[映画]ゼロの未来

 今夜のU-NEXTは『ゼロの未来』。2013年、テリー・ギリアム監督作品である。

 主人公コーエンの住んでいる家がもうテリー・ギリアム。期待を裏切らないギリアム感。ギリアム感っていったいなんだという話はあるのだけれど、退廃的未来感というかなんというか。けっこうな濃度で『イノセンス』的でもある。これがもうわたしのど真ん中を刺激する。冒頭3分でストーリーもキャラクタもさっぱりわからないまま「この映画は最高だ」という気分になった。

 退廃的世界観、巨大なテクノロジー企業による支配、管理社会などで未来を描くサイバーパンク的な作品だが、そういう舞台を用意して描かれているものは主人公の内面だ。さらに言えば、ストーリーはもちろん、そういうテーマ的なものも含めて全部、このビジュアルを描くための触媒なのではないかという気がする。本来手段であるはずのビジュアルこそが目的で、ストーリーやテーマはそれを「映画」という形式に仕上げるための手段なのではないかという気がする。

 緊張感のあるシーンもいくつもあるのに、見終えたときに去来するのは「笑い」であった。このバランス感は独特だ。コミカルなシーンは要所要所に入る。主人公は内面に問題を抱えた少々キワドい人物だが、そのズレっぷりを面白おかしく描く。追い詰められて次第におかしくなっていく主人公。描かれている内容は深刻なのに細かく笑いの要素を突っ込んでくる。

 ラストシーンは特に素晴らしい。現実の絶望を象徴するような、美しく作り込まれた巨大コンピュータ。そこからの脱却と、脱却した果てにたどり着く安っぽい描き割りみたいなサンセット・ビーチ。破壊と解放の果てにたどり着いた圧倒的閉塞。徹底してシニカルな視点で描かれているのである。こういったラストシーンはエンドロールを眺めながらじわじわと冷えて恐怖感になっていくものが多いのに、この作品ではどこまでも皮肉でむしろニヤリとしてしまう。

 面白かった、という感想を持って見終えるものの、いったいなんだったのかと振り返ってみると、コーエンが死に物狂いで解いていたのはいったいどんな定理だったのか、けっきょくどうすれば証明できたのか、証明することで巨大企業は何を得るはずだったのか、よくわからなかったことに気づく。一応終盤で説明のような話はある。マット・デイモンが嘘のような風貌で登場してなにやら話す。要は金が儲かるということらしいのだが、それがどういう理屈によるのかは説明を聞いてもよくわからない。それにボブはどうなったんだ。ベインズリーは。

 これはいったいなんだったのか。

 なんだったのかよくわからないけれど面白かったと感じる映画。わたしはこういうのが大好きだ。

いただいたサポートはお茶代にしたり、他の人のサポートに回したりします。