社会の力学⑥ー泥沼合戦から抜ける
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熊です。
マイノリティの人生はよく泥沼にハマったりします。
今回は様々な沼にハマっている人間のオペを行います。
ちなみに今回の気持ちの天気予報は「月曜朝7時」です。
もうチワワちゃんが居ないから、凌ぐしかないぞ!
高IQという沼
認知バイアス
高IQの証明をゲットしたら、すぐさまそれをこれまでの生きづらさの原因に直結する人が非常に多い。
たとえ知能は生きづらさに影響があったとしても、上記ロジックの前提はまず周りの人や会話ができないと感じた人々に知能テストを受けさせ、自分と差が開いていることを確認しなければならないのである。
知能テストで130点以上が取れる人は確かに2%しか居ないが、それはあくまで確率の話で、確率は可能な限り検証し、対処を自ら考えないと問題は解決できない。
「そんなのは測らなくても分かる」
と反論したい人も居るかもしれないが、
だったらあなた自身も測らなくてよかったでしょう?
テストせずに自分の知能を測れなかった人が、
他人の知能を憶測で測れると言っても信憑性は皆無だ。
「話が合わない人は自分より知能が低いに決まっている」
=
「取れない高い場所にある葡萄は酸っぱいに決まっている」
言わば認知バイアスである。
知能は言い訳ではなくサバイバルに使う
人間のコミュニケーションにおいて知能が極めて重要な役割を占めしていれば、国会の予算審査や対立している国同士なども全く同じような知能指数を持つ人々を協議の場に送れば話がうまくいくでしょう。
そもそも企業も知能テストを採用基準にすれば、
宇宙一の企業に成長できるのでは?
きっと金も人権も倫理も社会貢献も全て上手くいくでしょう。
そんな企業聞いたことがありませんよね?
「全地球の社会人がIQ130以下に決まっているから、知能テストを採用基準にするという素晴らしい発想に思いつかない」
なんてあり得ない。
「知能指数による雇用選別は差別に該当する」
と反論したい人も居るかと。
そんなのいくらでも回避できるからね。
SPIはやっているよね。
性格診断もやっているよね。
これらは差別ではないのか?
特に外来種の本熊にとって、
日本の義務教育を前提とするSPIなんて正真正銘の差別じゃないのか?
江戸幕府?
名前が全部似てるちょんまげおっさんかな。
平安時代?
囲碁が上手い人々かな。
弥生時代?
頭の両側にダンベルを付けている人々かな。
ぴえん。
日本企業が外国人を差別している。
ぴえん。
どうでしょう?
少し正当性があるように見えませんか?
でもこうやって喚いても生き残れない。
仮にこういった外国人差別行動が目の前に起きたとしても、
高知能のあなたは他人のために戦うのか?
しないよね。
一般知能の人々があなたを助けないのと同じ。
知能が社会に影響を与えている部分は当然あるが、
逆に知能と全く関係ない部分もあるのに気づいていませんか?
散歩中に転けた婆ちゃんが居たらどうしますか?
婆ちゃんに知能テストをさせるのか?
婆ちゃんとボードゲームをするのか?
人に助けてもらいたい、理解してもらいたいが、
自分はどこまで実践しているのか?
お前が先にやれという沼
この社会は自己陶酔に自己催眠に口だけ番長の大人だらけであることは百も承知です。
多分本熊の場合は億も承知です。
天才と関わりたい
例えば今の日本社会では不登校爆増、うつ病爆増、
未だに同性婚云々で裁判でモタモタしている。
このような教育も人権も多様性も遅れている日本で今年はアジアギフテッド教育国際学会が開催される。
グーグルがなければ、もしくは偉い人、有名な人、収入の高い人からの指示がなければ何も考えたくない君たちがギフテッドを語るには100年早いわ。
もっと簡単なことでさえも解決できず、
解決する意思も持っていないのに、
脚光を浴びることばかり企んでやがる。
晩御飯にしてやろうか🐻
政治家と賭博
政治家に絶望している人も多いようだが、
そもそも政治家の行動原理は何だ?
政治家というのは、
賭博とマーケティングに特化する職種である。
社会人経験があれば、
まともな事業のPDCAを一周回すだけでも最低数ヵ月、
ほとんどは年単位であることが分かる。
ましてそれが一企業ではなく国単位になると、
成果が出るまで数十年に及ぶ可能性もある。
しかし政治家の任期は短いため、
長期的な計画は結果を出すのに間に合わず選挙の破綻に繋がる。
ほとんどの人はそもそも政府の政策計画を覚えていないし、
最初から興味もない。
また、日本の投票率が低いため、
全ての国民の支持を得る必要は全くありません。
上記の事情を鑑み、
勉強が得意なエリートたちは必然に最良の一手を取る。
それはギャンブルである。
(ざわざわ・・・)
つまり「全国民の税金」を、
「投票してくれそうな一部の国民」に集中すればいいんだ。
投票しに行かない日本国民は、
政治家に自分達を見捨てさせている。
また、重要なことよりも、
確実に四年以内に成果を出せることに集中する。
「ギャンブルって成功保証ないじゃないか?」と思われるが、
ギャンブルとは確率のことであり、財布が深ければ話は別だ。
政治家は「一つの成功」までに、
国民の税金を無限に使っていく、
足りなければ増税すればいいのだ。
検討や改善はいつも適当に済ませ、
さっさと次の政策を出そうとする。
プロジェクトは失敗したらすぐ中止すればもうマスメディアに映る機会すらない。映るのは政治家たちがいつも何か新しいことをしようとする素晴らしい姿勢だ。
少なくとも政治家はそう思っている。
実際に選挙の時に政治家の失敗を覚えている人は野党に投票するより、そもそもほとんどは投票しに行かないし、一つでも政策の利益を得られた人は与党に投票しにいく。
近年の少子化政策はまさにそうだ。
失敗が重なりあまりにも目立ちすぎて、
官僚たちは最近KPIが達成できなくてもスルーするようになった。
そして税金がどんどん無駄にされていくと、
一部の子持ち世代とそうでない世代の対立が始まる。
子持ちではない世代は我慢の限界が来て、
何故か政治家ではなく、怒りを子持ち世代にぶつける。
腰抜けだから。
子持ち世代は「自分は国の未来に貢献している」と反論するが、
最初から避妊を辞めた理由は国のためだったのか?
後出しジャンケンは良くない。
また、国の未来に貢献しているのも事実ではない。
教育できないモンスター親ならむしろ産まないでほしい。
やはり人間は都合の良い結果論にハマりやすい。
こうやって社会全体がおかしくなっていく。
おかしくなる方が楽だから。
一億総丸投げ時代
このようにクズな高知能が社会のトップにしがみつき、
若者たちはDoomerになり空虚な日々を過ごしていく。
しかし、
・他人がやるかどうか
・他人のやっていることが間違っているかどうか
・自分がやるかどうか
本来ならばこの三つに因果関係は存在しない。
自分だけやるのは不公平とか、
自分だけだと生きているうちに実現できないとか、
自分だけだと効果が薄いとか
そういうのは実はエゴである。
自分だけでやると何がダメなのか?
今は他人ではなくあなたの話をしている。
生きているうちに実現しないといけない理由は何だ?
これはあなたの気分ではなく行動価値の話をしている。
極端に言うとこの世界の人間を全て切り捨てる勢いでも良いから、
あなたの死後に誕生する人々のためなら、
どんなに効果が薄くてもやる価値はあるでしょう。
人間は利己心が強まると何かと比較したくなる。
そして他人を意識し始め、
自分よりできない人にフォーカスし、
悪い方に平準化しようとする。
承認欲求と自己実現欲求の奴隷になってはいけない。
本来この二つの欲求がなければ、
ただただやっていけばいいのさ。
この時代より最悪な時代はいくらでもある。
我々のために努力する人が居なかったら、
あなたは嘆く暇すらできない。
尊敬する人を一人でも探してみてください。
生きているか死んでいるかは重要ではない。
そして彼/彼女の行動を真似してみてください。
言い訳をせずにただ真似すればいい。
そしたら色々と分かってくるはず。はず。
人間のすごさとは何かを。
潔癖症という沼
綺麗の定義は人それぞれだが、
人間は綺麗なものが好きというのは間違いない。
しかし、
綺麗な見た目の裏には地味なものばかり、
綺麗なものができるまでは地味な時間ばかりである。
綺麗なマンションの外装を外したら、
ただの殺風景な金属と石の塊となる。
さらにその金属と石の加工、採掘、調査活動は地道で地味。
今の社会風潮では
・興味のあることだけがしたい
・楽しいことだけがしたい
・得意なことだけがしたい
今の社会も若者が満足の行く制度作りや配慮に全振りだが、
そもそも若者の要求が全て正当かどうかに議論の余地があるはず。
人手不足とは言え、
本当に猫の手まで借りるべきではないし、
人間を猫のように育てるのもどうかと思う。
そういった雇い側や保護者の近視眼的な思考は、
これまでとはまた違う歪んだ制度や風潮を作ってしまう。
真面目な人、責任感のある人がより損する社会になる。
親ガチャ、先生ガチャ、配属ガチャ、上司ガチャと言いつつ、
まだ置かれている環境の全てが見えていないのに、
全てを投げ出している価値観に本熊はかなり懸念している。
何故かと言うと、
それは「生きている」というより「ギャンブル依存」に近い。
「何か一つでも自分の人生に役に立ちそうなことを学んでから・・・」
という意識は人間としての成長の源である。
上記の記事にも書いたように、
テクノロジーが我々の脳の人格成長を妨げ、
精神疾患の罹患率まで増やしてしまっている。
音楽や映画、アニメ、ゲームなど、
何もかも科学を基に計算された刺激を大量に積められ、
人間はあっという間に大量の喜び快感を得られるようになった。
しかし人生には待つ必要な場合がある。
身長が足りずスラムダンクができないからバスケットをやめるのか?
それとも身長が伸びるまでに他のスキルを磨くのか?
それとも身長が伸びなくても他のスキルを磨くのか?
待っている間に、空白の時間に、
何をすればいいかを自ら編み出す必要がある。
待つことを悪いことと捉え、
目先の利益しか見えていない人間が溢れる社会では、
多様性謳歌や働き方改革では対応できない。
AIの進化は目紛しい。
そのうちAIが労働力の穴を埋めることができれば、
今のような猫たちに対する配慮は全て撤廃されるから、
この売り手市場トレンドを完全に信用しない方がいい。
機会損失という沼
最後に一番辛い話をする。
今の日本ではメンタル不調による
・不登校
・休職
・引きこもり
が増えている。
そういった経験になったことがない人は想像しにくいが、
実は多くの人間にとって長期間休んだ場合に一番辛いのは
休息の間でも、社会復帰を決めた後でもなく、
社会に復帰してからである。
抜け出してからが新たな地獄の始まりである。
これはブランク期間を埋めるための努力が大変という意味ではない。
あなたが休んでいる間は、
「これは必要な休息」
「落ち着いて考える時間が必要」
「健康は一番大事」
といった自分への言い聞かせはいくらでもできる。
これらの考え方は間違っていない。
これは強調する。間違っていない。
ただし、社会に復帰したら自分は間違っていたと考え始める。
どういうことかと言うと、
例えばあなたが部屋から出て、
嫌な気分を感じたらまた部屋に戻るかもしれない。
なかなか一回で成功しないことはよくある。
そしていつかあなたが部屋に戻らないときは、
外の世界に対して何か良い気分を持っているときである。
外が良いから、部屋には戻らない。
シンプルな流れです。
ここから先が問題。
外は変わっていない、かつ外が良いなら、
何故自分は部屋に居たのか?
しかも長い間に。
ストレスを感じると、白黒思考は作動する。
外が「良い」なら、部屋は「悪い」。
このタイミングで冒頭の言い聞かせは効かなくなる。
かつて部屋に居た時間は取り返しのつかない失敗と感じ始める。
これは特に完璧思考や責任感の強い、
自分への期待が強い人間が陥りやすい状況である。
「あの期間がなければ・・・私は既に・・・」
という強迫観念にいつまでも苛まれ、再度体調を崩してしまう。
もしくは無気力で生きていく。
人間がうつ状態になると、
視野が狭くなり、思考が偏り、不健全な解釈をしたりする。
認知の歪み
認知の歪みの場合は認知行動療法を施されるが、
そういったノウハウは山ほどあるのでここでは割愛。
OEと記憶力
OEによる感覚処理の深さおよび記憶力の良さの場合、
傷を深く長く引きずってしまう。
これは時間に任せるしかないが、
解決しきれない場合がほとんどであるのも事実。
時間の感覚
最後に時間の感覚の場合もある。
これは寿命が延びれば緩和されることが多い。
注意、「年齢」ではなく、「寿命」である。
年齢によって理解できないものは確かにあるが、
ここで言っているのは時間に対する感じ方である。
例として、
15歳の子供が3〜8歳の間に虐待を受けたとしよう。
これを5年と解釈しても人生の3割と解釈しても構いません。
どちらにせよ。
本人にとって人生の大半である感覚は変わらない。
若い命は時間を重く感じる。
短い時間しか経験したことがないため、
短い時間も相対的に長く感じる。
人生の大半が嫌な経験しかない人間が、
人生を投げ出すことがよくある。
この場合の解決法は、
まず人生を進めるしかない。
15歳にとっての5年間と、
30歳にとっての5年間と、
50歳にとっての5年間は全然違う。
人生を進もうとしないと、
その苦しみの時間は現在進行形として増えていく。
先の例からすると50歳になっても、
虐待歴5年、虐待歴を考える45年の人生となる。
過去のことを断ち切らなくても良いので、
他にやりたいこととやるべきことをやっていきましょう。
この話は留年や浪人、重い失敗経験にも通用する。
おっと、長くなっちゃった。
今回の記事はここまで🐻
↓続き
お気持ちだけで十分です。 お金は自分より立場の弱い人に使ってくださいね🐻