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毒親、母の話(2)

前回の話『毒親、母の話⑴』に引き続き、⑵を書こうと思います。(こうやって書いていると、母の事が整理されるものなんだなと実感)

私が中学生になり、母は更年期に突入したこともきっかけだったのか?突発性難聴とパニック障害を発症。私が中学3年生になるまで殆ど家におらず、入退院の繰り返しをしていた母。その間、父方の祖母が家事手伝いをしにきてくれていた事もあって、家族で過ごした日々の中では唯一と言っていいほど、私にとっては穏やかな日々が続いた。(母が退院すると、イライラに巻き込まれることもあったけれど)

中学3年生の冬、母の体調も少しずつ回復。当時介護職をしていた母は、再度パートへ出かけるようになる。

母「ちょっと買い物へ付き合ってほしい」

ある日母からそう言われたので、買い物へ二人で出掛けた。車で少し走ったところだったと思う。怪しいビルの一室へ連れていかれ、店員らしき女性2名と母の友人が、母を囲う形で話していたのを今でも覚えている。多分私の母はとても騙されやすい。しょうもない詐欺や、マルチにひっかかっている姿をこの頃からよく見るようになった。ちなみにこのお店?では補正下着を買っていた。金額は30万円。勿論お金などあるはずもなく、これも金融業から借り入れたもの。

この頃から母は滑り落ちるように、色んな金融業や友人、しまいには私の友人の母親からお金を借りるようになっていく。多額負債を抱える人の典型なのかもしれないが、借金をなんとかする為に、別の場所でお金を借りまくる、必要以上に。そして少し余ると返済に回さず、買い物や生活費に充てる。

私が高校1年生になる頃には、アイ〇ル等の大手金融業会社が3社、トイチ(10日に1回返済する)、ヒガケ(毎日少しずつ返済)、昔は電話番号も担保に入れられたため、それを利用してまで借金をした母。トイチやヒガケの利息はぶっ飛んだ金額なのは言うまでもない。自宅の外にあるボイラー室に小さな瓶を置き、父にばれないように闇金とやり取りをしていた。

とにかくお金がない、本当にお金がない。なのに母は贅沢をする。私は高校1年生頃からバイトをしていたのだが、私の給与に母が集るようにもなっていった。お金が底をつきると、私の物や、母の嫁入り道具だった着物を売ったり質屋に入れるようになる。とにかくいろんな物を失わされた記憶しかない。父はこの頃出張がとても多く、月に2~3度しか帰ってこない日もあった。そんな父が自宅に帰ってくるとなると、母は大騒ぎをした。理由は、金融業からの取り立て催促の電話や訪問があるかもしれないから。

母「電話線を少し抜いて!」

父が帰宅する時間になると、よく私は母からそうやって命令された。今振り返ってみると、自分でやればいいのにとも思えてくる。母なりの罪悪感があったのだろうか。

騙されやすい母のエピソードをもう一つここで追記しておきたい。

某宗教学会に母は勧誘され、10万円の掛け軸を購入したことがあった。丁度その時期、私は学校で【マルチ商法や金利】について勉強していたときだったと思う。学校から帰宅すると、玄関に数人の靴があり、誰か来ていることが分かった。母に声をかけようと居間へ行くと、3人の見知らぬ人に囲まれて母は話をしていた。『人はこうやって騙されるのかもしれない』と感じ取った瞬間だった。

この、宗教話には親族が実は関係している。父方の祖母が長年信仰しているお寺があるのだが、母は何故かそれが気に入らなかった。理由は今でも分からないが、とにかく母はその宗教が嫌いだった。

母「あんな宗教よりこっちの方がいいに決まってる」

そんな事を言う割に、父には内緒のままだったし、掛け軸も私の部屋に隠す形で置いていた。何がしたかったのか、今振り返ってみても分からない。

父が出張でいない時、私と母は殆どと言ってもいいほど、車中泊を繰り返した。勿論理由は【闇金が取り立てにくるから】だ。父に借金の事を言いたい気持ちが無かったわけではない。⑴で語った『元を辿ればお前の入院費用で借金が膨れた』この言葉を母が利用し続けたため、私は父に言うことができなかった。

こんな事が一生続くわけじゃない。それは読んでいても分かるし、当時の私にも勿論わかっていた。借金がバレたきっかけは、電話番号の担保と父の名前を頻繁に利用した事だった。最終的には借金が800万円に膨れ上がり、返済できなくなった母の後始末をつけてもらおうと、闇金が父の会社へ連絡をした事から全部バレてしまった。当然父は激怒。母は泣きわめき、どうすることもできない状況になった。流石に母の両親に再度お願いすることはできないということで、母と父が一緒に頑張って返済する事になったのだが、この判断が更なる不幸を呼び寄せることとなってしまう。

毒親、母の話⑶へ続く→

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