夢泥棒は朝に眠る 第三話
———今夜はこんなもんか。
その夜も私は知らない誰かの”夢”を覗き、ある夢は唾棄し、ある夢はちょっとだけ共感する。そして最後にはそれらを頂戴する。
夢泥棒を始めてからというもの、私は自分が無駄に感受性豊かになっている自覚があった。おかげでホラーテイストの”夢”を見ると少しだけ夜道が怖い。この世界には本当に様々な”夢”がある。私のこの目に映る人の数だけ。世界の人口の数だけテレビのチャンネルがあるようなもの。”夢”なんてくだらないものに振り回されている自分が少しだけ嫌になるが、それも最終的に金に変わるのだからまぁいいか。
いつも通り、午前6時になる頃には私は”犯行”を終え、遅い一日の終わりを労ってもらいにあのバーに向かう。仕事終わりの夜風が心地いい。今晩羽織ってきたストールが歩くたびに風で揺れ、一晩中歩き回って額に滲む汗がひんやりと乾いていくことが分かる。
———そういえば今日って、この間恭介が応募した出版社のコンテストの入賞作品の発表日じゃなかったっけ?
確か最優秀賞受賞者の賞金は30万のコンテストだったはず。つまり受賞すれば私の取り分は15万。書籍化されれば印税も入ってくるだろうから、しばらく遊ぶのには困らないな。
本当にあいつを選んでよかった。まだ受賞が決まっているわけでもないのに私はそう思う。この仕事を始めてから恭介は目に見えて執筆のモチベーションが高まっているし、きちんと私に金を運んでくれている。卒業後の私たちの関係がどうなるのかは分からないが、少なくとも大学在学中はこのままあいつとは仲良くしておこう。
———この人のお話が好きなんだ。———
ふと、昔”あいつ”が言っていたことを思い出した。
別に私はどうでもいいけど、あんたが好きならそれでいいんじゃない。
そう返したことを覚えている。
「どーもー」
「あぁ、お疲れ様。夢叶」
店に入った私を、いつも通りの柔和な笑顔で恭介が出迎える。夢泥棒を始めてから通うようになったバーは、この時間になると客足はほとんど途絶える。というか、そもそもこの店は普段から繁盛しているのだろうか。バイトを雇う程度の余裕はあるようだけれど。でも、少し青みがかった光で照らされた独特の雰囲気が漂うこの空間で恭介と無為に過ごせる時間は、私は嫌いじゃない。静かで落ち着くし。
多分私は店からすれば常連客なのだろうが、特にこれといった指定席はない。だいたいいつもカウンター席に座って、グラスを磨いたりよく分からない伝票を整理している恭介に見てきた”夢”の話をするだけ。適当な酒とつまみを注文して。
「今日の”夢”はどうだったんですか?」
「その前に、あんたがこの間応募した作品の結果を教えて」
「優秀賞でした」
「惜しいね。優秀賞の賞金っていくらだっけ?」
「15万ですから、分け前は7万5千円ですね」
「出版はされるの?」
「残念ながら」
最優秀賞は逃したが、恭介は少しも悔しそうな表情は見せない。昔からこの世界でやっている恭介からすればコンテストの結果で一喜一憂することは無駄だと分かっているのだろう。さすが、私なんかとは経験も教養も人間性も違う。気弱で控えめに見えるが変にくよくよしないところは恭介の美点だ。
「そ。んじゃ今日は受賞のお祝いに私の奢りで一緒に飲む?お代はその分け前から差っ引いてくれていいから」
「珍しいね、お金にがめつい夢叶がそんなことを言うなんて」
「ちょっと、あんた私のことそんな風に思ってたの?大事なビジネスパートナーなんだからたまには労ってもあげるわよ」
「飴と鞭の使い方がお上手で。それじゃあお言葉に甘えてご相伴に預からせてもらおうかな」
そう言うと恭介は手際よく二人分のグラスによく分からない酒を注ぎ、付け合わせのつまみを皿に盛りつけるとそれらを私の席に並べていく。私服の上から着用している洒落たエプロンを脱いで折りたたみ、私の隣の席に腰かけた。
「じゃ、受賞おめでとー、かんぱーい」
「ありがとう、乾杯」
カチャンとグラスのぶつかる短い音が響き、二人でそれを口に運ぶ。仕事終わりで疲れた私の胃の具合を見透かしたような、飲みやすくて身体に染み渡る一杯だった。小説家よりもバーテンダーの方が向いているんじゃないかなんて、言ったらさすがの恭介も不快になるであろうことを思ってしまう。器用だな本当に。
———というか、私こいつのことそんなに知らないな。
実際、恭介とこの仕事を始めてそれなりの時間が経つが、こいつの人となりを実はそんなに知らない。
夜に”夢”を見ている以上、私と恭介が大学で一緒に過ごす時間はあまりないし、大学の学食で一緒に駄弁りながらお昼を食べたことさえ一度もない。大学が終わると恭介はバイトに備えてすぐ家で眠ってしまうし、私は私でそのくらいの時間にようやく起きることがほとんどだ。時々寝つきが悪い時に気まぐれに講義に顔を出すことはあるが、だいたい先生の話を聞く気はないからノートを恭介に写させていつも寝ている。
おまけに、私は恭介が書いている小説をまともに読んだことさえないのだ。どういう話を書いているのかとかそういうのは時々恭介から聞いているが、私は活字が苦手だから読む気にもならない。
「あんたって本当に器用よね」
「どうしたんですか急に」
「なんとなく思っただけだけどさ、あんたって大学でも成績良くて交友関係も広いんでしょ?いつも作ってくれるお酒も美味しいし」
「そんなに褒めても何も出ませんし、別に普通にやってるだけですよ。今日は本当に気前がいいですね夢叶さん」
「普通の基準が高すぎ。私がやったら絶対うまくいかないし」
「僕にとっての普通と、夢叶さんにとっての普通が違うってだけですよ」
「あんた嫌味も上手いね」
「そういう言葉の使い方も上手くないとプロにはなれませんし」
「ふーん。あんたってさ」
「はい?」
「なんで小説家になろうと思ったの?」
”なりたい”ではなく”なろう”と表現したのは、私は恭介のことを既に小説家だと思っているからだ。身分はまだ学生だし、作品を書いて得られる収入はとても生活水準を満たせるほどの額ではないだろうけど、それでも自分の頭で物語を考え、自分の手で執筆し、世に出して一人でも多くの人に作品を読んでもらっている時点で、アマチュアやプロなんて関係なく恭介は立派な小説家だと思う。私にはとてもできそうにない。
「書くことが好きだからかな」
「それだけ?」
「えぇ、それだけです」
「この間までスランプだったのに?」
あからさまに口角を持ち上げてそう言うと、恭介は苦笑する。最初に会った時に似たようなこと言ったら、すっごく怖い顔してたっけ。
「まぁ、長く続けていればスランプなんて来るものですし。だからスランプから救ってくれた夢叶には感謝してますよ」
「感謝なんていらないから、感謝してるなら頑張って稼いで私に金を運んでよね」
「善処しますよ」
感謝している。感謝しているのは私の方だ。それを口に出して言えない自分が少しだけもどかしい。言ってしまえば、きっとまた恭介はスランプに陥ってしまう気がする。そんな確信めいた予感があった。
「こちらからも一ついいですか?」
「何?」
用意してくれた酒とつまみに舌鼓を打っていると、不意に恭介がそう言った。
「夢叶はどうして僕を選んでくれたんですか?」
「んー?気まぐれだけど」
「気まぐれですか」
「たまたま入った大学に、たまたま都合のよさそうな男がいたから声かけてみたってだけ」
「そうですか」
恭介は呆れとも諦めともつかない微妙な笑みを見せる。何なのよその顔は。
「でもあんたに声かけて正解だったとあたし思ってるよ」
「金を運んでくれるから?」
「そー」
それだけではないけど、言ってあげない。
だってなんか悔しいから。
書くことが好きだから小説家になりたいか。まっすぐで何の捻りもない答えだ。私は小説を書くっていうことはよく分からないけれど、まぁそれが恭介の夢で、その夢でいろんな人が楽しんで幸せになれるならそれでいいんじゃないかって思う。眠っているときに見る夢と、現実で見る理想という名の夢。後者の方がよほど価値があると私は思う。
「そういえば、今日見てきた”夢”だけど———」
だから私は、恭介のその夢のために、今日も明日も明後日も、くだらない”夢”を奪っていくんだろう。その夢で誰かが幸せになることを知っているから。
この日も、私は閉店時間ぎりぎりまでバーで酒を飲み、朝日が昇るとともに恭介と店を出る。家に帰ってベッドに倒れ込むと、久しぶりに夢を見た。どんな夢かは忘れたけど、どうしようもなくくだらない内容だった気がする。
やっぱり私は、”夢”が大嫌いだ。
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