Netflix『Wonder』がただのお涙ちょうだい系映画ではない話
最初からネタばらししてしまうと、
久しぶりにこんなに泣ける映画があるんだ
っていう勢いの映画に出会った。
それが『ワンダー』だ。
誰かが病気で死んだり、障害がある人が頑張ることがすごい!
みたいな、いかにもな感動系が苦手なのにも関わらず、だ。
お涙ちょうだい系のドラマやバラエティを見ると、
きれいごとだけ描かれているなとか、そりゃみんな泣くでしょうよ。
って感じになってしまうのだ。
主人公はいつもすぐに両思いになるのに病気になるし、
音信不通だった家族が再会したと思ったら突然死別したりする。
見ている一瞬は感動したりもするんだけど、
どこかで冷めている自分がいて、
いや、これ結局何なのとなってしまうのだ。
そんな私がなぜこの映画に心が動いたかと言われたら、
主人公だけでなく、主人公の周りの人々も、いや主人公の周りの人だからこそ苦しんでいることが、丁寧に描かれているからかなと思ったから。
(それでももちろんできるだけ万人に観やすいように綺麗に描かれているとは思うのだけど。)
普段の生活の中で、障害のある主人公ばかりを周りが気遣う中、
夕暮れ時の浜辺で、その姉に言った祖母の一言が私の感情を一気に崩壊させた。
『オギーにはたくさんの天使がついてるから、あなたには私がついてる。
大丈夫よ。』
小さい頃から両親に、大切に大切にガラスを扱うように育てられた弟と、
親に迷惑をかけないよう、何でも小さい頃から一人で乗り越えようとしてきた姉。
それをおばあちゃんは分かっていたし、ずっと見続けてきたのだ。
人は無意識にでも、人生で誰かこういった存在を求めているのではないだろうか。
口に出す出さないは別として。
絶対的な味方を。絶対的な存在を。
少しきれいごとかもしれないが、少なくとも私はそう思っている。
こう言う人がいたら力になりたいなと思うし、
こういう人と結婚できたら幸せだろうなとも思うし、
こういう親や友人でいたいと常に思ってきた。
もちろん普段口には出さないけど。
久しぶりに一つの映画で何度も泣いたが、
理由を一つ挙げるとするならば、
この映画はもちろん主人公としては障害のあるオギーなのだが、
その周りの人全てに焦点を当てたオムニバスのようになっている点だからなのかもしれないと感じた。
みんながみんな主役なのだ。
人生の。
結果的に、先天性の病気を持つオギーが主人公として取り上げられ、
ハッピーエンドとして幕を閉じる。
単純に映画を見ていたら、これもお涙ちょうだい系の映画だったかもしれない。
でも、私はそう言う風に感じたのだ。
そしてオギーは最後にこんなことを呟いている。
『どんな人も人生で一度は称賛されるべきだ』と。
そういう意味で言えば、人は生まれた瞬間に誰かにすでに称賛されているのではないだろうか。両親に愛されて生まれてきて、うんぬんかんぬん‥。
なんていうありきたりな締めにするつもりはない。
結果的に自分は自分として一生生き続けなければいけないから、
自分を過大評価や過小評価することなく受け入れて生きたい。
そして人生で一度くらいは何か称賛されるような人生にしたいなと思った。
単なるお涙ちょうだい系じゃなくて、素直に前向きになれるものでよかった。
おしまい。
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