見出し画像

夢泥棒は朝に眠る 第四話

 午前5時45分過ぎ。
 今日もいつものバーで自分は黙々とグラスを磨く。
 この時間になると客はほとんど来ない。ほとんど来ないのになぜこの店がバイトを雇っているのか不思議でならないが、深夜のバイトで時給も良い上に客が少ないということもあり、自分としてはただ単にラッキーとしか言いようがなかった。
 鈍い光で照らされた店内で黙々とグラスを磨いていると、ついつい執筆中の作品のことを考えてしまう。あの登場人物は次の章でどういう行動を取るかとか、あのキャラとこのキャラに実はこういう過去があったという設定を用意してみるとか、そんなことだ。良い感じのアイディアが浮かぶたびに、本来は客の注文を取るために使うメモ用紙に内容を走り書きする。店内に客がいないこの時間はそれが許された。
 ふと、昼間の出来事を思い出す。

 ▼▼▼

 ———さて、どうしたものかな。

 大学の総務課から自分の元に連絡が来たのは今朝のことだ。
 夢叶が先日提出した大学指定の奨学金の書類に不備があり、今日中に訂正しなければならないのだが本人と連絡が取れない。だから普段割と仲が良い自分に代わりに彼女に連絡してもらえないかと打診された。どうして大学の事務員が学生の交友関係を把握しているのか疑問だったが、割と僕は学内の交友関係が広い方だったから多分夢叶とも知り合いだろうとでも思ったのだろう。それかどこかの教授から普段彼女の代わりにノートをとっている話を聞きでもしたか。まぁどちらでもいい。
 夢叶は基本的に日中は家で寝ていて講義にも顔を出さないし、SNSや電話で連絡してもその場で繋がることはほぼない。何のためのスマートフォンだと言いたくなるが、そういう性格なのだからどうしようもない。
 だから僕は今、彼女の住むアパートに向かっていた。
 部屋に上がったことまではないが、以前一度だけ仕事終わりの彼女をアパートの前まで送ったことがある。どの部屋かまでは知らないが、まぁ一軒一軒あたっていけばいいだろう。

 大学から歩いてものの数分のところに、夢叶の住むアパートはある。こんなに大学が近いのに欠席・遅刻の常習犯なのだからおかしな話だ。半ば僕のためにそうなっているようなものなのだからあまり偉そうなことは言えないが。
 二階建てのアパートには一階と二階でそれぞれ部屋が四つずつ。さしあたり一階の手前の部屋から順にあたっていくか。
 少し年季の入ったインターフォンを押すと、ドアが僅かに開く。ただしドアのチェーンは繋がったままだ。

「はい、どちら様?」

 ドアの向こうから聞こえたのは女性の声だった。声の感じからすると割とお年を召した方のようだ。もしかすると大家さんなのかもしれない。

「すみません、このアパートに姫野夢叶さんという方がいらっしゃるかと思うのですが、どのお部屋かご存じでしょうか?」
「姫野さん?」
「はい、僕は姫野さんの大学の同級生の芝浦と申します。大学の用事で彼女に連絡しなければいけないことがあって」
「姫野さんだったら、今日は病院に行くって言ってたよ」
「え、病院ですか?」
「うん、朝すれ違った時に今日もお見舞いに行くって言ってたから、多分ね」

 見舞い?誰のだ?

「どこの病院かはご存じでしょうか?急ぎの要件なのでできれば今日中に姫野さんに会いたくて」
「うーんと、確か中央病院だった気がするよ」
「分かりました、ありがとうございます」

 中央病院。行ったことはないが、この辺でもかなり大きな病院だったはずだ。そんなところに見舞いに行く相手がいるのか?お互いにお互いのプライベートのことについては今まであまり詮索したりはしてこなかったから、僕は夢叶の家族関係や交友関係はほとんど知らない。少なくとも大学で夢叶が僕以外の誰かと過ごしているところは見たことがない。
 やはり、直接病院に行くのはいろいろとまずいだろうか。
 念のためもう一度夢叶に電話をかけてみる。病院にいるのならおそらくマナーモードにするか、電源は切っていると思うけど。

「「ただいま、電話に出ることができません。ご用件のある方は、発信音の後に———」」

 やっぱりだめか。携帯を切り、自分はその場で暫し思案する。
 とりあえず、病院に行くだけ行ってみよう。そもそも病院に行ったということしか自分は聞いていないし、具体的に誰の見舞いに言っているかまでは知らない。病院の入り口か待合スペースででも待っていれば会えるだろう。
 期待はしていないが、念のため大学に急いで来てもらいたい旨と、これから病院に行くことをスマホのSMSで彼女に送信してから、病院に向かった。

「恭介?」
「夢叶?」

 自分が病院に到着したのと、病院から出てくる夢叶と遭遇したのはほぼ同時だった。
 いつも派手な格好を好んでいる夢叶にしては珍しく、今日は地味な色合いのパーカーを羽織っており、ピアスなどの装飾品も見られない。病院だからその辺のことに気を遣ったのだろうか。

「何してるのこんなとこで?」
「大学の総務の人が夢叶を呼んでる。この間提出した書類に不備があるから今日中に総務まで行って訂正してほしいそうだよ」
「げーっ、めんどくさ」
「いつも言ってはいるけど、携帯に連絡があったら遅れてもいいから返事をしてください。面倒かもしれないけど」
「だって面倒くさいし」

 そう言いながら夢叶はポケットからスマホを出して指でタップしているが、おそらく方々から来た電話やメールの類はろくに確認もせずに通知を消しているのだろう。軽薄そうな言動のわりに、人付き合いがルーズというのもどこかちぐはぐだ。世間一般の若人の傾向から外れている。夢叶が変わり者だということはとっくに分かっているけれど。

「てか、どうして私がここにいるって分かったの?」
「夢叶のアパートの人から聞いたよ。多分ここだろうって」
「……他に何か聞いた?」
「多分お見舞いだろうとしか」

 いつもは飄々としている夢叶がいつになく険しい表情を見せた。おそらくこれ以上は踏み込んではいけない。直感的にそう思った。多分、最初に夢叶と会った時に自分が見せたのはこんな顔だったんだろう。

「まー、ちょっとね。あんまり深く詮索しないでもらえると助かるかな」
「えぇ、僕もそのつもりですよ」
「そ。話が分かる奴でよかった。それより大学行かないとなんでしょ?ちょっと遅いけどたまには学食行かない?わざわざ来てくれたんだし奢るよ」
「そうですか、じゃあご相伴に預からせてもらいます」

 いつもの調子に戻った夢叶と、その日初めて一緒に学食を食べた。いつもより美味しく感じたとまではいかないが、いつも通り美味しかったし楽しかった。
 ただ、相変わらず講義中は僕の隣で寝てばかりだったけれど。

 ▲▲▲

 ———夢叶が見舞う相手か。どんな人なんだろう。

 こういうことを考えるのは不謹慎だということは分かっているが、創作意欲を掻き立てられる話だ。恋愛小説なんかでは不治の病を宣告された女性と主人公の儚い出会いと別れを描くことが多いが、やはりああいうベタな物語というのは現実にも起こり得るからベタなのだろう。ベタ過ぎて自分はネタに使う気にはあまりなれないが。
 ふと、夢叶が重い病で入院し続けている男と仲良く病室で談笑する姿が頭に浮かぶ。
 なんとなく、複雑な気持ちになった。
 そんな自分の馬鹿げた妄想は、それよりさらに馬鹿っぽい声によって唐突に終わりを迎えた。

「うぃーす」
「あれ、夢叶?今日はてっきり仕事はしないものかと思っていたけど」

 年頃の女の子が出していい声ではないと思うが、彼女にそういうモラルとか上品さを期待しても無駄というものだ。

「だって今日あんたのシフトの日じゃない」
「別に僕のバイトの日に合わせなくてもいいんですよ?それに今日は珍しく昼間大学に来てたんですし」
「相変わらず細かいこと気にするやつね、私がいいって言ってるからいいの。それよりいつものお願い~」
「はいはい」

 嘆息しながらも自分はカウンターにあるいくつかの酒を吟味し、夢叶が飲みやすそうなオリジナルのカクテルを用意する。ナッツは切らしているみたいだったから、冷蔵庫にあった野菜を刻んだものにオリーブオイルをかけて付け合わせのサラダにした。

「どうぞ、お待たせしました」
「どもー」

 いつもなら夢叶の方から今夜見た”夢”の話を振ってくれるのだが、今日はどうしてかお互い無言だった。まぁ一応自分はバイト中だから本来客とプライベートな会話をするのは控えるべきなのだが。
 やはり、昼間の件が関係しているのだろうか。
 昼間病院で見た時は大人しい格好をしていたが、今目の前にいる夢叶はいつも通り、少々派手な服にいくつものアクセサリーを身に着けている。かといって悪目立ちするようなことはなく、ごく自然に馴染んでいた。そんな夢叶がいつも通りではない姿で会うような相手。

 ———昼間は誰のお見舞いに行っていたんですか?

 ついそう聞いてしまいそうになる。聞かないでほしいと昼間言われたのに。
 他人の”夢”は教えてくれるのに、自分のことは教えてくれないんだな。誰にでも他人に触れてほしくないものがあるのは分かる。自分だって最初夢叶に会った時はスランプのことを触れられて嫌な顔をしていたし。
 夢叶に”夢”を教えてもらいすぎて、他人のプライバシーに対する物差しがどこか狂ってしまっているのかもしれない。

「恭介さ」

 不意に夢叶が話しかけてきた。

「なんですか?」
「明日暇?」
「明日っていうのは今日この後のことですか?」
「ううん、本当に明日。明日の午後とか時間ある?」
「まぁ、僕は暇ですけど。明日は講義も午前しか取ってないですし」
「そ。じゃあちょっと付き合ってくれない?」
「構いませんけど、どこに行くんです?」
「秘密」
「秘密ですか」
「こんな可愛い女の子とデートできるんだからどこでもいいでしょ?」
「確かにそうですね」

 その後はいつも通り夢叶が見てきた”夢”の話を聞く。
 ”夢”の話を聞き、時折メモを取りながら、自分はさっき夢叶が誘ってくれた”デート”のことを考えていた。
 なんとなく行き先に察しはついていた。あの病院だろう。基本的に夢叶はランチだとかショッピングだとかカラオケだとか、そういう普通のデートに自分を誘うようなタイプではない。だとすれば、今の自分が思いつく限りで夢叶が自分を誘いそうな行き先はあの病院だけだ。

「最近さー」
「はい?」
「昼間超眠いんだよね」

 一通り今夜の”夢”を語り終えると、夢叶がいつも通りの気だるそうな声でふと言った。
 昼間眠いのは夜起きているからだろう。この人はそんなことも分からないのか。共犯の自分はあまり強いことは言えないが、やはり身体が第一だ。今日も、昼間大学に来ていたのならわざわざ自分のバイトの時間に合わせて仕事をしてくれなくてもよかったのに。

「少しお仕事しすぎなんじゃないですか?たまには一日ゆっくり休んだ方がいいですよ。学生にしろ社会人にしろ休日というものは原則きちんと設けられているんですし」
「かもねー。あんたさ」
「はい?」
「最近どう?」
「曖昧で答えにくい質問ですね。とりあえず僕は元気ですし、バイトの時間は夜間ですけど体調に問題があるほどじゃないです」
「あーそっちじゃなくて小説の方」
「まぁぼちぼちですよ。この間夢叶さんが教えてくれた”夢”のアイディアで中編程度のお話を絶賛執筆中です」
「そかそか」

 やや歯切れが悪い相槌を打つと、それっきり夢叶は何も言わずにグラスを煽る。自分も夢叶との”デート”について答えの出ない疑問を悶々と考えながらグラスを磨き、いつの間にか今日も閉店時間を迎えた。
 帰り道、別れ際に夢叶が言った。

「んじゃ、明日の午後よろしくね。待ち合わせの場所とか時間はあとでメールするから」
「えぇ、それじゃあお疲れ様です」

 短く言葉を交わし、彼女と反対の道を歩く。普段人からの連絡を悉く無視しまくる夢叶とメールでやり取りをするのに不安はあったが、とりあえず今は気にしないことにした。最悪また彼女のアパートに行けばいいだろう。そういえば結局夢叶の部屋がどこかは聞けなかったな。またあの大家さんらしき人に聞くのは少しだけ億劫だった。

 結果から言うと、翌日僕が夢叶と”デート”することはなかった。
 彼女からメールが来なかったわけではない。
 だが、当日待ち合わせ場所でいくら待っても彼女は来なかった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?