夢泥棒は朝に眠る 第一話

 ———今夜の衣装はどうしよう。

 姿見の前で私は今夜の”犯行”に着ていく服を吟味する。

 ———こっちの黒いのは黒すぎて逆に怪しいし、こっちは普段大学でも着ている服だから知り合いに見つかると面倒。

 何度かタンスとクローゼットを往復した末に、私は今夜の一着をコーディネートする。派手過ぎず目立ちすぎない、それでいて自分の美しさを損なうことのない絶妙なバランス。肩にかかるまで伸ばした金色の髪にも、さりげなく耳元で輝くピアスにも、曝け出した太ももに彫ったタトゥーにもすべてがマッチしている。さすがは私。

「さて、それじゃあ今夜も一仕事行ってきますか!」

 今夜も私は、夜の街に出勤する。
 誰かの”夢”を盗みに。

 ▼▼▼

 私、姫野夢叶(ひめのゆめか)が自分の異常性に気付いたのは中学生の時だ。
 ある時期に私は、学校の授業中に不思議なものが見えることに気付いた。
 自分が知るはずのない、クラスメイトの家族の顔。そこには自分が仲良くしていたクラスメイトの女の子が両親とディズニーランドに遊びに行く場面が映し出されていた。だが、それは絶対にあるはずのない光景だということを私は知っていた。なぜならそのクラスメイトは幼い頃に両親と死別し、今は親戚筋の家で暮らしていたからだ。それは以前本人の口から聞いていたから間違いない。
 なら、自分が今見ている光景はなんだ?
 授業が終わると同時に、自分の目に映し出されていたおかしなビジョンはかき消えた。
 その日の帰り道、私はその子にそれとなく両親の話を聞いてみた。

「ねぇ、君のお父さんとお母さんってどんな人だったの?」
「んーとねぇ、お父さんは背が高くて、お母さんはよく赤い服を着ていて……」

 その時に聞いた両親の特徴は私が授業中に見たものと完全に一致していた。
 そして一通り両親についての話をし終えた後に、彼女は言った。

「実は今日授業中に居眠りしちゃってたんだけど、お父さんとお母さんと一緒にディズニーランドに行く夢見たんだ。夢の中だけど楽しかったなー」

 そこで私はおおよそのことを察した。
 以来、私は時折自分の知らない、身近な誰かの”夢”を見るようになる。
 それは学校の授業中の時もあれば、家族で出かけているときも、夜に部屋で寝ているときにもあった。”夢”を見る頻度は日を重ねるにつれて増えていき、高校生になる頃には、私は意識的に誰かの夢を見れるようになるまで”力”をコントロールできるようになっていた。
 最初は授業中に居眠りしているクラスメイトの夢を盗み見て、その子の人に言えない将来の夢だとか密かに恋焦がれている女の子のことだとかを知るためだけに”力”を使っていた。
 しかし、”夢”をコントロールできるようになったことで、私はこの”力”のデメリットに気付いた。

 一つ目は、当たり前かもしれないが、相手が寝ているときに自分が起きていなければいけないこと。授業中に昼寝をしている相手ならまだしも、世の中の多くの人は夜に眠る。夜寝ている人の夢を見たいときは必然的に私は夜に眠い目を擦って起きていなければならなかった。
 二つ目は、”夢”を見ている間は私の身体は起きている状態だが、視界に映るのは見ている”夢”だけだということ。例えるなら誰の目にも見えないHMDヘッドマウントディスプレイを装着しているようなもの。自分の周囲の状況が目に見えず耳にも届かない。
 三つ目に、私が”夢”を見れる対象は私から約100メートルの範囲内にいる相手に限られる。つまり相手とある程度の距離を保つ必要があるということ。
 そして最後に、これは私が意識的に”夢”を見ることができるようになってからだが、私に”夢”を見られた相手は、見ていたその”夢”を忘れてしまう。デメリットと呼ぶべきかは怪しいが、一応見られた当人にとっては損なことだろう。幸せな夢を他人に見られ、奪われてしまうようなもの。
 夢を奪う。そう、これは夢を奪う力だ。

 だから私は高校卒業までこの”力”を積極的に使ったりはせず、あくまで暇つぶしとして使う程度に留めていた。
 大学で彼———芝浦恭介(しばうらきょうすけ)に出会うまでは。

 ▲▲▲

 ———さて、今夜は誰の”夢”を見ようかな。

 午前0時41分。日付を超え、木曜日から金曜日に移り変わっている今日。普通の学生や会社員なら明日に備えてとっくに寝ている時間帯だ。
 最初にこの仕事を始めた時はまだ春と呼んでいい時期だったから、夜の街の風がひどく冷たくてやってられないと思っていたけど、夏が近づいている今は幾分過ごしやすい。長時間外で過ごすことになるこの仕事の性質上、過ごしやすい気温であることは喜ばしかった。
 私が住んでいるこの街は、都心ほど人が多くもないが田舎というほど寂れているわけではない。都会へのアクセスも良く、大人達にはベッドタウンとして重宝されている。私の”力”の都合上、単に人が多いことはもちろんだが多くの人が”眠っている”環境ということが重要だ。夜に人が少なくなる都心よりも、夜に人が眠りに家に帰るこういったベッドタウンの方が私としては仕事がしやすかった。
 街の駅西口近くのアパートに住んでいた私は、そのまま駅の構内を抜けて東口に出る。西口が飲食店やショッピングモールが多いのとは対照的に、東口はどちらかといえば店舗が少なく住宅街が多い。だから私は仕事の時はいつも東口方面に出向くことが多かった。
 この街は元々治安は良い方で、大きな事件はそうそう起こらない。あってもせいぜい交通事故だとか火事がちらほらある程度。だから、夜間の警察のパトロールもそこまで厳重には行われていない。人気が少ない閑静な住宅街は特に。だから警戒と言えば最低限、街にある警察署だとか交番の付近は意図的に避けるくらい。そもそも警察に見つかったところで問題はないと言えばないのだけれど。

 ”力”を使うと、私の視界には”夢”の光が映る。その光一つ一つが誰かが見ている夢であり、同時に眠る人の所在を示す。そして、私たちにとって大事な食い扶持だ。もう少し意識を集中すると、光の中にその人が見ている夢が断片的に見えるようになる。見え方を例えるなら、ガラス玉越しにテレビを見ている感じと言えば近いかもしれない。音は聞こえず、ぼんやりとしたビジョンだけがそこに映る。そうして私は、”金になりそうな”夢を今夜も吟味するのだ。
 そうして街灯の明かりを頼りにフラフラと街を歩いていると、ふと気になる”夢”が見えた。

 ~~~

 懐かしい光景だ。
 まだ暗い砂浜で俺の隣に彼女が座っている。
 今日、俺は彼女を連れて夜明け前の海に来た。
 一度も海を見たことがない彼女に、海を見せてあげたかったから。
 水平線に浮かぶ朝日に照らされた美しい街並みを見せてあげたかったから。
 3月を明けない今の時期は、この時間はまだ冬の名残が残っていて、手がかじかむほど寒かった。
 自分は近くの自販機で買ってきたホットコーヒーの缶を彼女に渡す。
 彼女はそれを受け取ると、震える唇でゆっくりと喉に流し込んだ。

 ———あったかいね。

 ———そりゃ買ってきたばかりだしな。

 ———ねぇ。

 ———ん?

 ———私達、もうすぐ離れ離れになるね。

 ———もうすぐ卒業式だもんな。

 ———私ね、君のこと…

 ———え?

 ———君のこと、ずっと好きだったよ。

 その言葉が耳に届いた瞬間、赤ともオレンジともつかない淡い光が彼女の顔を照らす。
 どうしてだろう。いつも見ている顔なのに、その顔がとても愛おしくて。

 その頬に触れた瞬間、霞のように彼女の姿は消え失せた。

 そこで俺は思い出した。
 彼女はもう、俺の傍にはいないんだ。
 これはただの俺の願望で。
 彼女は俺に告白なんてしなかった。
 ただ、笑顔で別れた。
 きっと俺たちはこの先もうまくやれたと思う。
 俺の方から告白していればきっと俺たちは付き合っていただろうし、あいつが喜んでくれるならなんでもした。
 でも、俺たちは結局それから会うことはなかった。

 いつの間にか場面は切り替わっていて、風景は今の俺にとって身近な、会社のある街の一角に移り変わる。
 会社の帰り道にすれ違った、背の高い男と腕を組んで歩く女性。
 間違いない。
 忘れるはずもない。
 彼女だ。

 彼女はもう、俺の傍にはいないんだ。

 ~~~

 ———あーあー、また女々しい夢見ちゃって。

 住宅街の電柱の影に潜むようにしてその”夢”を見ながら、私は嘆息する。
 どうして男っていう生き物は昔好きだった女のことを忘れられないんだろう。
 私は全然好みじゃないけど、まぁあいつが喜びそうなネタだし一応貰っておくか。見た時点で既に貰っちゃってるんだけど。

 夢というのは不思議なもので、その人の願望や後悔、無意識に抱いている感情が色濃く内容に反映されていることが多い。きっと人は寝ているときの夢までは理性で感情をコントロールすることができないからなのだろう。だからこそ、そこには人間の忌憚ない生々しい感情が渦巻いている。そして人が見る夢の内容は千差万別だ。それぞれが辿ってきた人生、育った環境、人間関係、能力、資質。そのどれもが一つ一つ違うのだから。そういう意味では人には無限の可能性がある。ネタに使うという意味では。

 今夜もいくつかの”夢”を奪ったところで、スマホを確認すると時刻は午前6時。今日の勤務時間もそろそろ終了だ。住宅街を最短ルートで抜け、駅の構内を再び抜けてそのまま西口に出る。西口前広場からほど近い雑居ビルの地下に、人目を忍ぶかのようにそのバーはある。

 店のドアを雑に開けると、愛想の良い青年が丁寧にカップを磨いていた。
 青年は私のことに気付くなり、柔和で子供っぽい笑顔を見せる。

「お疲れ様、夢叶」
「うん、今夜も疲れたわー。一晩中座れなかったから足が棒になってるわよ。後でマッサージお願い」
「はいはい」

 入店した客に対して「いらっしゃいませ」ではなく「お疲れ様」というのは奇妙かもしれないが、そもそも私は客としてこの店に来ているわけではない。
 彼、芝浦恭介は私の大学の同級生で、ビジネスパートナーだ。

「ご注文は?」
「オリジナルカクテル。甘めでアルコール弱めね。あととりあえずミックスナッツくれる?」
「かしこまりました。少し待ってね」

 丁寧なのかフレンドリーなのかよく分からない返事をすると、恭介は手際よく背後に並べられた酒瓶の中からいくつかを選び、グラスに注ぐ。それをボーっと見ていると、私の一日がようやく終わったという奇妙な安心感を覚えた。

「今夜の収穫はどうだったんですか?」
「んーぼちぼちかな。私は嫌いだけどあんたが好きそうなネタはあったよ」
「そうですか。こちらお待たせしました、オリジナルカクテルとミックスナッツです」
「どーも」

 出されたグラスを傾けながら、私は今夜見てきた”夢”の内容を恭介に教える。幼馴染に思いを伝えられないまま生き別れた男、大切に飼っていたペットと夢で再会した老婆、小学生ながらクラスメイトに殺意を抱いている少年。そのどれもがくだらなくて、現実味がなくて荒唐無稽だった。なぜならただの夢でしかないから。どんなに常識はずれなことだろうが倫理にそぐわないことであろうが、夢の中でならすべてが許される。だから人は自分にとって都合のいい、幸せな”夢”を夢見て毎夜眠るんだろう。
 正直私はそれをくだらないと思う。幸せな夢を夜に見ることができたとして、現実も同じように幸福になるの?不幸な夢を見たところで起きた時により自分がみじめになるだけじゃない。
 だからこそ私はこんなクソったれな仕事を続けているんだろうと、思う。
 恭介は私の話す”夢”の話に耳を傾けつつ、時折何かを手元の紙にメモしていた。何か良いアイディアが浮かんだのだろう。

「私の方は今夜はこんな感じ。そっちは?この間送った”作品”の結果はどうだったの?」
「まだ不合格の連絡は来てませんよ。短編の方は今も変わらず依頼が来てるので、そっちの分け前は明日振り込んでおきます」

 私と恭介は、他人の”夢”をネタにして小説を書いていた。

 この街にある大学の文学部になんとか合格した私だったけれど、正直昔から本とか文章を読み書きすることはそんなに好きではなかった。面倒くさいし。活字の本なんて読んでいるだけで眠くなる。それでよく文学部に入学できたなと思うかもしれないけれど、そもそもちゃんとした受験はしていない。センター利用で試験を受けずに入学できたっていうだけ。たまたまちょうどいい大学がそこにあって、たまたま面倒な試験をせずに入学できたからそこに行ったというだけだった。
 地元を離れて一人暮らしを始めた私は、とりあえず大学の講義は置いておいてアルバイト探しから始めた。うちの家はそこまで経済的に余裕がないわけではないけれど、親は割と頭が固くて最低限の生活費しか出してくれない。世間の荒波とかいうのに私を揉ませようとしているんだろう。
 だから私は、そんな親へのささやかな抵抗として今の仕事を始めた。
 元々恭介は昔から自作小説を書いて出版社に毎月作品を提出しているほどの文学馬鹿だった。私と恭介の出会いについては今は省略するけど、恭介は大学に入学してから重度のスランプに悩まされていた。クリエイターならスランプの一つや二つ、遅かれ早かれ経験するものだろう。だから私にとっては都合がよかった。
 私が恭介に持ち掛けた条件はたった一つ。

 私が見た他人の”夢”の内容を恭介に提供する代わりに、恭介はその”夢”の内容を元に書いた作品で得たギャランティの半分を私に譲る。

 あとついでに仕事終わりに恭介がバイトしているバーで飲ませてもらったりしているけど、これはまあサービスってことで。
 最初は不安もあったが、私が思っていた以上にこの仕事はうまくいっている。
 まず”夢”を奪われていることなんて当事者は絶対に気付かないし、奪われた時点で”夢”の内容は忘れている。仮に気付いたとしても奪っているのが私なんて分かるわけがないし、日本の法律で「他人の夢を盗んではいけない」なんてものはないのだから罪に問われることもない。恭介の方もあくまで発想のヒントとして私が得た”夢”を使っているというだけで、個人情報や当事者しか知らないようなことは意図的に改変して作品を書いてくれている。
 そして二人でこの仕事を始めてから恭介の作品は目に見えて出版社で採用されることが増えた。今はまだ短編をいくつか持っているだけだが、このペースでいけば長編で一冊の本を出すことだって夢じゃないだろう。他人の”夢”を奪って書いておいて”夢じゃない”なんて言うのもおかしな話だけど。

 いつだったか恭介が言っていた。
 私たちは「夢泥棒」だと。
 夢泥棒。ありきたりだけど、けっこう良い響きだと思う。

 しばらくとりとめのないことを話しているうちに、バーの閉店時間になった。身内みたいなものなんだからこのまま店で寝かせてほしいけれど、あくまで恭介はバイトで働いているだけだからそうもいかない。それに恭介はこれからいつも通り大学の講義に行くのだろう。律儀なやつだと思うけれど、こいつのそういうところは嫌いじゃなかった。
 店の後片付けを済ませた恭介と共に、帰り道を途中まで一緒に歩く。午前7時を過ぎ、朝日が昇る街ではランドセルを背負ったあどけない子供たちや、くたびれたスーツを着て会社に向かうのであろうサラリーマン、どこに行くのかも分からない杖をついた老婆まで様々な人がすれ違う。あの中に、私に”夢”を奪われた誰かはいるのだろうか。
 ”夢”を奪われ朝日と共に目覚める住人たちと、”夢”を奪い夜に生きる私。罪悪感を覚えたことは一度もないけれど、せめて新しい一日を迎えるあの人たちが今日も強く現実を生きてくれることを願いながら、私は家のベッドで深い眠りについた。

 今日も私は、夢を見ないことを夢見る。

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