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即席焼きそばを食べて求道的生き方を思う

 マルちゃんのやきそば弁当といえば道民のソウルフードである。たぶん大いに異論あるだろうけれどかまわん。その焼きそば弁当はときおり焼きそばの範疇を軽々と超えてバリエーションを提示してくる。うまいけど縮れたスパゲッティだね、みたいな商品が次々に出てくる。

 そんな中、「小樽あんかけ風」なるものが登場した。小生不勉強であるため、小樽とあんかけの連結がいまいちピンと来ない。あまりのピンと来なさに一人称も小生などというふざけているとき以外使わないようなものになってしまった。

 このさい小樽はどうでもよろしい。あ、小樽の方に他意はございませんよもちろん。水族館好きですよ、小樽の。あとウィスキーのニッカですか、余市の。え? 余市は小樽ではない? わかってますよそんなこと。

 さて、わたしがこの「焼きそば弁当小樽あんかけ風」を手に取ったのは、小樽に惹かれたからでもあんかけに惹かれたからでもない。見たことのない焼きそば弁当があればとりあえず買い、とりあえず食べてみるというのが道民の習性なのである。

 そのようにしてこれを入手し、食してみたわけである。まず普通の焼きそば弁当と同様に、お湯を入れて3分待ち、湯切りをする。しかるのちに改めてお湯を今度は半分ほどまで入れる。この二回目の分量も容器に線が入っていてわかるようになっている。そしてあんかけの素みたいなものを入れるのだが、このあんかけの素は「ふたの上で温めないでください」とくどいほど書いてある。温めるとその時点で硬化が始まってしまうのだろう。

 指示通りに二度目のお湯を入れた時点で不安になる。ひたひたどころかじゃぶじゃぶだ。大丈夫なのかこれ、と半信半疑になりながらも「あんかけの素」を入れる。ミソっぽい茶色のペーストだ。あくまでもミソっぽいのである。けっして〇ソっぽいとは言わない。言わないだけでク〇っぽいけど言わない。

 それを入れてとろみが出るまで30秒ほど混ぜる、と書いてある。じゃぶじゃぶの中に茶色ペーストを絡めながら麺ごとかき混ぜる。混ぜていると茶色は次第に透き通っていき、じゃぶじゃぶだった水はどんどん吸い取られてとろみと化していく。

「うおぉ、すげえ!あんかけになってきた!」

 当たり前である。こうやればあんかけになると書いてある手順に沿ってやっているのだからあんかけになるんである。しかしその事実に感動した。

 ほんとに30秒ののち、わたしの目の前には五目あんかけ焼きそば、風の焼きそば弁当、があった。さてお味は…。

「うめぇ!」

 なんだこれは、本当に即席なのか、というレベルのあんかけだ。麺のほうはごく普通の焼きそば弁当であり、あんかけだから生めん風だとかノンフライだとかにはならないあたりがまた良い。

 これを食べながら思った。湯切りしたあとにもう一度お湯を入れて混ぜるというプロセス。そうすることによって実現したこのあんかけ。

 ああ。きっと朝から晩まで、いかにして「焼きそば弁当」で「あんかけ」を実現するか、ということを考え続けた人がいるのだろう。そう思うと胸が熱くなる。きっと四六時中焼きそば弁当の未来について考えている人がいる。過去にもいろいろヘンテコなものがあった。焼うどん風とか、それなら焼うどん弁当を出せよと思うようなものまであった。でも焼うどん弁当ではだめなのだ。栄光の焼きそば弁当でこそ、やる意味があるのだ。

 あんかけっぽい何かを実現する方法はいくつもあろうけれど、この方法に落ち着くまでにいくつ試したのだろうか。きっとそこには膨大なトライアンドエラーがあるだろう。そこそこうまく行ったものだってあったはずだ。でも「これでいいんじゃね?」と言わず、もっと、もっとあんかけっぽくできるはずだ、という思いで挑み続けた人がいるのだ。

 即席麺の研究というのは、どこまでいっても「それっぽい」であって、やはり即席である以上そこから「ぽい」が消えることはあるまい。だからまあいいや、とならずに挑み続けていることに感動を覚える。

 作るときにお湯を入れて終わりではなく、なにか一工程あったり、もっと複雑な手順があったりするものに出会うと、その方法に至るのにあれこれ試行錯誤した人たちを思って胸が熱くなる。

 うまいなこれ。きくらげがとてもいい。

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