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社会の力学⑦ー献身と自己犠牲の違い

熊です。

↓前回

久々の更新です!
待望の更新です(?)
怠惰な更新です(汗)

今回の気持ちの天気予報は「月曜午前9時」です。


前書き

ギフテッドは一般社会では生きづらいが、意外と周りからうまく適応しているように見える場合が多い。

仮に最初は戸惑いや衝突があっても、
「うまく環境に溶け込んでいるように見せる」方法を見つけられることが多い。

内心では激しい衝突と葛藤があっても人並み以上のパフォーマンスが発揮できるポテンシャルを持っているが、同時にそれが爆弾を抱えて生きていく原因にもなり得る。

ギフテッド子供は子供にも関わらず優れたリーダーシップとコミュニケーション力、高度な共感力のおかげでよく相談を受ける。
※人間嫌いだった子熊の頃でさえもそう。
 あの頃は人間は蠅にしか見えなかった。

ただ、体力と能力には限界があるし、
「介入のタイミング」も意識しなければならない。

人からよく相談を受ける方、
人助けが好きな方、
人助けをしなければならない立場の方には、
いくつか伝えたいことがあります。

究極の言い訳

問題を解決しているのはいつも頭脳である。

その処理のインプットに「愛」があっても、
アウトプットは「理」でなければならない。

理にかなう、かつ他人が理解し実践できる理を編み出せない人間は思考停止し、愛と根性でゴリ押しをしようとする。

人から相談を受ける際に愛情と根性だけで動くのは危険です。

専門知識や資格といった指標、
もしくは豊富な人生経験や相手の気持を代弁できる共感力といった能力面も大事だが、今回の話がフォーカスしているところではない。

どちらかと言うと、上記のようなものが揃ってもできない状況があるとの話です。

つまり人間が究極の言い訳モードに突入するときである。

時間をかけて誘導すればいいと思うかもしれないが、下記二つの状況は極めて対応が難しい。

①「成功保証」を要求される場合
②「お前は私の気持ちを分かっていない」と言われる場合

相談を受けた人間は必ず聞いたことがある言葉だと思います。

成功保証

どんなアドバイスをしても、
「それってうまくいく保証がないよね」、
仮に成功例を挙げても、
「私の場合も上手くいくとは限らないよね」
と言われる場合はお手上げです。

「諦めてはいけないんだ!」
と思うかもしれないが、
一旦お手上げにしましょう。

竜巻が庭を直撃している間は掃除に向いていない。

理由①

相手が言っていることが正しいです。
成功保証は世の中に存在しない。

理由②

誰もが誰かに対して何かを保証する義務はないです。

たとえ親と子の関係性でも。
たとえ上手くいく自信があっても。

だから保証を求めてきた人間に対して
「必ず上手くいくから!」
のように安易に受け止めると、
相手の健全な人間関係を形成する機会を妨げてしまう。

信用することも自分の選択であり、
相手がわざと騙す意図がなければ、
自分の選択に対して責任を負うのは自分だけです。

失敗をどう認知するかは、
その人がどこまで成長できるかの鍵となる。

これを理解していない日本の「学校教育」も「反学校教育」も実質的に終わっている。

前者は監獄、
後者は温室。

前者は失敗を許さない、
後者は失敗をさせない。

理由③

実は相手の深層心理では成功なんて望んではいなく、現状維持がしたいと思っているからです。
少なくとも現段階では。

特に、成功経験のない主観的に人間にとって成功は漠然としたポジティブなイメージかもしれないが、成功自体は未知なものであり、未知が一番怖い。

未知な成功とそれに伴うリスクより、
我慢できる不幸のほうが安心する。

ストレスフルの場合、
本人はこの心理を自覚するのが難しい。

お前は私の気持ちを分かっていない

これ言われたらこれ以上のやり取りは不毛です。

理由①

そもそも
「相手が自分のことを分かっている」
を知る客観的な手段がないからです。

どういうことかと言うと、
例えば相手に「どんな人なら自分のことを完璧に分かっていると信じるのか?」と聞いてみても絶対に答えられない。

理由②

仮に未来に行って未来の本人を連れてきて、頭にタイツを被らせ、この時代に居る本人自身に声をかけてもらっても、きっと「お前は私の気持ちを分かっていない」と言われ続ける。

この行動の原理は
「自分の不幸は理解されないからだと思い、
 理解してくれない人に怒りをぶつけたいが、
 信頼できる人にしか怒りを見せられないため、
 理解してくれない人を信頼できる人に上書きして鬱憤を晴らす」のである。

特に、元々信頼している人に対して少しでも理解されないと感じる場合は他の人に対する不満をよりスムーズに上乗せできる。

人間の脳はストレスの発散を最優先にする。

そのため、認知の合理性と妥当性は二の次であり、良い気分に感じる認知の仕方に改竄することは人間の脳にとっては日常茶飯事。

もちろん怒りが解消されていくと認知機能は再度正常に動作し始めるかもしれないが、社会や特定の個人に対する積年の怨念の場合、無尽蔵のダークエネルギーはいつ尽きるかが分からない。

ノーモア!元も子もない族

人が社会弱者になった理由は自責だろうが他責だろうがその両方だろうが、弱者を「きっと愛が足りない」や「悪いことはしない」と思い込んではいけない。

精神科医と一般人の違いは知識や資格を持っているだけではなく、彼らは患者が勝手に自分に接触できないような仕組みを作り、いざトラブルが起きても常に情報を共有しているスタッフが協力してくれるし、医者対患者という構図で社会信用を得られやすい有利な立場も持っている。

底の見えない激流に飛び込むのは安全が確保されている場合のみである。

激流に飲み込まれた人を助ける場合も自分の安全を先に確保しなければならない。

「自己犠牲になってしまう人間」
やり方にかなり改善点がある。
一度立ち止まって冷静に。

「自己犠牲をしてもいいと思う人間」
無謀なことをしている自覚がないため、
立場逆転して自分も救済対象になる可能性が高い。

「自己犠牲を見せたい人間」
自己愛性の奴隷であり、
往々として脆い自尊心を持っているため触れるな危険。
支援者がこういうタイプに感じたら迷わず離れましょう。

計画的なリソースの使い方およびリスク管理ができれば、自己犠牲も自己犠牲には見えず、ただの「コスト管理の献身一環」である。

自身を含め、犠牲を最小限にしましょう。
生命エネルギーの消費より回復力と貯蔵量を増やしましょう。

これらは自己犠牲より遥かに難しいのである。

今後共依存や道連れになる人が少しでも減るように。

ではでは🐻

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