時間の流れ20191209

 最近の僕の人生は充実している。 

 最近やたらと時間が一定に流れていないと感じることが多い。それは相対性理論の様な小難しい話(人によっちゃ簡単かもしれないが)でもなんでもなく、体感の問題だ。気づいたら数時間経っていることもあるし、3日くらい経ったかなと思って時計を見たら15分しか経っていなかったりする。痴呆が始まったのかもしれないし、生まれつき鋭さにかけては自信がある僕の集中力や感覚が3年間料理をしていない包丁の如く研ぎ澄まされてきたのかもしれない。

  子供のころは1日が過ぎるのが早かったと人々は言う。僕もそう思う。朝から晩まで泥だらけ擦り傷だらけになって遊んでいたらもう夜だった。毎日ウルトラマンのことを考えている良い子だったので20時にはもう寝ていた。夜中の存在を信じない異端の宗教の狂信者の如く深夜には縁が無い生活を送っていた。起きた時には次の日の地面に立っていた。その身に太陽を浴びるのは当たり前のことだと思っていた。言ってしまえばもう植物だった。

 それが今や毎日日付が変わるまで学校の研究室に籠るラボ畜である。家畜どころか畜生だ。賽の河原で石をスカイツリーよりも高く積み上げ続けるような毎日だ。崩しに来る鬼もドン引きであろう。やることは多く、時間は足りない。進捗は少ないが時間が来ればアカハラクソ教員が僕が必死に積み上げた石ころによる力作を嬉しそうな顔をして崩していく。我が研究室では誰もが皆、他人を不幸にするためだけに勉強をしているので建設的な会話は存在しない。実に充実した人生を送っていると見てもよいだろう。その完全感覚不幸ゾーンに何としてでも引きずり込んでやろうという心意気は尊敬に値する。ぜひ速やかに死んで地獄での365連勤に励んでもらいたい。

 ここまで読んできてやっとわかったかもしれないが今回の記事は愚痴である。頭の方で時間の流れだとか少年のころの思い出だとかをつらつらと語りメランコリックな気持ちになりに来た読者諸君をからめとり水あめの如くねちねちとした愚痴を聞いてもらいたかっただけである。勿論、聞いてもらったところでどうにかなるわけではない。今日も早い早いと感じる時間の流れに少しだけ逆らってみただけである。

 そんなわけで最近の僕の人生は充実している。

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