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夜明けのすべてから考えるPMSとパニック障害

少し個人的なことになりますが、まとめておきたかったので…相変わらず文章が長い!あくまで私個人の病状なので個人差があることはご承知おきください。

◉パニック障害について

私の不安パニック障害は子どもたちの病気関連(発症治療手術入院)から動悸過呼吸、眩暈などで倒れるようになった。それでもはじめは投薬には繋がらず、ずっと不安と共に生きてきたのだから今回も大丈夫だろうと思っていた。

その後もどんどん悪化していき希死念慮が継続して、さらに身近な人たちの死などもあり布団から起き上がれなくなった。本来であればカウンセリングも必要な状態だと思うが何より不眠をどうにかしたかったので、まずは内科で睡眠導入剤をもらう。その後メンタルクリニックを探し、初回はかなりの時間をかけて話して、病名がついた。
そこからは簡単な会話と薬の処方がメイン。
がっつりカウンセリングが欲しい人には向いてない病院だが私はこのあっさりさがありがたい。

山添くんの先生もさらっとした印象だった。
彼女さんが山添くんの回復を願い色々と質問したいところをうまくかわされていた。そうなんだよね。人それぞれだし、回復の段階も違う。前のようになってほしいという思いは理解できるけど、完全に前と同じようにはなれないんだろうなというのが実感としてある。

カウンセリングと同じような効果があったのは人と話すこと。はじめは誰にも会いたくなかった。
以前と同じように振る舞う自分を見せることが本当にしんどくて、もう誰とも関わりたくないと引きこもっていた。
映画では描かれてないが山添くんも意外に陽キャだった可能性がある。棚に飾ってあった写真はヨット部だったし。推測だけどパニック障害になり、不本意ながらも栗田科学で働くことになり最初は誰でもできる仕事だし頑張らなくてもよさそうだし別に会社の人と仲良くなる必要ないしどう思われてもいいし、と映画冒頭のやる気なし男が生まれたのだろうな。

でも私も生活上どうしても話せばならない場面になり、この人ならばと言う人には話した。
病気をカミングアウトするなんて無理だと思っていたけど、思っていたより受け入れてもらえている。今はその時々で現状を話して、困っていることを伝えてる。気持ちに寄り添ってくれる人、経験からアドバイスくれる人、一定の距離を置く人、離れていく人もいるけどね。

私の場合、病気とは違う問題に取り組むことは効果があったと思う。まさに藤沢さんと山添くんの関係のように。自分の病気を棚にあげて、私は子どもの学校の問題が降りかかってきたので、それを共に解決してくれるママ友さんたちとコミュニケーションをとることで、外に出られるようになったし、報告書などを読んだり書いたりすることで脳みそが動き出した。その分反動はひどかったけど、「できた」「やれた」という達成感は少しの自信へと繋がった。

現状は投薬と人と関わることで膠着状態を保っている。ただ突然の変更や突発的な出来事が降りかかってくる、トラウマになる風景を見た時、外で頑張って活動した反動などで、まだまだ発作は出る。相変わらずバスや電車には乗れないし、映画館体育館のような場所は行けない。山添くんが電車に乗れないシーン。あの立ち尽くしはあの日の私だった。一歩足を出せば乗れるのに箱の中に閉じ込められるような不安が襲いかかってきて乗れなかった。
今後はベイビーステップで少しずつ行ける場所、こなせる作業を増やしていきたい所存。

◉PMSについて

PMSは🐕産後から。最初は漢方で凌いでいたが、年齢が上がるにつれ、PMSがひどくなりPMDDと呼ばれる状態になってしまっていたと思う。
🐏妊娠中は穏やかだった。すごいよね。ホルモンて。もう私の身体は完全にホルモンに支配されていた。
🐏産後はがくんと体力が落ち、PMS、PMDDはよりひどく出た。🐏は持病持ちで生まれ、産後5日で産院とはちがう病院に搬送され投薬治療するも完治せず搾乳と通院の1ヶ月。身体はボロボロだし頭はおかしくなりそうだった。
意を決してピルを飲み始めたのはママ友さんのすすめがあったから。最初は気持ち悪さなどあったけど順応し始め、あの突発的なイライラはほとんどなくなった。

映画冒頭、藤沢さんの雨の中のロータリーのシーン、前会社での様子やヨガ教室での出来事など、わかるよわかる。身体や頭の中で何かがぐるんぐるんしていて、いつもなら気にならないことなんだけど、悪いように解釈してしまったり、なんでこんなこともわからないんだよ!と自分本位で言葉が出て出てきてしまったりする。本当に止められない、頭の一部でこれは言ってはいけない、言わない方がいいとわかっているのに、何かに支配されてどんどん良くない言葉が出てくる。理解してほしくて説明してもわかってもらえなくて、冗談じゃなく椅子とか投げて壁に穴あいてます。テレビのリモコン投げて壊れて不便です。自分のことが怖かった。

今は常にうっすら体調の悪い毎日だが、PMSで蒸気機関車のように周りを蹴散らして当たりまくり傷つける日々はもうない。パニ障に関しては正直今は減薬していけると思えない。でも仕方ない。

目に見える様な傷があるわけでも、エコーしたら
異常があるわけでもない。
経験してなければ理解できないだろう。
病気はただそれに罹患することだけでなく
生活まるごとに影響してくる。
自分のできない部分や
日によって違う体調に対応できなければ
自分のことなら諦める
他の人が関わることなら助けを求める。
もちろん申し訳なさがつきまとう。
その分感謝の言葉はふんだんに使う。
できる範囲で生活していく。
ただ、人の優しさに気付かされたとか支えてもらって感謝とか美化する気もない。
毎日毎日病気になんてなりたくなかったって思ってる。
でも私には藤沢さんも山添くんもいる。
小説だからとかフィクションだからとか関係ない。
山添くんが藤沢さんに車洗っといてくださいと言ったように
藤沢さんが山添くんに自転車をお下がりしたように
私も日常の小さな小さな回復の種を集め続ける。



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