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社会の力学⑧ー例外とチャンス

↓前回はこちら

どうも、籠城生活の穴熊です。
毎日蒸し暑くて、
出かけると全身がナメクジに舐め回されるようで気持ちが悪い。

今回の気持ちの天気予報は「火曜午前10時」です。

この前のオフフ会で
「熊さんの記事を読むとたまに過呼吸になる」
との話を聞いてちょっとショックを受けています。

途中で気持ち悪くなったら読むのをやめてね。

飴あげる🍭🐻


その大丈夫、本当に大丈夫?

近年不登校に対する社会関心が高まっており、
たまに専門家や支援者、保護者から「学校に行かなくても大丈夫」と聞きます。

これに対して、
「大丈夫かどうかは現時点で判断できるものなのか?」
と疑問に思う。

しかし世の中には無責任のアドバイスをする商人や、支援している自分が大好きな自己実現の奴隷が溢れている。

健康状態

学校に行くかどうかは、学校に行くと心身の健康状態にどれぐらいの影響があるかを考慮する必要がある。

人間も動物も偏った行動が許容されるとその行動の割合と強度が増えていく。

無条件に一度でも許容したら、次回許容しないときに理由を求められても答えられないため、許容し続けるしかなくなる。

そりゃそうだ。人間は怠惰な生き物だから。

この怠惰を正しい方向性に使えば科学が生まれる場合もあるが、そうでない場合は自滅である。

保護者は、
まずは自分の行動のロジックを固めよう。

「今日行きたくない」と言われたらそうさせると、行く理由が突然湧いてくる可能性が低いし、子供が行く承諾を出すまでが保護者の生き地獄になる。

「かわいそうに見えるから」を理由にすると、
子供は意識的/無意識的にかわいそうな側面を見せ続ける。

人間の脳って本人が気づかないぐらい狡賢いから。
もちろん気づいても抗わない。

共通認識

次に、大丈夫とはどの段階のどういう状態を指しているのか。

支援者と保護者はまず大丈夫の定義を書いてお互いに見せよう。

絶対違う。
異なる人間なんで違って当然である。

前提認識に違いがないかを確認し、
共通認識を作りましょう。

曖昧さの中で生きるほうが安心するかもしれないが、
定期的に襲ってくる謎の不安はやがて現実になる。

天秤

また、目標という比較基準がないと大丈夫かの判断もできない。

そして目標を目指して計画し、
行動に落とし込んでいるかどうかも重要である。

行動がうまくいくかまでの責任を負う必要はないし、うまくいかなければ試行錯誤すればいいので、ひとまず目標と計画を立ててれば大丈夫と言ってもいいと思う。

別に何か困難な目標や厳しい期限を目指す必要はない。

自分に目標を設定し、
試行錯誤していくことができれば、
学校教育の目的は達成したと言える。

社会人でさえもできない人は多々あります。

回避と逃避の違い

リスクをチャンスに変えるためには、
まずリスクを正しく認識する必要がある。

不登校や休職、引きこもりなどの間は
「どんな人になりたいか」を考える方が良い。

この課題は別に全人類に必要なわけではないが、
マイノリティは自分の社会における位置付けを自ら決めなければならない。

自分が社会で生きていくための条件は何か。

当然、子供や苦しんでいる人は自ら考え抜く能力や余裕がなければ、周りの人間が彼らを手助けする。

リスクを検討した結果が「回避」になる場合もあるが、
リスクを検討しないと単なる「逃避」になる。

人生の本番は社会に出てから始まる

マイノリティだからこそ楽しい子供時代を送ったかに拘らない方が良い。
もちろん楽しければラッキーだと思えばいい。

逆に子供時代は楽しくない/楽しくなかったとしても心配しないでください。

今が楽しいかと未来は楽しいかは関係ない。
未来を作るのはこれからの自分だから。

社会性と関係性

たまにこういう話も聞きます。
「子供が大人と正常に関係性を築けたら学校に行かなくても社会性は育む」

えっとね。
「コミュニケーション力」ならそうかもしれないが、
「社会性」とはまた別の話になる。

①子供同士の社会性
②大人同士の社会性
③子供と大人との関係性
は違う。

③について「社会性」ではなく「関係性」を用いた理由は、社会性は法的に対等な立場を持つ人間同士、もしくは利益の依存関係がない人間同士に対する表現だからである。

例えば、
親子の関係性は社会性とは呼ばない。
夫婦の関係性も社会性とは呼ばない。

また、
AがBに対して社会性を発揮していることは、
BがAに対して社会性を発揮しているとは限らない。

例えば、大人と子供が関係性を築いているように見えても、多かれ少なかれ「大人が子供に合わせている」部分はある。

大人が子供に合わせること自体が、
「大人としての社会性」の一種である。

特別扱いされた子供は今後社会適応に困難を抱える可能性が高い。

何故かと言うと、
その特別扱いの理由が大人になったら消えるからである。

「大人になっても可愛がってもらう方法はあるから、そうすればいいでしょう」と思うかもしれないが、それができない/したくないから今社会から離脱しているでしょう。

強みは言葉ではなく結果である

近年ではHSPや発達障害が話題になっているため、「HSPの強み」や「発達障害の強み」などの言葉も生まれてきた。

しかし、こういった言葉を口にできるのは
「当事者かつ実際に実践できている場合」
のみである。

当事者が実践できていなければ、
それは「強みであって欲しい」、
または「強みかどうかは未確認/確認中」となる。

結局強みは空から落ちてくるものではなく、戦略性の産物である。
使いやすい強みも戦略的に使わないとすぐ錆びる。

また、当事者の「強みであって欲しい心理」を利用するビジネス話術もある。

人の信用を取るために一番簡単な方法は
「相手と同じことを言う」のである。

政治家やサイコパス、ナルシスト、詐欺集団がよくやっていることです。

あなたが本音を言っているかどうかが分からなくても相手はあなたを受け入れてくれる。

人間は集団で略奪をする習性があり、孤立すると略奪しにくく略奪されやすいため、雑な集団でも孤立よりマシ。

また、マイノリティは大体孤独で社会に対して不平不満を持っているため、かなり落としやすい。

一部の支援者が当事者に「強み催眠」をかけたり、当事者の「強みだ強みだ」言論に便乗したりすることはよくある。

車椅子に乗っている人にアドバイスをする人が居たとして、同じアドバイスでも話し手の認知レベルによって言葉の中身が異なる。
・車椅子に乗っている人
・車椅子に乗ったことがある人
・松葉杖を使ったことがある人
・身内に障害者が居る人
・ただ障害者をたくさん見た人
は違うよね。

知識は正しい認知と深い認知を元に使用されている場合のみ通用する。

あなたと同じことを言っている人、
あなたの望みを言ってくれる人は、
本当にあなたのことを理解しているのか?

真実がそうなのか?
それともそう信じたいだけなのか?

グレーゾーン無限延伸問題

少し話が変わります。

「ギフテッドは得意分野以外ではむしろ一般人よりも苦手」というデマが定着化しつつある。

一般の方々がそういう風に思わないと、
何か「不安」でもあるのか?

逆に何でもこなせるギフテッドは何なんだ?

何でもこなせる人は、
何故当たり前のように無視されるのか?

万能だったら健康問題を抱えないのか?

・何でもこなせる人
・得意不得意が激しい人

かつての人間は後者をギフテッドと呼ぶかね。
あえて不得意領域を含めて。

何らかの幻想に自分を寄せないと心を安定できない人は、そのうち再び不安定になってしまう。

「ギフテッド2E」も
「ギフテッドだった」も
マイルドギフテッドIQ115以上らしい」も
「凡人ギフテッド」も
「ギフテッド気質」も
正直訳が分からない。

あれあるじゃん。アイスの区分。
↓こういう感じかな
①アイスクリーム: ギフテッド
②アイスミルク: ギフテッド2E
③ラクトアイス: ギフテッドだった
④氷菓: その他(雑)

乳脂肪分が低ければ、
それをアピールしなければいいのでは?🐻

そんなに乳脂肪分に絶対的な価値があるわけではないし、皆も気にしていない。

本人だけが気にしている。

それでも

本熊は外来種だからか、日本の育児と教育の特殊性から結果的に発達停滞のような人間を育ててしまうことに気づいた。

どっかのタイミングから一気に増えてきたね。遺伝要因やかつて医療の遅れがあってもこんなに急激には増えない。

当然ほとんどの医者と専門家は気づいても言わない。

正しいことをするより自分のイメージを損ねずに生きることが大多数の日本人の行動原理だからだ。

マイノリティ界隈では高知能と自負している人が多い。

生きづらさの原因が本当に高知能と思えば、
それこそ手放すべきである。

机上での高知能テストの成績」は社会適応に役に立たないからだ。

偏差値が学生たちの不安を減らし優越感を満たすのと同じ、知能テストも社会に躓く人々に同じ効果を働いています。

マイノリティ界隈では自己分析に熱中している人が多い。

度が過ぎる自己分析は自分の可能性を狭めてしまう。

世界は自分を中心に回っているわけではないため、この世界の本質を理解することも同等に重要である。

そして何より大事なのが、
対象が自分だろうが外部だろうが、
こういった分析の目的と目標は何かを決めることです。

例えば、
「自己分析」と「世界の本質の理解」に、
「ビジョン」と「失敗前提の覚悟」を足すと、
「超合金超弾力メンタル」が創られる。

自己分析には自分の過去と現在の限界が含まれているが、未来の成長を含めていない。

未来の成長は行動を通じてしか得られない。
行動には失敗が付き物。

自己分析は多くの場合、
人間はこれまでの逆境にフォーカスし、
「そうか、私は✕✕の特性で◎◎ができなかったのか」
「そうか、私は子供の頃のあの経験からこういった悪影響を受けているのか」
といった結論に辿り着く。

積極的分離理論はマイノリティのサバイバルに役立つ。

例えば「それでも」の活用だ。

先程の例で言うと、
「そうか、私は✕✕の特性で◎◎ができなかったが、・・・それでも△△を活かして◯◯を達成する」

この△△を編み出さないと、
自己分析は何かから逃げるための言い訳を作るだけのループにハマりやすい。

目の前に逃げ道があれば戦うことより優先するのは本能であるため、必ず悪いことではないが、いつか逃げる以外の道を作りたければ「それでも」を意識しましょう。

それでもよ

日本の未来は真っ暗だ。

余命があと30年もあれば、
異常気象と巨大地震と食糧戦争と資源/エネルギー戦争と宗教戦争と人間性の崩壊をこれから存分に経験できるだろう。

今も世界各地で起きているが、事態の悪化により今後は日本人も他人事でいられなくなる。

その未来で生きていくために何が必要なのか、を自ら考え、子供にも考えさせよう。

人生に一番影響力のある要素は「運」だが、
それだけにフォーカスするとますます運が悪くなる。

自分と同じ言い訳カードを持っているが、
そのカードをなるべく使わずに生きている人にフォーカスしてみましょう。

彼らは例外であり、
サバイバルのチャンスはいつも例外にある。

チャンスを大事にする人にだけ次のチャンスが来る。

ではでは🐻

お気持ちだけで十分です。 お金は自分より立場の弱い人に使ってくださいね🐻