[映画]イージー・ライダー

 今夜はU-NEXT には無かった作品。『イージー・ライダー』。1969年の作品。

 そうか、これ69年だったのか、と感慨深い。ロードムービーの代名詞的作品としてあまりにも有名だが、時代性の方が色濃く出ている。ロックンロール、ドラッグカルチャー、ヒッピー。ウッドストック的文化圏の人々とそれを嫌悪する人々の対立。正しさを履き違えて暴走する正義。描かれている文化背景がまったく異なるものの、ここに描かれている気持ち悪さはそのまま現代のSNS的社会にも通ずるものがある。

 まっとうに働き、まともな服装をし、まともな髪型をしている人々。規律通りという意味でそれは正しい。その正しさをわだかまりなく実行できているのであれば、それは申し分ないはずだ。しかし彼らはいびつに歪んでいる。規律から外れて自由にふるまうものたちを恐れ、忌避する。映画の真ん中あたりで、ジャック・ニコルソン演じるハンセンがこの映画の根底に流れるテーマのようなことを話す。もっとも重要なシーンであろう。わたしはこの作品の、あのハンセンとのキャンプの夜のシーンと、そのあとのLSDをキメてトリップしているシーンが特に好きだ。

 男の長髪は自由の象徴だと言う。人々はそれを恐れるのだと。縛られない人間を恐れるのだと。

 そして彼らは正しさを振りかざし、自由を袋叩きにする。そこにあるのは恐怖と嫉妬に起因する極端な嫌悪だ。もはや正しさなど無い。これと同じ気味の悪い現象を、今もたびたび目にする。人々が正義の怒りだと思っているものは醜い嫉妬による個人的な嫌悪を社会的正しさで塗り固めた糖衣錠みたいなものだ。やっかいなのは、糖衣錠を振りかざす人々は、その中に何が入っているのかを自分でもわかっていないという点だ。

 『イージー・ライダー』は実に50年、半世紀も前の作品だ。でもこの作品の根底に流れているテーマ、この作品が描こうとしたものは不気味なほど現在に響く。人は50年もの間、まるで前進していないのかもしれない。

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