毒親、母の話(1)

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最初の記事は何にしようと色々考えた結果、とりあえず毒親である母の話を書こうと決めてみました。

この写真は多分、母が26歳で私はまだ0歳半年くらいの頃。当然この時はまだ、母が毒親だなんて知らないし苦笑、そもそも母が毒親だと気付いたのは、約3年ほど前の話だった。

母は、熊本県の田舎にある、小さな集落のお金持ちな家庭の末っ子娘で生まれ、割と不自由なく育てられた人だったらしい。体が弱く、母は食道閉塞の先天性病を患っていた(今も治ってはいない。)母が幼い頃の話だが、悪戯をすると、曽祖母や曽祖父から夜中に起こされ、箒で何百発もお尻を叩かれたり、蔵に閉じ込められたまま忘れられてしまい、1日泣いて過ごした記憶があると聞かされたことがあった。母は何故か、実の兄や姉からも疎まれており、私が幼い頃に叔母が『文子(私の母)はいらない子だった』と言っているのを聞いてしまった事もあった。

私が生まれる1年ほど前に、私の母と父は出会った。私ができてしまったので結婚をしたと聞いている。嫌々というわけではなく、それなりにお互いに好きではあったようだ。

母は私が小さい頃からお金の管理ができない人で、詐欺紛いな布団販売員から高い掛け布団一式を購入した事もあった。私も実際には見たことは無いが、布団代を払えず、詐欺業者が自宅へ訪ねてきて、赤札(家具を売らせる為に貼りつけたようだ)をつけられたり等があったと後々父から聞かされた。

私が小学校3年生の頃から、母はアイ○ルのような金融業に手を出すようになる。理由は本当に分からない。父は私が小学校2年生あたりから勤務先を変え、海外出張までするようになっていたので、多分収入はそこそこあったと思う。ちなみに父の職業は半導体技師。とても頭が良くて自慢の父であることは、過去も今も変わらない。母もパートの仕事をしていたが、職を転々としていた記憶がある。多分、一番長く働いた勤務先で半年ほどだったと思う。

私が小学校低学年くらいの頃、母はよく私を怒鳴っていた記憶も強い。『ご飯が炊いていない』と怒鳴られたし、料理の下準備をすれば『切り方が気に食わない』と、ザルに切って入れておいた野菜を全て目の前で捨てられた事もあった。その後、何故か謝るまで廊下に立たされ続け、深夜1時にお風呂へ入れられた記憶が何度もある。未だに理不尽だとしか言いようがない。

小学校5年生の頃、私は酷いいじめに遭った。いじめられた理由は『気に食わない』という子どもならではの理由だった。そのおかげで、私は体調を崩してしまい、1年半入院を余儀なくされてしまう。私の入院費用は全て、生命保険と父の給料で賄われていたし、今考えると余裕で足りるのだが、後々母から『あの時お前が入院したから借金が膨れ上がった』と何度も詰られることに繋がった。

とりあえず、いじめの話は置いといて(いずれ記事にしたい)、私が小学校5年生の冬に、母が金融業から100万円を借りていることが父にバレた。ちなみに私は知っていて、『このことをお父さんに話したら、家族がバラバラになるし、お前が学校行けずにお父さんに黙って休んでたことを言う』と脅されていたので言えなかった記憶がある。この辺りから既に毒親気質があったように感じる。時々母に連れられ、真夏の暑い日にお金を返しに行く×返すためのお金を別の金融業から借りる為に出かけた記憶もある。『ここで待ってて』と車に残され、1時間ほど待たされ、熱中症になりかけた事もあった。体調の悪い表情を私がしてたのか、『なんで車から降りて、自分で涼しいところへ行かなかったのか』と怒鳴り、責められた事もあった。

父や母方の祖父母に借金がバレた時、『やっとこのことから解放される』と安堵した。借金は祖父母が返済することになり、これで全部終わると思っていたが、実はこれで終わりではなかった。100万円と思っていた借金額、実は150万円あり、母は残りの50万円を何故か周囲に言えないまま、事柄を終わらせてしまった。これが後々大きなこととなり、問題が大きく膨れ上がることになるとは、まだ誰もこの時は予想できなかった。勿論それは母もまた同じだったとは思う。

借金の返済も終え、私は小学校を卒業。中学生になり、私が1歳頃から住んでいた町営住宅から、父の働いている職場の社宅(一軒家)へ引っ越す事となった。


→毒親、母の話(2)へ続く

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