテストだ。

ジレンマを言語化する

「何もしなければ5人轢かれ、切り替えれば1人轢かれる」
これをジレンマとしてはっきり抜き出すと(ジレンマとは葛藤であり、葛藤とはどの未来を選ぶかで悩む状態である)、
「多くの者が死ぬ」「人による操作で少数が死ぬ」このどちらかを選択せねばならないということになる。
選択せねばならないので、「迷っているうちにトロッコが分岐路を過ぎてしまったことにする」という回答はできない。現実から目を逸らすな。

2つの考え方

功利主義的な選択をする

功利主義とは、「予想される結果から選択を決めよう」という考え方だ。人類の数を減らすことをあなたがよいと思っていればより多くの人が死ぬ方を、人が死ぬことをよしとしないならばより少ない方を選ぶことになる。

"理性"に拠った行動を常にする

自分の理性によってのみ行われる行動が人間にはあり、粛々とそれに従い選択するというものだ。これを義務論という。ここで注意してほしいのが、「何があっても人を殺さない」場合は切り替えず、5人を見殺しにする選択をとり、「何があっても人を殺す」場合は切り替えて、あなたの手で1人をトロッコで轢き殺すことになる点だ。
殺すにせよ殺さないにせよ、それは自分の理性に拠った行動に準じていなければならない。しかし理性とはなんだ……?
理性は「感情に走らず、道理に基づいて考えたり判断したりする能力」とされるが、う~ん……
僕はこれを理解するだけの知識や主義を持たないので、正しい解釈によってこれ以降を書くことができない。僕は理性の存在について懐疑的なので、解釈できない。

選んでどうするのか

どうにもしようがない。条件を少しずつ異にする類題を解いていって、起こった回答のゆらぎについて考察するくらいしか、一般人にできることはないと思う。あなたが一般でなく、他にできることを知っているならば、ぜひそれを行ってほしい。

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