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はじめまして ~note始めます~

初めまして。TOMOZOと申します。大阪在住のおばちゃんです。ヒョウ柄は好きですが、服は持っていません。アメちゃんは配るよりもらうことが多いです。家族は旦那さんと息子2人。長男は就職が決まり来春より家を出ていきます。次男は高校生です。仕事は某電機メーカーでカスタマーサポートを担当しております。誰が興味あんねん!笑

2021年4月に、私はクリエイターズファクトリーのオンライン3期生として入学しWEBデザインの勉強を始めました。仕事もまあまあ忙しく、お腹いっぱいのご飯を要求される毎日、時間の捻出は半年が経過した今でも苦労しているところです。

フツーに仕事さえしていれば、そこそこお給料をいただけているのですが、そんな私がなぜWEBデザイナーになりたいのかを自己紹介として記しておきます。

「社内広報」という仕事

私は入社以来15年間、会社の「社内報」を作っていました。毎月1号づつ、企画から取材、記事作成、割付(編集)、校正、発行に至るまでの全ての業務を行いました。この仕事が楽しくて大好きでずっと続けたいと思っていました。なぜ好きだったというと、会社には素敵な人がいっぱいいて、みんなが同じ目標に向かって力を出し合っていました。一人では達成できない夢も、会社としてなら日本一、世界一を目指せるのです。私には何の取り柄もありませんでしたが、そんな社内のモチベーションを盛り上げることで、会社の夢に参加できていると思っていました。縁の下の力持ちとして陰ながら努力している人たちのことを誰よりも注目し、話を聞いて社内報で紹介していきました。

ある時取材を受けてくれた方が、私にかけてくれた言葉がさらに私の新聞好きを加速させます。製造で品質向上の取り組みを頑張っている女の子でした。「TOMOZOさん、取材してくれてありがとう!また取材してもらえるように私らも頑張るからね~」

誰もが様々な思いを持って仕事に取り組んでいます。その気持ちに寄り添い、見つめること、応援すること。私は喜んでいただけたことがとても嬉しく「社内広報」という仕事に誇りを持つようになりました。

新聞が作れない

その後、会社のホームページの事務局も任せてもらえるようになり、社内、社外広報の担当となりました。世界中でインターネットが普及し始めた頃です。HTMLも勉強しました。HPの修正だけでなく、内容の企画にも携わらせてもらえるようになりました。「広報」という仕事をもっともっと極めていこう!そう思っていた私に試練が訪れたのです。

社内で大きな事業再編があり、会社がバラバラになってしまいました。社内の似通った事業をしている事業部が統合され、今まで一緒に頑張ってきた仲間達が日本各地に散らばっていきました。私はそのタイミングで次男を出産し産休に入っていました。私は元の勤務地に復帰はさせてもらえたのですが、以前の広報の仕事ではなく、現在のカスタマーサポート職場で部品の受注業務をすることになったのです。

当時の社長は、社内報は情報セキュリティの観点から発行しないという判断を下しました。社内報の成果は経営数値にハッキリと表れません。経営トップが強く関心を持ち、思いを共有していただかないと簡単になくなるものでした。

私は当時の社長に直談判しましたが、社内報を作ってどれだけの利益が上げられるのか、それよりも情報が流出して会社としてもリスクが高まるので発行する意義が感じられないと言われたのです。

組合報を創刊

育休から復帰した私は、組合報を創刊することを思いつきます。多くの方を説得し思いを伝えて創刊させてもらえることになりました。

長くなるので省略しますが、約10年程経ったころ、またも会社の再編により組合の組織も変わることになり、私のことを昔から知る役員さんも激減し、組合報は継続が難しくなり組合報も一旦の区切りをつけることになります。

このままでいいの?

部品受注の仕事は全く初めてで何の知識もなかった私は、早く役に立ちたくて積極的に打ち込みました。毎日数多くの電話を受け、当時は意味不明なお問合せも受けていきました。わからないことは何でも聞いて勉強しました。図面の見方、部品の調べ方、製品の特長、今では何を聞かれても大体のことならお答えできるようになりました。

お客さんからの信頼もいただけるようになった頃、受注の窓口から外されます。お客さんへ提供する部品情報の充実をすることになりました。毎日毎日、部品の写真をひたすら撮影し加工してシステムにアップする仕事。ずっと人に関わって仕事をしてきた私は、「楽しくない、このままでいいのかな」と思うようになりました。

次男の体調不調、そして不登校

転職を考え始めた頃、中学生になった次男が不登校になります。このことは大きなダメージでした。息子だけでなく私までも心身共にやられました。大変な試練ではありましたが、たくさんの人に助けてもらって立ち直りました。また別の機会で書きたいと思いますが、ここでも「人」が「人」によって元気やパワーをもらえることを身をもって体験させていただく機会になりました。

自分のことを考え始める

なんやかんやと最悪な3年間を過ごしました。私も業務を減らしてもらいながらなんとか仕事を続けながら寄り添ってきました。その間、しんどすぎてどう過ごしてきたのかあまり覚えていません。その次男も元気に高校へ通い始め、まだまだ見守りは必要ではありますが、私も自分のことを考えてもいいよね!と思い始めました。

ずっと学んでみたかったWEBデザイン、勉強してみよう、始めてみようと思ったのです。できれば広報の仕事へつなげて社内で異動ができれば最高です。長年関わってきた当社の製品達、社員の方々にも愛着があります。年齢的にも異動が難しければ、その時は「社内広報」にこだわらず、誰かを応援しサポートできるお仕事、「人」に関わるお仕事につながればいいなと思っています。

ここまで読んでくださって、ありがとうございました。

時間はかかるかもしれないのですが、WEBデザイナーを目標に頑張ります。応援してくだると嬉しいです。

TOMOZO

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