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[小説]テスト・フォー・エコー 第六話

 目覚めるとインターネットにアクセスして茅ヶ崎時夫の活動を追いかける。新たな映画の特報が流れ、新たなCM出演が発表される。そのたびに映像を見てそこに出ている茅ヶ崎時夫が確かにおれと同じ姿をしているのを確認する。おれの意識は茅ヶ崎時夫にかかりきりになり、自分の身に起きている事態にしばらく気付かなかった。気付けば誰からも連絡が来ていない。メールはほとんど届かなくなり、会議の連絡も来なければ仕事の指示も来ない。横山や他の友人たちとの個人的なやり取りもない。その異常な状況に気づかないほど、おれは茅ヶ崎時夫に没頭していた。確認してみると、おれのあらゆるアカウントはみんな解約されていることがわかった。メールアドレスは無くなり、ソーシャルアカウントも消えていた。携帯端末を調べると、かろうじて電話だけはまだ使えるようだった。しかし電話番号のわかる友人など一人もいなかった。おれは会社の電話番号をネットで調べて、そこへ電話をかけた。

「もしもし、コンテンツ事業部の田神です。R&Dアール・アンド・ディーの横山さんをお願いできますか。ええ。横山。出社していれば電話を回してもらって、出社してないようだったら彼の携帯電話の番号を教えて欲しいんだけど。え? いや私はコンテンツ事業部の田神。大丈夫横山とは同僚です。部署は違うけどよく一緒に仕事をしてるんです。ええ。え? だから大丈夫だって言ってるでしょう。私に電話番号を教えたって横山は文句言いませんよ。私と彼は友人なんだから。は? 規則? いや融通が利かないな。大丈夫だって言ってるでしょ。彼とは友達なの。え? じゃあ横山に電話して伝えてくださいよ。田神に電話しろって。それなら文句ないでしょ。は? じゃあ会社に呼び出してよ。私も今から行くから。呼び出さないなら電話しろって。違うよあなたが横山に電話して、横山がおれに電話すんの。だから横山に頼んでくれって言ってんの。え? 本気で言ってんのおまえ。おれが、あんたに、頼んでんの。横山に電話してくれって。頼んでんの、わかる? 違うよ横山はおれに電話すんの。わかんないやつだなほんとに。脳みそ入ってんの? 今すぐ横山に電話して田神に電話しろって言えばいいの。は? だからおれは社員だって言ってるだろ。あんたと同じ。え? 派遣? 知るかよ。派遣だってうちの看板背負って仕事してんだろ。ならおれもあんたも仲間ってことだろ。そうじゃねえよ、コンテンツ事業部。知らないのかよあほんだら。いやまて。そうやってなんでもハラスメントハラスメントって言やいいと思いやがって。あほかおれはおまえの上司でもなんでもねえ。なにエージェント? ばかかおまえ。日本語で言えよ。とにかく今すぐ横山に電話しろって言ってんだ。なに警察? おまえ耳聞こえてんのか。おれはおたくの会社の社員なの。コンテンツ事業部だって。バカなのかおまえ。二言目にはパワハラパワハラって、おれは最初丁寧に頼んでただろうが。てめえがわけわからねえからべらんめえになってきやがんでえ。とにかく横山を出せこら。横」

 電話は切られた。なんてことだ。おれは自分の置かれている状況が少しずつわかってきてゾっとした。ソーシャルアカウントを通じてのコミュニケ―ションしかしていなかった知人はアカウントを失ったら連絡を取る術がないのだ。ある日突然電話しか使えなくなるなどという事態はまったく想定していなかった。こんなことなら日ごろから電話を使っておけばよかった。友達と電話で話すなんてことが必要になるなんて思いもしなかった。他に電話番号がわかるのはもう自分の実家ぐらいだ。実家。そうか、実家だ。おれは実家に電話をかけた。

「はい」

 呼び出し音が七回鳴ったあとで、還暦をすぎた母の声がした。

「ああ、母さん。おれだけど」

「おれって誰だい? 近頃は怖いからね。詐欺にはひっかからないよ」

「ああごめん。おれだよ。修一。母さんの、田神詩野の息子の修一だよ。田神修一」

「名前ぐらいはあんた、すぐに調べられるんだろ。騙されゃしないよ」

「いや母さん、めんどくさいなもう。じゃどうすればいい。修一だって証明するには。そうだな、好物は信玄餅。ほら山梨の。一度に十八個食べて具合悪くなったことがあったろ。あとはなんだ、車。最初に乗ってた車は日産のサニーだった。覚えてるだろ。ナンバーは13-17。どうだい。修一だろ」

「どうだかねえ。そんな程度のことは調べられるだろねえ。あやしいもんだね」

「いや信玄餅の件は調べられないんじゃないか。母さん。たしかに詐欺は怖いからさ。警戒するに越したことはないよ。だけど本人を疑っちゃ話もできやしないじゃないか」

「本人かどうかわからないから疑ってるんでしょ。あんたがうちの修一だっていう保証はぜんぜん無いんだからね」

「そりゃあそうだけどさ。どうすれば信じてくれるんだよ。調べられるって言っちゃえばいまどきたいていのことは調べられるだろ」

「じゃあ電話じゃあ信用できないねえ。テレビ電話しといで。顔見て話したげるから」

「ああ。それならそうしよう。ところで母さんテレビ電話できるような機械持ってるのか?」

「携帯でもできるってこないだあんたが教えてくれたんじゃないか。やっぱりあんた修一じゃないね」

 おれは全身から血の気が引くのを感じた。

「こないだ? いつだよ母さん。母さんおれと話したのか?」

「あんたなに言ってんだい。引っ越したって連絡くれたときだよ。映画の仕事が順調だから会社も辞めて映画の方に専念するって。言ってたじゃない。やっぱり偽物だねあんた。おとといおいで」

 母の声をおれの耳に残して電話は切れた。おれは口をあけたまま携帯端末を眺めた。たった今耳にした実の母親の言葉がなにを意味するのか、脊髄が先に理解したことを脳であとから追いかけているような気がした。

 オンラインで顔を見ながら話すのは画面を挟んでいるだけで対面しているのと変わらない。いつからかそういう感覚が浸透した結果、映像は現実と混同され始めたのだろう。どんなにリアルな映像でも映画ならそれが作り物だろうと思う。なのにオンライン通話で画面に表示されている相手が作り物だと思う人はおそらくほとんどいないのだろう。いまや、映像さえ作ることができれば、誰かになり替わることができてしまうのだ。それはすなわち、誰かを生きたままこの世界から蹴落とせることを意味する。誰も画面に表示された人物が本当は見かけとはぜんぜん違うやつかもしれないなんて想像さえしない。実際に今、おれと同じ外見と声を持つ得体のしれない存在が現れ、おれからコミュニケーションを奪っているのだ。実際に対面しての本人確認が必要なものはまだ守られているのだろうか。それだって、いまどき実際に対面しなければならない手続きがどれほどあるだろう。一応いまのところ住民票や健康保険は生きているし給料も振り込まれている。いやまて。最後に確認したのはいつだっただろう。それにさっき母さんはなんと言っていた? おれが会社を辞めたって言ってなかったか。おれは退職したのか。オンラインで退職面談をしたのか。ありそうな話だ。おそらく退職の手続きは自ら出向かなくても遠隔でできるのだろう。調べたこともないが。そうかおれはもう職さえも失っていたのか。ということはなにか別の仕事を探さなきゃならないということか。茅ヶ崎時夫が田神修一を乗っ取った今、おれが新たに職を得るようなことが可能なのかどうか、おれにはわからない。おれの何が奪われ、何が残っているのかもわからない。オンラインで済ませられるものは全部茅ヶ崎時夫に乗っ取られたのだろうか。乗っ取られたのだろうな。おれに残されているのはこの物理空間を移動できる身体だけだ。最終的にこの身体だけが田神修一だったわけだ。おれはどうしたらいいんだ。なにかおれにできることは残っているのか。携帯端末がおれの手から滑り落ちて床で鈍い音を立てた。

《つづく》

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