社会の力学③ー評価の仕組み
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熊です。
今回の気持ちの天気予報は「水曜午後2時」です。
マイノリティ、
とりわけ特定の才能を持っている人が社会生活の中で、
他人に評価されないことに悩むことが多い。
今回はその「評価の仕組み」について話したいと思います。
では、本編行きます🐻
いくつかの評価
評価と聞いたら、皆さんはどんなイメージが湧きますか?
熊は下記のような視点を考えている。
①他人があなたに対する評価はどうなのか
②他人があなたを評価できるのか
③他人があなたを評価したいのか
④他人があなたを評価する必要があるのか
⑤自身に対する自己評価はどうなのか
ケースによっては複数の視点が絡んでくる場合もある。
常にそれぞれのケースに対して明確に切り分ける必要はなく、
重要なのはこれらの全ての視点を理解することである。
①他人があなたに対する評価はどうなのか
人生には様々な段階で他人に評価されることがある。
学生であれば入試、
社会人であれば就職、業績評価、昇進。
交友関係や婚活もある種の評価。
家庭内の親子関係も場合によっては評価が発生する。
人生設計によっては、
評価が生活に大きな影響を及ぼすこともある。
他人に評価されずに苦しむ場合、
その原因は三つに分けることができる。
①他人に評価されない
②他人からの評価が自己評価と違う
③必要な資源が得られない
承認欲求
①他人に評価されない
②他人からの評価が自己評価と違う
上記①と②の原因は単刀直入で言うと「承認欲求」である。
「承認欲求」は生存本能から来る帰属意識や、
自己愛性、パーソナリティの不安定さなどに影響される。
これらの要素は互いに因果関係や相互関係を持つ場合があるし、
生まれつきの性質や生育環境にも関連している。
いずれにしても承認欲求は簡単に克服できない場合が多い。
承認欲求って何が厄介かというと、
そもそも本人が自身の承認欲求に気づいていない、
もしくは軽くでしか認識できない場合がほとんどである。
たとえ第三者から見ると、
もはや本人のおでこに「承認欲求」が書いているような明確な状況でも、
本人の脳は本人を守るために正しい自己像を認識させない。
欲しくはないが欲しい
③必要な資源が得られない
上記③について、主に二つのパターンがある。
パターン1は、
他人に評価される必要はないと思いつつ、
評価された場合に得られる利益を期待し、
期待が叶えられない場合である。
パターン2は、
他人に評価される必要はないと思いつつ、
評価されないと必要な生存資源が得られない場合である。
二つのパターンとも他人による評価が欲しいわけではない。
パターン1は自分の欲望を制御することで改善される。
例えば物欲を刺激するような媒体を避けるとか。
パターン2はどちらかというと適切な社会支援を求める必要がある。
短期的には支援金、長期的には様々な能力向上の育成支援が必要。
制度が整備されていない場合(境界知能とか)は詰む。
②他人があなたを評価できるか
マジョリティと異なる特性は、
当然評価されない場合が多い。
「自分は他人を評価できる人だ」と自信があっても、
その評価を全ての人に納得させることはできない。
評価の「状態」は特定の条件やタイミングに限ることがほとんどなく、
評価する側の人生の様々な評価と被評価体験の影響を受け、
無意識に様々な価値観が融合される。
個人の評価でさえ、社会活動を通して、
評価は個体同士を渡って変わっていくため、
その評価が起点か中間地点か終点かが分からない場合が多い。
マジョリティの評価はマジョリティ社会から成ったものであり、
マイノリティに対する評価観点が欠けている場合が多い。
この他人に評価されないことは、
近年知能テスト高得点者や学校成績優秀者、
高学歴の方々の愚痴の中心となっている。
知能に拘ったり、知能を過大評価したりすると、
自然の摂理を理解できなくなる。
自然の摂理って何?
それは生き延びることである。
たったそれだけ。
かつて絶滅した様々な生き物もそれぞれの特長を持っている。
見方によっては彼らは全て才能に溢れていた。
それでもたくさん絶滅してしまった。
生き物の特性は環境や他の個体との競争/協力関係によって、
強みであったり弱みであったりと変わってくる。
生き延びた種は必ずしも総合的、
もしくは特定の分野における能力が一番高いとは限らない。
どちらかと言うと、
一番「適応力」のある種が生き延びる。
高知能や特別な才能、思いやりなどは、
自分にとって都合の良い評価基準だが、
自然からするとどうでもいいことであり、
嘆くだけの個体は絶滅するのみ。
🐺チワワ「相変わらずキツいことを言うね」
🐻熊「出口のない恨み嘆き虚しみトンネルに穴を開けといた。通るかどうか、通れるかどうかは本人次第」
「理想」が「生存」を上回ることは決してありません。
それは自分を変えることに怯えることや
失敗を恐れる人の自己欺瞞である。
生きているからこそ、理想がある。
自分を生かすことは理想を生かすことになる。
③他人があなたを評価したいのか
④他人があなたを評価する必要があるのか
上記の③と④はペアで出てくることが多いので、
まとめて説明します。
優秀な人や知能の高い人が、
正しく評価され、
正しく支持され、
正しく協力を得られれば
一般人よりも貢献でき、
より裕福で公平で愛に溢れる世界の実現に繋がる。
・・・という誤解はよく見かける。
天才を謳歌する本は大体似てるような表現を使う。
降臨!完璧超人!
まずは下記二つの例を見てみましょう。
どうでしょう?
もちろん「未来のことは誰も分からない!」
と言う人も居るかもしれません。
じゃ、仮に未来のことまで分かって、
やはりあなたは完璧超人の足元に及ばないと分かったら、
潔く諦められるのか?
強者と弱者の余裕
一部の人は普段から他人に権利を譲ることができる。
ただし、
無限に譲っていけるような人は居ないと考えたほうがいいし、
それが正解とも言えません。
他人に譲れる場合は主に三つの原因がある。
①負けより自ら退いたほうが損が少ない
→失敗経験の多い人
→遺伝子や教育によってリスク思考の強い人
②共感力が高いため、他人を優先する
→純粋に自分の欲望が薄い人
→他人の感情を自分の感情と混同した人
③リーダーを求めている人
→一見理想的な協力者だが、
往々として盲目崇拝に暴走する
強者はたまに権利を他人に譲っても、
高い能力により再度チャンスを掴んだり、
渡した権利を取り戻したり、
自分に不利な状況を挽回したりすることもできる。
つまり、
強者は経済的・肉体的・精神的な余裕を保ちやすい。
例えばギフテッドの場合は見た目が激弱だが、
経済的・肉体的な余裕がなくても、
「まあ、くれてやるよ」
と精神的な余裕を持つことが多い。
一方、生存資源の少ない弱者はすぐ余裕がなくなる。
ちなみに、一部の弱者は強者に偽装する場合がある。
弱者は死との距離が近いため、
場合によっては卑怯に生きる必要があるし、
卑怯の定義を忘れた時もある。
もちろん感情的には正当性があるかもしれないが、
行動に正当性があるかは別です。
グレーゾーンを狙う人も居れば、
限りなく黒よりのグレーを堂々と歩く人も居る。
まして黒を白と定義し直してルール化する人も居る。
悪いのは「あなたを評価しない人」ではなく、
「他人を評価すると自分が損し得るこの世界」である。
⑤自身に対する評価はどうなのか
これは皆さんにご自身で完成してもらいたいので、割愛です。
終わりに
如何でしょうか?
「楽しいこと」だけではなく、
「社会における評価の仕組みに対する理解」を、
ギフテッドの子供に必要と思いませんか?
また次回の記事で会いましょう。
ではでは🐻
↓続き
お気持ちだけで十分です。 お金は自分より立場の弱い人に使ってくださいね🐻