行ってしまう人たちの手のひらは、お日様の匂いがする。

久しぶりに祖父のたかしちゃんが夢に出てきてくれた。一緒に電車に乗って、どこかへ向かっていた。窓際に祖父が座っていて、こちらを振り向いて笑うと、逆光で窓の外がやたらチカチカと眩しく感じた。

若かりし頃は保険会社の営業マンとして、全国を転々と渡り歩いた祖父。私が大学を卒業する頃には、病でまともに話すこともできなくなっていた。新卒で入った会社で広告営業をしながらくじけそうになっていた私が泣きながら助言を求めると、ベッドの中からゆっくりと文字盤に指を差し出して、『し ん ぼ う だ』と伝えてくれた祖父。

私の家族はなぜかみんな教職で、会社員をしているのは私だけだ。サラリーマンだった祖父。満員電車に揺られて会社へ通っていた祖父。お酒でも飲みながら、仕事の話をしてみたかった。

そんな後悔があるからか、時々たかしちゃんは私の夢に出てきてくれる。ふくふくと恰幅がよくて、元気そうに見えたことがとてもうれしかった。千鳥格子のジャケットを私にくれると話していたけど、そんなの持っていたっけ? 今度よしこちゃん(祖母)に聞いてみるね。

夢の中だということを私はわかっていて、たかしちゃんもわかっているようだった。短い時間、わざわざ頑張って会いに来てくれた、そんな予感がした。夢なのに、たかしちゃんの手のひらはちゃんと暖かくて、それが不思議だった。

東京で2度目の1月を迎えた。

東京の冬は、突然春がやって来たみたいにスコンと青空がのぞいたりすることがいつも新鮮で、マンションのドアを開けるたびに驚いてしまう。地元の山形では、冬がやって来たらもうずっと曇り空だというのに。晴れ間は何度あるだろう。多分、片手で足りるくらい。

手も足もかじかんで、コートを着込んでマフラーをぐるぐるに巻いて、なんとなく下を向いて歩く。気持ちも自然と内向きになって、考え事ばかり捗ってしまう。雪が降れば、あらゆる音をしんしんと吸い込んで、閉じ込めてしまう。それが山形の冬だ。

東京で暮らすようになって、いちばん最初に驚いたのがこの冬の間の美しい晴れ間だった。大きく呼吸をしたくなる。吸い込んだ空気は冷たさで鋭く肺を刺したりしない。東京を好きになれそうだと思った。

この1年くらいで、私のちいさな世界は少し変わった。

7年と少し作った雑誌の編集長という仕事をやめて、29年間住んだ故郷を離れた。東京に来てから働き始めた出版社も辞めてしまった。

大学を卒業して以来、働くことだけをしてきた。私には私をいちばんに愛してくれるような人もおらず、人より優れた美貌もない。このちっぽけな自尊心を満たして生きていくためには、自分を必要としてくれる仕事が必要だと頑なに思っていた。

明け方に家に帰って、くたびれきって死んだように眠る瞬間はとても苦しいのに、なんだか許されたような気がしたものだ。

けれどある時、都心から満員電車に押し込められて運ばれていく途中で、動悸が止まらなくなった。ふつりと心がちぎれてしまった。もういいや、もういいんじゃないか。

そんな時、仕事を手伝わないか、と友達からLINEがきた。リアルな友人だけが、ほんの10名ほどフォローしてくれているTwitterの裏アカウントに、会社を辞めると書いたひと言をたまたま見かけたらしい。

なんか、もういいや。いいんじゃないかな? 石橋を叩いて叩いて、渡らないような人生だった気がする。でも、それで守れるものなんて何があったのだろう。

思いもよらないようなところから、にゅっと手が伸びて来た気がした。全く予定になかったその手のひらを、掴んでみたいと思った。

長年お世話になった大好きな出版業界を卒業して、小さな会社の社員になった。リモートワークだから、満員電車に乗ったりしない。打ち合わせがある時だけ外に出る。複業が自由なので、私個人に来た企画や原稿執筆などの仕事も断らずに済み、これまでの人生を捨てなくてもいいんだな、と思ったら気持ちが軽くなって、少し泣きたくなった。

これまでずっと続けて来た編集者という仕事は、情報を受け取る人を決めて、どんな形で届けたらその人にとって価値のある出来事になるか、それを考え続ける仕事だと思っているけれど、新しい職場では、どんな仕事もそれは変わらないんだなと感じることができた。

仕事が変わっても、なにも無くさないじゃないか。ちゃんとこれまでのことは糧になっているし、どこかには私をふと思い出してくれる人がいるのだ。私には私を愛してくれている家族もいる。

毎日は似ているようで、少しずつ違う。ゆっくりと放物線を描いて、大きな円を少しずつ回りながら、次の季節には、ほんのすこし違う場所へ私を運んでくれる。

もう会えない人がいる。会えないと思っていたけれど、また出会える人もいる。出会った人たちの、ひとりひとりの暖かな手のひらの感触が去ってしまっても、それはなくなったのではなく、過去という絶対になくならない場所にしまわれただけなのだ。

東京は今日も晴れていて、そんな些細な出来事をきちんと享受できる自分のことをとても幸福だと思った。


サポートしていただけたら、わたしのモチベーションが上がって一週間くらいは幸せでいられる上に、執筆中においしいお茶を一杯飲むことができます。