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迷ってもいいから迷わない

 ♪現在、過去、未来~。おっと。ついこのあいだ紹介したばかりの曲が頭に浮かんでしまったではないか。

 そういえばわたし、人生におけるいろんな選択で、迷わないなあと思ったのです。あまり迷わずさっと決断する。周りの人が「ほんとにいいの?」というぐらいあっけなく。

 これ、ものすごい決断力があるとか、大変な自信家であるとかそういうことではなくて、単にわたしは、道に迷うことは悪くないと思っているからだ、ということに最近になって気づいた。いや正直に言うとね、わたしは決断力があるのだ、うははははとか思っていたの、ちょっと。いやちょっとでもないかもしれない。

 たしかに、どうする? という選択肢が提示されたときに、「こうする」と即断するというのは決断力であろうと思う。その決断力の「力」はいったいどういう力なんだろうかと、考えるわけです。なにかたいそうな力がそこには働いているのだろうか、と。するとね、そうでもないんじゃないかという気がしてくるわけですね。

 なぜ、即断できるのだろう。例えばわたしは進路を考えるとき、周囲から見るとかなり異端な道をあっけなく選んだ。たしかにその選択によって生じたいろいろなことをみんな引き受けるハメになるわけで、それはなかなか責任が重い。でも決断したときに、そのような責任を全部背負うぞ、というような覚悟があったわけではなく、自分で選んだ道で思わぬ結果になったとしても、その時見えた道の中から進むべき道を選んだらよかろう、と思うのですね。選んだ道が目的地につながっていなかったら、行った先でまた考えたらいいと思っている。だから比較的簡単に決断できる。

 それが冒頭で紹介した記事に書いたことにもつながっていて、回り道でもいいじゃないか、迷ってもいいじゃないか、迷った挙句元のところに戻ってきたとして、それでも迷っている間に見た景色は自分の中に生きてくるだろう、だからいいんじゃないかと、思うのです。

 道に迷ってもいいと思ったら、分かれ道で進むべき道を迷わずに選択できる。だって間違っていてもいいのだもの。こっちっていう気分だからこっちに行ってみよう、というような生き方ができる。

 思えばわたしは幼いころからまったく完璧ではなかった。穴だらけだ。バッチリだよ! と言っていた試験が赤点だったりする。失敗もたくさんしたし、大いに恥ずかしいやつであった。

 そういう経験がくれたのは、「それでもなんとかなる」という気持ちだ。受験に失敗してもなんとかなった。面接でトンチンカンなことを言ってお恥ずかしいことになってもなんとかなる。大好きな人にフラれてもなんとかなるし、やりたかった仕事に就けなくてもなんとかなる。

 後になって振り返ってみると、みんな「糧」なのだ。成功しなければ見られない景色があるのと同じように、失敗しなければ見えない景色もある。

 ポジティブシンキングって、失敗したときに「次は成功する」と思うことではなくて、「失敗したから見えた景色があった」と思うことなのではないか。すると次第に成功と失敗が等価になっていき、挑戦することが怖くなくなってくる。チャンスがあるなら挑む。そこに迷いはないのだ。勝てなかったとしても挑まないと見られない景色は見られるのだから。

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