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藁にすがると沈む #呑みながら書きました

 四半期ごとに訪れる呑み書き。それはもうわたくしにとってライフワークであり、マイルストーンであり、noteを続ける最大の理由であり、もはや存在意義である。もはや涼雨零音とは呑み書きライターである。呑まなければ書けません。

 今回はまだ開催前日なのだけれど、明日から旅行に出てしまうのでフライングで投稿します。悪しからずご了承くださいませ。

 さて、最近音声配信もタワゴトに全振りしてしまったことによりアウトプットが全部タワゴトというきわめて怪しい状態になっているわけですが、今日は呑み書きっつーことで、さらに全開で行きましょう。

翠のグラスで違うものを飲む

 今回のお供はこちら。グラスはサントリーの翠ですが中身はバカルディのゴールドラムをサイダーで割ったもの。本来コーラで割ってらむこーく、キューバリブレなるあれを作るはずが、コーラがなかったので道民のソウルドリンク「リボン・シトロン」で割ってみた。まいうー。

 さて、ここまでは前置きであり、本来ここに書くべきサマリーとかオマリーとかケツ論的なものではなく、この先の本題では全然違うことを書く。

モテたいとモテない

 先日、中尾泉さんの a little という催しでこんなのに呼ばれた。

 モテについて。モテるってなんだろうというところからいろいろな話に発展して、大人の座談会的に楽しく話をした。モテたいのと嫌われたくないのは違う、と言うような話から、どっちが強いかで行動が変わってくるよね、というような。

 で、ここで話したいのはそういう話ではなく、「モテたい」と思っているとモテない、という話なんである。

 世に大量に出回っている啓蒙書の類も役に立たない。「〇〇するにはどうしたらいいか」とか「〇〇のためにすべき10のこと」とか「〇〇な人はみな〇〇である」とか、なんか「こんな風になりたい」と思う人に向けて書かれているような書籍を見るたびに思う。「〇〇になるためにすべきことは、こんな本を読まないことである」と。

 そういう本にはどういうことが書いてあるのだろうか、と興味本位で読むのならたいした害はないと思うのだが、切実に「〇〇になりたい」と思っている人がこういう類の本を読むと、永遠に「〇〇」に近づけないところへ落っこちる。これは割と高い確率で、落っこちると思う。

 モテたいという思いが強すぎると、モテるためにすべきことを探し始める。「モテる人がしている10のこと」みたいな記事を読み漁ったりする。あまり考えなくてもわかるが、「モテる人がしている10のこと」をやったからといってモテるはずはない。

 最近、noteにはこの手の「〇〇するにはこうしろ」という系統の記事が増えており、それはそのままストレートに「読むべきものがほとんどない」ことを意味する。

ググるなキケン

 ネット検索は隆盛を極め、最近はちょっとGPTだかDDTだかBCGみたいなのまで出てきている。「〇〇になりたいときどうしたらいいか」と問えば何か答えてくれるわけだ。この手のものは「なんか機械のクセにそれっぽいことを言っている」とかいって楽しむのが正しい使い方であって、本気で質問して答えを信じ切って使うようなものではない。普通のネット検索でもそうで、答えを得ようとしてネットを使う人は総じて思考停止の傾向があり、思考停止は人としての魅力を大幅に損ない、本来近づきたかった場所からものすごい勢いで遠ざかることになる。

 呑みながら書いているのに異様に脳がすっきりしていてタイピングも滑らかだ。誤字らないではないか。もはや酒を飲んでいるほうが脳がすっきりしている。アル中じゃないのか。

 何の話だったかわからなくなった。

 そう。言いたいのは、藁をもすがる思いで藁にすがるとそのまま死ぬということなのだ。おぼれた人が必死の思いでいるさまを「藁をもすがる」と表現するわけだが、本当に藁にすがると確実に助からない。しかし現実問題、何らかの問題に切実であればあるほど、藁にすがってしまう人が多い。藁をもすがりたくなる気持ちはわかるのだが、本当に藁にすがると終わるんである。

すがってはいけない理由

 よく考えてみてほしい。例えばnoteには「読みやすい文章の書き方」が腐るほど書かれている。本当に数万のオーダーであるのではないか。そして驚くべきことに、けっこうな数が、読みやすくない文章で書かれている。それを書いている人がそもそも読みやすい文章を書けているのか、まずはそれを判断できる程度の力がないと、この中から読むべき文章を見つけるのは不可能だ。つまり、「読みやすい文章を書けるようになりたい」と思っているレベルの人にそれは不可能であり、そういう人が読むべき記事は見つからないことになる。たいていはわけのわからない妙なものに惑わされて、「読みやすい文章」から遠ざかる結果になる。

 ほかのあらゆる分野で、同様のことが起きている。noteではなく書店に売っている本なら良いだろう、と思うかもしれないがそんなに甘くない。あの手の本がなぜたくさん出ているのか。売れるからである。なぜ売れるのか。良し悪しを判断できない人が買うからである。

 つまり、売る側も、どうせわからないからどうでもいいという姿勢で作っているし売っている。なぜなら「成功するための方法」という本を買う人は成功していないし、「人気ものになる方法」という本を買う人は人気がないし、「小説家になる方法」という本を買う人は小説家ではないからだ。

 これでそういう啓蒙書の類を買ってはいけない理由がお分かりいただけたであろう。

ではどうすればいいのか

 なりたい自分がある。でもどうすればそうなれるかを調べてはいけない。そうなる方法を書いた本を買ってはいけないし、noteを読んでもいけない。

 ではどうすればいいのか。すべきことは答えを求めることではない。答えを求めるには問いが必要だが、何かを求めて答えを探す人は多くの場合そもそもの問いを理解していない。問には前提条件があるのだがそれを見ようとしていないのである。

 例えばモテたいを例に挙げると、モテたいが切実になりすぎてモテる方法を模索している人は、「今なぜモテないのか」を考えていないんである。だからモテる方法を探してしまう。まずは現在位置が必要だ。今自分はどうなっていて、それの何が原因で求める自分になっていないのか。それは自分だけの問題であり、わけのわからない啓蒙書の著者がそんなことを知るはずはない。スタートが定かでないのにゴールを探してもルートは見つからない。結果、てんで間違った場所で藁をつかんで懸命にもがき、藁ごと沈むんである。

 僕はかつて、二十代の前半ぐらいのころ、ロックバンドをやっていてブイブイ言わしていた(ベースを)。そのころまったくモテない自分を自嘲しながら「なんでモテないんかな」と言っていたところ、8歳ぐらい年下のヤンキーに「オタクだからですよ」と言われた。そうなのだ。モテる人がやっている10のことを実践しようと、僕はオタクであり、アイドルの追っかけをしたりするんでモテないんである。要するに重要なのは原因なのだ。「アイドルとあたしとどっちが大事なの!」と言われたら「ゴメンアイドル」って言っちゃうようなやつだからである。なるほどだからモテないわけで、モテなくていいや、という結論に至った。

 すなわちあなたが〇〇になりたいと思うのであれば、やるべきことは「〇〇になる方法」を調べることではなく、今〇〇でないのはなぜか、を考えることだ。そして自分なりのアプローチを考える。方法論は分析と計画の先に立ち現れるものであって、何もないところに他人の方法論をただ持ってきても大体うまくいかない。「読みやすい文章」を書けないと思うのであれば、自分の書いている文章はどうして「読みづらい」のかを考えることだ。いや、そもそも本当に「読みづらいのか」と問うてみたほうが良いかもしれない。そのうえで、自分が「この人の文章は素晴らしい」と思うものを探す。そして比較する。

 会得したい何かを徹底的に調べ、自分で試みた状態を冷静に分析し、比較する。何が足りないのか。何が余剰なのか。それを徹底的にやればおのずと差が明確になり、結果、何をすべきか見えてくる。そのプロセス抜きに「何をすべきか」だけを探すことの滑稽さが分かってもらえるだろう。

 このように説明されれば「当たり前だろ」と思うわけだが、切実な状態になればなるほどそういう「あたりまえ」が見えなくなる。表記ゆれは呑み書き故そのままいくぞ。何の話だっけ。わからなくなるサイクルが短くなってきた。ダイブ酔いが。回って。

 とどのつまり、目的地を明確にし、現在位置を明確にし、ルートを考えるということである。大量に出ている啓蒙書はどれも目的地が漠然としている。なぜならそのほうが読者が増えるからである。ピンポイントで具体的な目的地を設定するとそこへ行きたい人しか手に取らないからある程度の範囲を持たせるわけだ。向こうは売るのが仕事であって読者の願いをかなえることなど目的ではない。売る側にしてみれば、期待に応える本を出すのではなく、期待が膨らむ本を出せばいいのだ。なぜなら目的地に達してしまった人はもうそれ以上本を買わないからである。あいまいな目的地で微妙な本を出せば、それでうまくいかない人は次の本を手に取る。いいカモである。

 僕がそういうハウトゥ系の啓蒙書やnoteを読まず、ほとんど嫌悪しているのはそういうからくりが見えるからである。切実であればあるほど、立ち止まってじっくり考えることだ。答えを求めず、道筋を探すことに注力する。それさえ守れば遅かれ早かれ自ずと道は開けるだろう。

 モテたいにもいろいろある。誰にモテたいのか。自分が魅力的だと感じる人の何が魅力的なのかを分析し、自分に欠けているのはなにかを考える。そして自分が魅力的だと思うような人になる。そうすればそれを魅力的だと感じる人は出てくるだろう。

 ではなぜ僕はモテないのか。この答は最近わかった。僕は僕の知らないところでモテているのである。

 実はこれの前にもっとふざけたnoteも呑みながら書いたので、そっちも気が向いたら出す。

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