[映画]カーズ/クロスロード

 今夜のU-NEXT。本日は『カーズ/クロスロード』。ピクサーのCGアニメ作品『カーズ』の三作目です。

 まさかの、主人公ライトニング・マックイーンの「老い」を描くという展開。キャラクタの成長を描くアニメーション作品はあるけれど、「老い」まで描くものは少ないのではないだろうか。ドラゴンボールなどは未来から子孫が来ちゃったりして三世代ヘーベルバトルな感じになるわけですが、それでも悟空が爺さんになっちゃったりはしない。

 この作品でもライトニングが見るからにおじいちゃんになっちゃったりはしないのだけれど、ルーキーだった彼が歴戦のベテランとなり、新たな若手に脅かされていくという様子を描いている。

 この三作目が発表されたとき、度肝を抜かれた。まさかこういう方向のものが出てくるとは予想しなかった。二作目がもう少し一作目の正当な継承であったなら、こういう展開も予想したかもしれないけれど、二作目は007みたいなアクションをやるというカーニバル的な作品だったのだ。まさかこんなにもまっすぐなものが出てくるとは…。

 一作目のときにライトニングは生涯の師であるドック・ハドソン(ハドソン・ホーネット)と出会う。このドック・ハドソンの原語版を演じていたのがポール・ニューマンだったのだが、一作目の公開後に亡くなってしまった。そのため劇中でもドックは既に亡くなったという設定になっている。

 本作は年をとって新たな若手に勝てなくなってきたライトニングが、ドックの背中を追うように歩みを進めていく様を描いている。『カーズ』と言えば幼い子供にも人気のキャラクタが満載で、「子ども向け」という印象があるだろう。しかしこの『クロスロード』は決して子ども向けではない。もちろん、クルーズ・ラミレスと出会った序盤のシーンなどはひたすら愉快だし、中盤の泥んこレースにもミス・フリッターという強烈なキャラクタが出てきたりして子どもも十二分に楽しいけれど、ドラマの本質は大人の、それもある程度経験を積み、そろそろ現役を退いて後進の指導に…というような世代向けである。おそらくそのぐらいの人生経験を積まないとこのドラマはわからないだろう。

 心から師と仰ぐドック。よく知っていると思っていたドック。でも若いライトニングはドックの本当の気持ちをぜんぜん理解していなかった。

 勝てなくなったライトニングは八方塞がった後、トレーナーのクルーズを伴ってドックの師であるスモーキーを訪ねる。スモーキーのところにはドックと同時代を戦った老練のレジェンドたちが集まっていた。

 ライトニングはスモーキーに「ドックの身に起こったこと(註:レーサーとしての選手生命を絶たれたこと)と同じことが僕にも起こる」と焦りを話す。ライトニングは、ドックが選手生命を奪われて生きがいのすべてを失ってしまったと思っていた。しかし、スモーキーはそうではなかったことを教えてくれる。スモーキーは後年、ドックからたくさんの手紙を受け取っていた。

 ドックにはライトニングがいた。自分の経験を伝え、導いたライトニングが。

 わたしはこの作品を何度か見ているけれど、このスモーキーがライトニングにドックの手紙を見せるシーンで泣く。百パーセント泣く。今も思い出しながらこの文章を書いていて涙が出てきた…。

 なんて素敵なんだ。ドックは幸せだった。レースの世界から退いてさびれた田舎町でひっそりと暮らしていたところに偶然やってきたライトニングと出会えたから。自分の経験を継承して後進を育てる喜びを知ることができたから。

 このシーンで毎度ぼろ泣きしながら、これはきっと、自分が若手だったらわからなかった感動なのだろうなと思うのだ。

 思えば一作目の頃から、わたしが感情移入していたのはドック・ハドソンだった。三作目ではすでにドックはこの世におらず、回想にもほとんど出てこないのに、やっぱりわたしはドックに感情移入しているのだ。ライトニングの後ろに見えるドックの影に、感情移入できてしまうのだ。

 この映画はちょっとただごとではない。大人も楽しめるとかいう安っぽい話ではない。けっこうな大人にしっかりと刺さるのである。それでいて子どもも楽しい。

 ピクサーはもともとただごとではないのだけれど、この作品はその懐の深さを見せつけたように思う。

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