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迷い道 さらに寄り道 回り道

 迷い道くねくね。

 いやこれ、デカくね。こんなデカいサムネ張り付くと思わなかったわSpotify。

 いやこの歌を紹介したいわけじゃないんだけど、これはいい歌だね。渡辺真知子の歌はスカッと声が出るから気持ちが良い。歌っている内容が何であれ元気が出ますね。落ち込んでる歌詞でも関係なく元気が出る。それは歌手としてどうなんだという話もあるかもしれないけれど、そういう歌手もいい。

 わたしは二十代の前半ぐらいまで、自分の目指す目標に向けて、カルカンを前にした猫のようにまっしぐらにわき目も振らず邁進した。

 やめたほうがいい。わき目も振らずというのが最短距離だと思っていたけれど、それは視野が狭いだけで、結局わたしは十代の半ばから二十代の半ばという、割とたぶん人生で重要な期間をほとんど一つのことしかせずに消費してしまった。

 とにかく自分で選択し、それを後悔はしない、という風に決めている。だから後悔はしていない。きっと、その十年ほどをアホみたいに没頭したという経験はなにかしらをわたしにもたらしたはずだからだ。それが一体何か自分でわからないという事実が、油断すると後悔を呼び寄せるのではあるけれど。

 二十代の後半からはゆらゆらフラフラと過ごしている。興味を持ったことにかたっぱしから首を突っ込み、なんでも趣味にしてしまう。趣味としてやっているうちにそれが仕事になる。そういうことを繰り返してきた。視野は広がり、経験値はどんどん積もった。

 でもちょっと経験値を積んだらすぐダーマの神殿、という磨き方だからレベルカンストジョブがない、みたいな状態ではあるけれど。

 若いころの一途に没頭するというやり方でも実績を残せず、二十代後半からの風の向くまま気の向くままみたいな生き方でも実績は作れず、結局いい年して何も為していないという空虚な経歴を得ただけだ。それはきっと、傍から見ればダメな大人であろう。でも思春期のわたしが、あんな大人になりたくないと思ったような種類の大人にはならずに済んだ。そういう大人から蔑まれるような大人ではあるかもしれないが、それは本望であろう。

 なんの結果も出していないわたしのようなのが偉そうなことを言っても説得力はないけれど、回り道、寄り道、迷い道がもたらす紆余曲折から得るものは大きい。ぜんぜん知らなかった世界のことを知り、その世界の住人と知り合う。インテリ層とともに学んだこともあれば、掃きだめのアウトローみたいな連中とツルんでいたこともある。それぞれの世界に魅力的なやつはいたし、どこにでもクソみたいなやつもいた。そこに身を置いてきてこそ見えたものは確実にある。

 ひとつ曲がりかど ひとつ間違えて
 迷い道くねくね

 紆余曲折は悪くない。

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